2014.06/08 [Sun]
私的青春のラヂオ「サウンドストリート」の思い出と「SONG TO SOUL~アイム・ノット・イン・ラヴ編」
平日の朝、トモローを学校へ送り出した後は8時から、インターFMの「バラカン・モーニング」(詳細は下記ホームページへ)で音楽を楽しみながら、家事をするとこが多いブログ主です。放送は月から木曜日の7~10時ですので、すべて聴いてる訳ではないんですけどね。
インターFM 「バラカン・モーニング」
で、本日は自分とラジオの付き合いについて振り返ってみたいなあと。以前お笑いのエントリーでは、「ビートたけしのオールナイトニッポン」に投稿して読まれた話(コチラ)なぞ、書いたことがありますけど、それほど沢山の番組を聴いてきたわけではありません。
ロックファンですと、やはりAMよりもFM派が多いのでは?という気がしますけど、私は小6か中1の時、家のラジオのツマミ弄ってて、偶然FM東京にチャンネルが合い、シリア・ポールの「ダイヤトーン・ポップスベスト10」を聴いたのが最初だったと思います。とにかくAMラジオのザワザワした感じが皆無で、曲を最初から最後まで、DJの声がかぶらずに流してくれるのに感動した記憶があります。その時のベスト10に入ってた曲で、今も憶えているのが10㏄の「The Things We Do For Love」です。10ccのサウンド自体にも新鮮な驚きがあったものです。
以来、FM雑誌なるもを買って、オンエアされる曲とアーティストを事前にチェック出来るようになり、NHK FMのクロスオーバーイレブンなんかも聴くようになる訳ですが、中でも一番影響されたのが、同じNHKの「サウンド・ストリート」なんです。
私が高校生の時のラインナップは確か、
月 佐野元春
火 坂本龍一
水 甲斐よしひろ
木 烏丸せつこ
金 渋谷陽一
でして、もしかすると水と木は逆だったかもしれません。何故かと言うと、水木だけ聴いてなかったからでして、月はミュージシャンとしての佐野元春も好きでした。それまで日本のロックにあまり興味が無かったのですが、彼の周囲のアーティスト達、例えば大滝泳一、杉真理、伊藤銀次等々は、サンストを通じて知った訳です。また、アメリカのシンガーソングライター系もよく紹介されてましたっけ。
火曜日の坂本教授については、それまで余り興味のなかったYMO及びテクノを見直す機会となったり、当時の奥様、矢野顕子に高橋幸宏、細野晴臣のソロワークは勿論のこと、イギリスやヨーロッパの曲も沢山効かせて頂きました。よく憶えてるのがドゥルッティ・コラムの「Lips That Would Kiss」と、それまでただの女装バンドと思ってたジャパンの「ブリキの太鼓」。そこから更に教授とデヴィッド・シルヴィアンのコラボと繋がる訳ですね。
そして、一番思い入れがあったのが渋谷陽一の金曜日なんです。当然のことながら、当時読んでた音楽雑誌は「ロッキング・オン」時々「フールズメイト」、のち「クロスビート」って感じすかね。実は先日、愛読してる面白半分さんの音楽ブログで、エイジアのファーストアルバムが取り上げられてるのを読んで、私は渋谷陽一のサンストを思い出してしまいました。
詠時感~時へのロマン エイジア 「茶の間の自由~チャンスも経験もいらない」より
あの頃渋谷陽一氏は、ジャーニーやTOTOあたりの、いわゆる売れ線狙いバンドを「産業ロック」と称して、ネガティヴキャンペーンの真っ只中でした。エイジアも晴れてその仲間入りをしたんですねえ。一応番組で紹介はしたものの、かなり否定的な意見しか述べておりませんでした。それから暫くしてメンバーチェンジしたイエスが引っ提げてきたのが「ロンリーハート」。当時渋谷氏に傾倒してた私は、その辺りで思ったんですよ。
プログレは産業ロックの手先
最初から渋谷陽一のフィルターを通して、偏見の目で、耳でかな?接してたなあ、と今では思いますけどね。かつてはマイク・オールドフィールドの東京公演のテープを毎晩聴いてた私。プログレ男子に恋をして破れた結果、プログレ嫌いに?的な記事(コチラ)を以前書いたことありますが、決定的な原因はやはりエイジアと、その後を追ったようなイエスだったような気がします。
