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yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

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ユッカリーナのヨガ的雑記帳


2012/09/18 09:05 yuccalina

「ゾウの時間 ネズミの時間」と「トモローの時間 私の時間」

このところ連日トップニュースは尖閣諸島関連ですね。個人的な事情ですが、中国での暴力的な映像は私の自閉症の息子トモローに悪い影響を及ぼしている様です。昨年の震災後程ではありませんが、不穏な空気に敏感な子なので、食欲や睡眠、排泄に不調が出ているのです。最近は殆どありませんが、昔はよそのママが子供を叱る声にビビって泣き出したりする程、トモローは怖がりなので、雄叫びをあげながら物を壊す中国人の映像なぞ、見たい筈がないのです。私は普段見たい番組は殆ど録画し、彼が学校に行ってる間にビデオで見ている為、わが家では、平日は朝と夜ダンナが家にいる時間以外は、トモローは殆どテレビを見ていません。しかし、この三連休はダンナが直ぐにテレビを点けたがるので、「いい加減にしてくれ」と、ちょっと喧嘩しそうになりました。夫婦喧嘩になれば、またトモローに不安を与えることになるので、私は努めて冷静にお願いをしました。「トモローが怯えてるかもしれないから、ニュース番組はいない時に見てよ」と。勿論、家庭の方針は各々ですから、「子供にも現実を見せるんじゃ」という人を批判はしませんが、子供が安心できるフォローが必要だと思います。ゲームでなく本物の暴力的映像な訳ですから、子供に与えるショックは大きいんじゃないでしょうか。

と、前置きが長くなってしまいましたが、今回は自分の価値観に影響を与えた数々の本の中から、1つ紹介したいと思います。「すぐに役に立つ本はすぐに役に立たなくなる」と書いていたのは伊集院静さんですが、私も、昔読んだ本の内容を大分後になって「ああ、そういうことだったのか」と、実感することは多々あります。

本川達雄さんの「ゾウの時間ネズミの時間」は現在も読まれ続けているようですね。私は1993年発刊直後に読みましたので、当時は28歳でした。あまり計算が好きでない、つーか数字見るのも嫌いな私なので、大体のどんぶり勘定感覚で読んでいたと思います。それは、ネズミとゾウの体の大きさ、鼓動の速度、そして寿命を比較してみれば、単純に人間の持つ時間の尺度で「ネズミは短命、ゾウは長命」と決め付けられない、ネズミもゾウもそれぞれの別の時間の中を生きている、そういった話だったと思います。ハッキリ言って科学的な話としてよりも、感覚的理解(誤解かも?)として、同じ命だけれど、ゾウとネズミが違う時間を生きているんだから、ネズミの寿命が短いからといって、生命活動として内容が薄い訳ではない、という所にとても惹かれたのです。その理論が科学的に正しいか正しくないかは、私にとってあまり問題ではありません。私はあくまでも情緒的に読んでいましたので。

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)
(1992/08)
本川 達雄

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<子供向けバージョンも出てるんですね>
絵ときゾウの時間とネズミの時間 (たくさんのふしぎ傑作集)絵ときゾウの時間とネズミの時間 (たくさんのふしぎ傑作集)
(1994/04/15)
本川 達雄

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ですからゾウとネズミを即、人間一人一人の違いに置き換えて考えたのは言うまでもありません。時計が刻む同じ時間の中で、人各々に感覚の違いがあるのは言うまでもありません。また、人が何に夢中になって時間を費やすか、その価値を計ることなど無意味ではないかと。

この本と出会ってから6年の後、私はダンナの出張先であるマレーシアの田舎町に住む事になって、実際、時間に関する意識に変化がもたらされました。南国でのゆったりとした時間の流れの中、当初は日本との違いに苛立つことはあったものの、ゆっくりと丁寧に暮らす心地良さに気付いていきました。そして、日本のスピードや効率を重視するところが、本当に素晴らしいことなのか、ちょっと疑問に感じ始めたのです。

マレーシアでは、カットされパック詰めされたお肉をスーパーで買うこれまでの日本の生活から、鶏一羽(流石に絞めてキレイに洗われてましたが)を買って悪戦苦闘しながら調理したり、小麦粉を捏ねてうどんを打ったり、餃子の皮を作ってみたり、手に入るもので工夫して料理する事の楽しさを知りました。不思議なことに、当時は時間が有り余って、退屈していた気がするのですが、後で思い出すと非常に濃密で楽しかったことばかりが浮かんでくるのです。

この“ゆっくりと時間をかけてすることで味わえる豊さ”は、その後ヨガとの出会いでさらに深まってきたと思いますが、人それぞれが違う時間、ペースで生きていることは息子トモローとの生活で肌に感じています。例えば食事中、最近麺をフォークで上手く取れるようになった彼は、揺れる焼きそばを顔の前でしばらく眺めていたりします。こういう時「んもー、サッサと食べろよー」とイライラするよりは、別の次元にいるトモローを外から眺めている方が楽しいのです。

<焼きそば取ったど~!>
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<ゆらゆら~ウットリ~>
tomoro51_convert_20120918090023.jpg


通っていた発達外来の先生から言われた「全く違う価値観で生きている子かもしれないので、自分の思うとおりにならないと思っていた方が良い」という言葉は、彼が何かを覚えたり、習得したりするペースについても、そのまま当てはまる訳です。「どうして何度やっても覚えないのよ!」と怒ったところで、覚えが早くなることはないのですから、教える工夫は必要かもしれませんが、それはこちらの価値観に無理やり合わせる為ではない筈です。

ゾウが良くてネズミが悪い訳でも、人によって良い人生、悪い人生がある訳でもない、と私はかなりテキトーな拡大解釈をしてしまうですが、ヨガ的な考えでは「あらゆる事象は関係性の中で相対的な価値しかもたない」という観点からでも、良い人生、悪い人生と評価したところで何の意味もないのです。

ところで、池田清彦先生の本も竹内久美子先生のも、科学的な内容の本であっても私は科学的に理解しようと思って読んだことは全くありません、訳の分からない数式や記号や略号が出てきても分かる範囲で感覚的に捉えています。だから、逆に文学を科学的に読む人がいても全く可笑しくないとも思っています。「役に立つ本」で思い出したのですが、私はトモローが診断を受けてから、自閉症関係の本を色々と買いましたが、自閉症の本を読んだから自分の子供が直ぐに理解出来るわけではありません。勿論、なにか子育てにヒントを見つけることは出来ると思いますけど。何が役に立つか立たないかなんて、それも受け取る側次第なんでしょうから、逆に全く無縁そうな文学であっても、何かしら役に立つ話が潜んでいる可能性があるんですよね。それは日々の活動についても、同じことが言えるかもしれません。障害があるからあれは出来ないこれもダメ、と先にムリ・ムダと判断して諦めてしまうのは勿体ないと思っています。池田清彦先生も書いていましたが、何がムダなのかやってみなければ分からないのですから。

という訳で?来週末に「キッズヨガ」の第2回をやらせてもらえる運びとなりました。今後は月1・2回のペースで出来るかもしれません。直ぐに結果が出なくても、それぞれ違った価値観の子供達と時間を共有する経験が出来るだけで、全然OKだと思っています。回を重ねて形が出来てきたら、何れは写真やビデオに撮ったりして内容を紹介出来たら良いなと思っております。



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タグ: 池田清彦 ヨガ

テーマ:心の持ち方 - ジャンル:心と身体

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