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yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

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ユッカリーナのヨガ的雑記帳


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2015/11/25 14:26 yuccalina

ジョンと言えば、レノンよりもセバスチャン?

丁度昨日、ジョン・レノンの『ウーマン』をカラオケで歌った話した後で何なんですが、実を言えば、

私的には、ジョン・レノンよりもジョン・セバスチャンの方が重要だったかもしれん。

と思ったのは、以前ラヴィン・スプーンフル『魔法を信じるかい?』の話(コチラ)を書いた時でした。それは勿論、セバスチャンがレノンより先に、銀縁丸メガネをかけていたからと言う、単純な理由ではございませんぐ。スプーンフルの『フィッシン・ブルース』が、私のブルースへの入り口だったとは、その時にも書きましたが、私はその後、南青山の輸入レコード店、パイドパイパーハウスに通いながら、ジョンセバ(←以降ベルセバっぽく略)のソロアルバムもせっせと揃えて、よく聴いていたのでした。その一方でジョン・レノンは、当時『ダブル・ファンタジー』しか聴いたことがなかった。まあ、それは私のロック&ポップス趣味が、ビートルズにハマらずに進行してしまったから、仕方ないのかもしれませんが。

しかし、当時はラヴィン・スプーンフルやジョンセバの情報を得るのは難しかったし、最近まで知らないことが沢山あったなあ。いや、例え情報があったとしても、その意味合いを理解してなかったことももります。例えば、スプーンフルの記事でも紹介した

1965年にスプリームスと一緒のバスで南部ツアー

は、時代背景を知ってからでは、その重みが全く違っていました。公民権運動真っ盛りな時代に、黒人のアーティストと一緒にバスでツアーした、と言うのは、知らんうちにフリーダムライダーズの仲間入りしてた状態なのでは?と今になって気が付いた訳です。

と言うわけで、今回はジョンセバの曲を紹介しつつ、その人となりについても書いていきたいと思いますので、先ずは簡単なプロフィールから。

1944年生まれ。イタリアとニューヨークで育つ。父親は著名なクラッシックのハーモニカ奏者、母親はラジオ番組の作家。幼少期から様々な音楽に触れ、ウディ・ガスリー、レッド・ベリー、ミシシッピ・ジョン・ハートに親しみながら育つ。ライトニン・ホプキンスがニューヨークをツアーした時は、父親のコネでアンオフィシャル・ツアーガイドをした経験あり。1962年にニューヨーク大学に入るも、一年で退学して音楽の道に進む。(以上Wikipedia英語版より)音楽を通じて黒人差別とは無縁な環境で育ったのかもしれませんね。

1963年に大学を辞めて、ラヴィン・スプーンフルのデビューが1964年ですから、下積みは殆ど無い感じでしょうか。ボブ・ディランの1965年のアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ポーム』のベース奏者として、ジョンセバにオファーがあったのは、やはりグリニッチヴィレッジのコーヒーハウスなどで、昔からディランとの交流があったからでしょうか。ディランがエレクトリックギターに持ち代えた歴史的名盤に、プレイヤーとしての名も残していたのですね。

で、恵まれた環境で育った都会っ子の彼には、ロックの反逆性とは対極のイメージであり、彼が目指した音楽もまたしかり。

Good Time Music 良き時代の音楽

な訳です。それまでポストパンク、ニューウェイヴ音楽に漬かってた私にも、何故か響いてきた。ま、60年代の音楽にハマッたのは、レニー・ケイがNuggettsと言うコンピレーションの編集をしてると知って、興味を持ったので、どこかで繋がっていた訳ではありますけど。

私が最初に聴いたジョンセバの曲はズバリ『Good Time Music』でしたが、それは、ボー・ブランメルズのカバーでしたのよ。



さて、そこから話はソロ時代へ一気に飛んじゃうのですが、私がジョシュ・ホワイトと言うブルーズメンの名を知ったのは、セカンドソロ『Four of US』に収録された『Well Well Well』からでした。



そして、ソロ時代で一番のヒット曲は、4枚目の『Welcome Back』に収められたタイトルチューンですね。



アメリカのテレビドラマ『Welcome Back Kotter』のテーマ曲で、あのジョン・トラボルタ(前列左)が出演してた、結構有名な番組と知ったのは後のことでした。

それから15年という長い時間を経て、5枚目の『Tar Beach』が出たのが1993年。私は当時リアルタイムで聴きましたが、やはり70年代のアルバム程には魅力的ではなかったかな。その後ジョンセバが喉の病気で声が出なくなった話は、雑誌か何かで知りましたが、どうやら高い声が出せなくなったようですね。先日の『SONG TO SOUL』では、キーを下げて『魔法を信じるかい?』を弾き語りしていましたから。

しかし、WikiによればTV番組のプレゼンターとしても活躍されてるそうで、あの優しそうな笑顔は、やはり人好きな性格が出てたってことでしょうか。彼の音楽性ともピッタリハマッてる気がします。明るくポジティヴで遊び心があって。

私が彼のソロで一番好きな曲は、ファースト『John B. Sebastian』に収録された『Rainbows All Over Your Blues』でして、この曲はスプーンフル解散直後にあったウッドストックの飛び入り参加でも披露していた曲です。




I paint rainbows all over your blues.
君の憂鬱の上に虹を描こう


って素敵やん!とパンクに疲れ、三十路に差し掛かったユッカリーナは素直にそれを受け止めたのでした。丁度角が取れ始めた良いタイミングで、ジョンセバと出会ったんでしょうね。

そんな訳で、ジョンセバの音楽に癒しを感じたワタクシは、『SONG TO SOUL』での、優しそうなお爺ちゃんとなったジョンセバの姿に、ホッと安心したのでありました。

と言う訳で、一息着きたい時には、やはりこの曲『Give Us A Break』



この歌声、ホッとするなあ。でも、髪型も眼鏡も、70年代のジョンセバはちょっと引く。私は60年代の方が好きですな。しかし、思えば、ジョンセバが銀縁丸メガネだった期間って、実はとっても短かったのね。


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テーマ:60年代から70年代のPOPs & ROCK - ジャンル:音楽

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Comment
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鍵コメさんへ
確かにそうですね。私も別に正しい順番とかはないと思ってます。
Welcome Back Kotterは聴いた事ありましたが
ジョンセバとは認識していませんでした。
Well Well Wellでの熱い感じもいいですね。


面白半分さんへ

> Welcome Back Kotterは聴いた事ありましたが
> ジョンセバとは認識していませんでした。
> Well Well Wellでの熱い感じもいいですね。

そうでしたか。ヒットして有名な曲ですが、当時のレコード会社は余り力を入れてくれなかったみたいですね。70年代はSSWには不遇の時代で、ケバケバしいロックで金儲けしてたのでしょう。
Well Well Wellは彼にしては珍しくへヴィーですね。歌詞の内容からして重いですしね。
ところで、ジョンセバに同調して頂き、何か嬉しいです。



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