ってなくらい影響力の強かった渋谷陽一のサウンドストリート。私が特に山下達郎ファンでないのに、「On The Street Corner」を持ってるのは、サンスト金曜のオープニングテーマが「Remember Me Baby」だったからです。へヴィ・メタルがあまり得意でないのに、レッド・ツェッペリンが好きなのもサンスト金曜日のせい。スリッツやレインコーツ、ファンカデリックを初めて聴いたのもぜーーんぶ、、、以下同文。
山下達郎版「Remember Me Baby」が見つからなかったので、代わりに60年代の女性コーラスグループ、The Chiffonsのを貼っておきますね。
ロイ・リキテンシュタインの漫画?を組み合わせて、ポップな動画になってますよ。
現在は「バラカン・モーニング」を、毎朝楽しく聴いているワタクシですけど、当然あの頃のような熱を持ってはおりません。若さゆえの思い込み、ってのは今思うと何か可笑しいですねえ。サウンドストリートは正に青春のラヂオでした。
と言ったところで、ここからはラジオ番組でないのですが、「バラカン・モーニング」を聴いてて、その存在を知った音楽番組、BS-TBSの「SONG TO SOUL」のお話を。毎週水曜日の夜11時から、名曲が出来るまでのドキュメンタリーでして、私が最初に見た回は10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」でした。私はあの曲、サンスト金曜の「10㏄特集」で初めて聴いたんですよ。
BS-TBS 「SONG TO SOUL」
まだシンセサイザーもサンプリングマシーンも無い時代に、あの音をどうやって作ったのか。人の声を楽器として使う為に、全ての音階で「アーーー」を4人分録音してループテープを作って、とアナログな作業をしてたかと思えば、間奏での女性の囁き声「Be quiet, big boys don't cry」は偶々出くわしたスタジオの女性秘書を抜擢したとか、様々な努力と偶然と。全てはエリックがマンチェスターに作った「ストロベリースタジオ」で、メンバー4人とエンジニアが好きなだけ時間を使って、試行錯誤の上に完成した、至高のサウンドだった。
なぞという、とても興味深いエピソードの数々の中でも私的に印象深かったのは、「I'm not in love」という歌詞について。エリック・スチュワートがヨメに「I Love Youを余り言ってくれない」と言われたことから、I Love Youと言わないラヴソングを発想したんですね。エリック曰く「余り沢山言うと普通の挨拶と変わらない、軽くなりそうで嫌だった」。おやっ?欧米人でもそう言う感覚があるのね?ってちょっと驚いたんですわ。まー、性格の問題かもしれませんけど。軽々しくI Love Youを言えないといふエリック・スチュワートが、何か好印象だったんですよね。
それとですね、「アイム・ノット・イン・ラヴ」は最初のレコーディングはラテン調だった、ってのもビックリでした。当時の録音は消されてしまったそうで、後に再現したもの(エリックのソロ「Do Not Bend」に収録)をYouTubeで見つけました。
うーん、ラテン版も悪くないですけど、こちらが先だったら、あれ程のヒットになったかどうか。やはりあのスローバラードとバックの声の温もりを感じるサウンドがあってこそ、という気がしますわ。
それにしても、この「SONG TO SOUL」と言う番組、曲が生まれた背景と当事者たちの思いを、とても丁寧に取材してまとめてると思います。10ccの後はシルヴィ・バルタンの「アイドルを探せ」とレッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」と、選曲もバラエティ豊かです。これからどんな曲が取り上げられるか、とても楽しみですわ。
お読み頂きありがとうございました。
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インターFM 「バラカン・モーニング」
