プロフィール

yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

月別アーカイブ
リンク

ユッカリーナのヨガ的雑記帳


2012/01/10 08:17 yuccalina

パティ・スミス「Just Kids」その(7)

インディーズでリリースされたシングル「Hey Joe/Piss Factory」で好評を得たパティは、メジャーデビューに向かうんだが、ここでのキーパーソンは、当時のマネージャー、ジェーン・フリードマン。私はパティのファーストアルバム「ホーセス」のプロデューサーがジョン・ケイルであることから、この本の中でどう登場するのか期待して待ってたんだが、いきなりレコーディングの場面にケイルが出てきた。で、ジェーンについて調べてみたら、彼女はジョン・ケイルのガールフレンドだったのよね。アリスタレコードの代表クライヴ・デイヴィスにコネがあり、パティを紹介したのも彼女だった。ちなみジェーンはその後、ジョン・ケイルと共にSPY Recordを設立し、ケイルのソロアルバムがリリースされる。ニューヨークの音楽シーンに少なからず影響を及ぼす存在だった。

話をいったん「ホーセス」前夜に戻す。1974年11月、そんなジェーンのツテでパティは初めてサンフランシスコへ。レニー・ケイ、リチャード・ソールとのトリオで、かつてドアーズも演奏した場所「ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」に出演したり、ジョナサン・リッチマンと交流したりした。ニューヨークに戻ってきてからは、バンドのサウンドを厚くする為に、メンバーを増やす事に。女性がフロントを務めるロックバンド等ない時代、手探りながらも着々と前進し続けたパティ。プラハからの政治難民アイヴァン・クラールをベーシストとして迎え、最後にドラムスのジェイ・ディー・ドゥーティが加わって、パティ・スミス・グループのオリジナル・メンバーが出揃った。

一方、私生活ではアラン・レイニアとの同棲生活に終止符を打つ。理由はアランがブルー・オイスター・カルトのツアーで殆どニューヨークにいなかった為、実質は一緒に暮らしてない状態だったらしく、特に何か拗れた訳でもなく、友好的な別れだったようだ。実際、彼は別離後「ホーセス」にキーボードで参加している。

前述の通り、ジェーン・フリードマンの紹介でアリスタレコードの代表と知り合ったパティは、レコード契約のオファーを受けた。1975年5月7日契約書にサインし、 同年9月2日からレコーディングに入った。この本には書かれてはいないが、メジャー・デビューの契約をした時パティは28才。既に詩人としての地位も確立し人間としても成長した大人の女性であった彼女は、当時としては破格的に自分達に有利な契約を結べたのだと、後のインタヴューで答えている。レコード会社やプロデューサー等によって作られたロックスターではなく、言動の全ては自分の意志によるものであり、自己責任を取る意識で取り組んでいたようだ。だからこそ、音楽的な面だけでなく女性ロックアーティストあり方にも、強い影響を与えたのだろう。メジャーデビューを引っ提げて、ジミヘンの「エレクトリック・レイディ・スタジオ」に凱旋したパティ。チェルシーホテルの片隅で、シャイな女の子に話しかけてくれたジミを思い出しながら、今度はメインの大きなAスタジオのドアを開けた。因みに「ランド」はジミヘンに、「ブレイク・イット・アップ」はジム・モリソンにインスパイアされた曲であったそうだ。

「ホーセス」のジャケット写真は、「ロバート以外に考えられたなかった」というパティ。ロバートはたった1つ「シミの無い真っ白なシャツを着る」事だけを、彼女に要求した。パティは白いシャツを山程買ってきたが、その中で気に入ったのが、胸ポケットの下にRVの刺繍が入った1枚で、ブラッサイが撮ったジャン・ジュネのポートレイトが思い浮かんだ。サイズが大きかった為に、カフ(袖口)を切り落とした。そして、黒いジャケットの襟にはアラン・レイニアから貰ったピンブローチ。

<パティが想像したと思われるブラッサイによるジュネの写真。確かに胸元に刺繍が、、>genet.jpg

ホーセス[レガシー・エディション]ホーセス[レガシー・エディション]
(2005/12/21)
パティ・スミス

商品詳細を見る


撮影はロバートの恋人、サム・ワグスタッフの5番街にあるペントハウスで行われた。ジャケットを脱いで肩にかけたのは、ロバートのアイディアだったそうだが、そのお陰で切り落とされた袖があらわになり、「パンクロックアイコン」のイメージにピッタリな作品になったように思える。

ここから話は駆け足に1978年の夏まで下る。3枚目のアルバム「イースター」からのシングル「ビコーズ・ザ・ナイト」はブルース・スプリングスティーンとの共作で、全米チャートで最高13位まで上昇した。パティがヒット曲を出すというロバートの夢が叶った瞬間だった。彼女の成功を手放しで喜んで言った一言は「パティ、僕より先に有名になったね。」

流石に名曲「Because The Night」の動画はYouTubeに沢山アップされているが、こちらは2002年、イギリスBBCで放送されたJools Hollandとのデュエット。ギター1本でも十分に魅力的な曲であることが確認できるアンプラグト・ヴァージョン。



もう1本は2009年、U2、ブルース・スプリングスティーンと共演してる豪華版。歳月を経て、先のヴィデオよりもかなりふっくらしたパティの姿も微笑ましい。



最後に、アルバム「ホーセス」と「イースター」のアルバム・レヴューはいつもの通り、ロックマニア・フレさんのページへどうぞ。

Patti Smith - Horses 「ロック好きの行き着く先は・・・」
Patti Smith - Easter 「ロック好きの行き着く先は・・・」

、、と言ったところで、今回はおしまい。その(8)へ続く。
関連記事
スポンサーサイト

タグ: パティ・スミス NYパンク

テーマ:今日の1曲 - ジャンル:音楽

「REX~ウィーン警察シェパード犬刑事」 | ホーム | 「女警部ジュリー・レスコー」人間ドラマとしての見応えのあるフレンチ・ミステリー
Comment
来ましたね♪
シャツの裏話は知らなかったんで、へぇ〜って素直に感動です。モチーフの写真まであるとは…。
続編が毎回楽しみです〜。
凄く期待させる文章なんで(笑)。
いつものリンクにも感謝です。
フレさん、いつもコメントありがとうございます。

> シャツの裏話は知らなかったんで、へぇ〜って素直に感動です。モチーフの写真まであるとは…。

この本の良いとこ1つに、皆から憧れられる存在のパティにも、マネした元ネタがあるのが分かって嬉しい、ってのがあります。大抵はおフランスのアーティストや映画だったりするんですが、本人が敢えて書きたかった事だと思うので、思い入れがあるんでしょうね。


Trackback
この記事のトラックバックURL
http://notarinotariyoga.blog.fc2.com/tb.php/264-ccb63205
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
ご訪問ありがとうございます
最新記事
最新コメント
カテゴリ
検索フォーム
最新トラックバック
ユーザータグ
フリーエリア
RSSリンクの表示
Web page translation
QRコード
QR