で、本日は自分とラジオの付き合いについて振り返ってみたいなあと。以前お笑いのエントリーでは、「ビートたけしのオールナイトニッポン」に投稿して読まれた話(コチラ)なぞ、書いたことがありますけど、それほど沢山の番組を聴いてきたわけではありません。
ロックファンですと、やはりAMよりもFM派が多いのでは?という気がしますけど、私は小6か中1の時、家のラジオのツマミ弄ってて、偶然FM東京にチャンネルが合い、シリア・ポールの「ダイヤトーン・ポップスベスト10」を聴いたのが最初だったと思います。とにかくAMラジオのザワザワした感じが皆無で、曲を最初から最後まで、DJの声がかぶらずに流してくれるのに感動した記憶があります。その時のベスト10に入ってた曲で、今も憶えているのが10㏄の「The Things We Do For Love」です。10ccのサウンド自体にも新鮮な驚きがあったものです。
以来、FM雑誌なるもを買って、オンエアされる曲とアーティストを事前にチェック出来るようになり、NHK FMのクロスオーバーイレブンなんかも聴くようになる訳ですが、中でも一番影響されたのが、同じNHKの「サウンド・ストリート」なんです。
私が高校生の時のラインナップは確か、
月 佐野元春
火 坂本龍一
水 甲斐よしひろ
木 烏丸せつこ
金 渋谷陽一
でして、もしかすると水と木は逆だったかもしれません。何故かと言うと、水木だけ聴いてなかったからでして、月はミュージシャンとしての佐野元春も好きでした。それまで日本のロックにあまり興味が無かったのですが、彼の周囲のアーティスト達、例えば大滝泳一、杉真理、伊藤銀次等々は、サンストを通じて知った訳です。また、アメリカのシンガーソングライター系もよく紹介されてましたっけ。
火曜日の坂本教授については、それまで余り興味のなかったYMO及びテクノを見直す機会となったり、当時の奥様、矢野顕子に高橋幸宏、細野晴臣のソロワークは勿論のこと、イギリスやヨーロッパの曲も沢山効かせて頂きました。よく憶えてるのがドゥルッティ・コラムの「Lips That Would Kiss」と、それまでただの女装バンドと思ってたジャパンの「ブリキの太鼓」。そこから更に教授とデヴィッド・シルヴィアンのコラボと繋がる訳ですね。
そして、一番思い入れがあったのが渋谷陽一の金曜日なんです。当然のことながら、当時読んでた音楽雑誌は「ロッキング・オン」時々「フールズメイト」、のち「クロスビート」って感じすかね。実は先日、愛読してる面白半分さんの音楽ブログで、エイジアのファーストアルバムが取り上げられてるのを読んで、私は渋谷陽一のサンストを思い出してしまいました。
詠時感~時へのロマン エイジア 「茶の間の自由~チャンスも経験もいらない」より
あの頃渋谷陽一氏は、ジャーニーやTOTOあたりの、いわゆる売れ線狙いバンドを「産業ロック」と称して、ネガティヴキャンペーンの真っ只中でした。エイジアも晴れてその仲間入りをしたんですねえ。一応番組で紹介はしたものの、かなり否定的な意見しか述べておりませんでした。それから暫くしてメンバーチェンジしたイエスが引っ提げてきたのが「ロンリーハート」。当時渋谷氏に傾倒してた私は、その辺りで思ったんですよ。
プログレは産業ロックの手先
最初から渋谷陽一のフィルターを通して、偏見の目で、耳でかな?接してたなあ、と今では思いますけどね。かつてはマイク・オールドフィールドの東京公演のテープを毎晩聴いてた私。プログレ男子に恋をして破れた結果、プログレ嫌いに?的な記事(コチラ)を以前書いたことありますが、決定的な原因はやはりエイジアと、その後を追ったようなイエスだったような気がします。
ってなくらい影響力の強かった渋谷陽一のサウンドストリート。私が特に山下達郎ファンでないのに、「On The Street Corner」を持ってるのは、サンスト金曜のオープニングテーマが「Remember Me Baby」だったからです。へヴィ・メタルがあまり得意でないのに、レッド・ツェッペリンが好きなのもサンスト金曜日のせい。スリッツやレインコーツ、ファンカデリックを初めて聴いたのもぜーーんぶ、、、以下同文。
山下達郎版「Remember Me Baby」が見つからなかったので、代わりに60年代の女性コーラスグループ、The Chiffonsのを貼っておきますね。
ロイ・リキテンシュタインの漫画?を組み合わせて、ポップな動画になってますよ。
現在は「バラカン・モーニング」を、毎朝楽しく聴いているワタクシですけど、当然あの頃のような熱を持ってはおりません。若さゆえの思い込み、ってのは今思うと何か可笑しいですねえ。サウンドストリートは正に青春のラヂオでした。
と言ったところで、ここからはラジオ番組でないのですが、「バラカン・モーニング」を聴いてて、その存在を知った音楽番組、BS-TBSの「SONG TO SOUL」のお話を。毎週水曜日の夜11時から、名曲が出来るまでのドキュメンタリーでして、私が最初に見た回は10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」でした。私はあの曲、サンスト金曜の「10㏄特集」で初めて聴いたんですよ。
BS-TBS 「SONG TO SOUL」
まだシンセサイザーもサンプリングマシーンも無い時代に、あの音をどうやって作ったのか。人の声を楽器として使う為に、全ての音階で「アーーー」を4人分録音してループテープを作って、とアナログな作業をしてたかと思えば、間奏での女性の囁き声「Be quiet, big boys don't cry」は偶々出くわしたスタジオの女性秘書を抜擢したとか、様々な努力と偶然と。全てはエリックがマンチェスターに作った「ストロベリースタジオ」で、メンバー4人とエンジニアが好きなだけ時間を使って、試行錯誤の上に完成した、至高のサウンドだった。
なぞという、とても興味深いエピソードの数々の中でも私的に印象深かったのは、「I'm not in love」という歌詞について。エリック・スチュワートがヨメに「I Love Youを余り言ってくれない」と言われたことから、I Love Youと言わないラヴソングを発想したんですね。エリック曰く「余り沢山言うと普通の挨拶と変わらない、軽くなりそうで嫌だった」。おやっ?欧米人でもそう言う感覚があるのね?ってちょっと驚いたんですわ。まー、性格の問題かもしれませんけど。軽々しくI Love Youを言えないといふエリック・スチュワートが、何か好印象だったんですよね。
それとですね、「アイム・ノット・イン・ラヴ」は最初のレコーディングはラテン調だった、ってのもビックリでした。当時の録音は消されてしまったそうで、後に再現したもの(エリックのソロ「Do Not Bend」に収録)をYouTubeで見つけました。
うーん、ラテン版も悪くないですけど、こちらが先だったら、あれ程のヒットになったかどうか。やはりあのスローバラードとバックの声の温もりを感じるサウンドがあってこそ、という気がしますわ。
それにしても、この「SONG TO SOUL」と言う番組、曲が生まれた背景と当事者たちの思いを、とても丁寧に取材してまとめてると思います。10ccの後はシルヴィ・バルタンの「アイドルを探せ」とレッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」と、選曲もバラエティ豊かです。これからどんな曲が取り上げられるか、とても楽しみですわ。
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バラカンモーニング、仲間内の一人社長が良く聞いていて…羨ましい番組です(笑)
この時間は当然仕事なんで…昔だったらエアチェックしてたかもです♪
そして、渋谷氏の番組、懐かしいっす!
良く聴いてました。ZEPがかかりすぎるのはあれとして、結構色々なアーティスト知ることが出来た番組でした♪
お金のないボンビー学生には本当に有難い番組でした♪
ラジオは専ら車でしか聴いてないのですが…少し耳を傾けようと思います!