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yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

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ユッカリーナのヨガ的雑記帳


2015/08/15 09:25 yuccalina

ジョン・レノン『ゴッド』は諸法無我か?

以前紹介したみうらじゅん著『マイ仏教』(コチラ)には、ロックの曲がいくつか登場するのですが、どこが仏教的なのかを、ふと検証してみたくなりました。

ジョン・レノンの『イマジン』が般若心経みたいなのも、と引き合いに出されたのは既に書きましたが、今回は同じくジョン・レノンの『ゴッド』について。



歌詞は

God is a concept by which we measure our pain
神は人間の苦しみを測る概念だ


に始まり、その後、

I don't in believe in 〇〇
俺は〇〇を信じないぞ~!


と畳み掛けてきます。引き合いに出されたのは、キリスト、ブッダからJ・F・ケネディ、エルヴィス(プレスリー)、ジンマーマン(ボブ・ディラン)、ビートルズ等々。

今思えば、イスラム教関係のワードが無いのは、考慮したのでなく偶然だと思うけど、入れないでおいて良かったかもしれませんねえ。まあ、キリスト原理主義者KKK等から、脅しがあったそうですがが。

でも、ブッダを疑うのは仏教的に全然OKなんですよね。だって、四法印の一つ、諸法無我とわ、

この世の全ての事象には実体がない

ので、信じなくても全然構わんし~。全ての事象は絶対的でなく、相対的な存在である。何らかの因縁を持たずに成り立ってるものは存在しない、と言う考え方。『ゴッド』発表当時の反応がどうだったのか分かりませんが、仏教関係者からこの歌へのバッシングは余り無かったのでは?と思いたいですな。ホルヘ・ルイス・ボルヘスも言ってますが、仏教の一番の特徴は寛容性ですから。今日日、狂信的なカルト教団のせいで、仏教が誤解されてしまってるのはとても悲しいことなんです。

と、話が逸れましたがブッダの他に、東洋思想との関わりを持つワードは、易経、マントラ(真言)、ギーター、ヨガか。まあ、どれも出てきて良いっしょ!ちなみに、ギータ―は『ヴァガヴァット・ギーター』の略で、修行法として確立されたヨガが登場する書物。とヨガスクールでお勉強いたしますた。ヒンズー教の聖典で、『神の詩』を意味します。

さて、俺は何も信じないぜ~!と言うこの『ゴッド』は、諸法無我を歌っておるのかっ?と色めきたったワタクシ。唯、ビートルズの後で、

I just believe in me Yoko and me
自分とヨーコだけ信じる


には、ズッコケそうになりますた。
自分とヨーコは信じちゃうんかーい。諸法無我の歌ぢゃなかったんかーい?

しかして、これは諸法無我に向かう途中経過とも言えるか?

まあ、キリストとブッダという並びに、違和感が無きにしもあらずですがね。だって、ホントは仏教では本来、神の存在は否定されてて、仏教とは別にブッダを崇めることではありません。「身も心も神に捧げる」という感覚は一切ないんです。ブッダは悟った人間、あくまでも人間だったんです。最後は食中毒で死んでるしね~!

『マイ仏教』でも書きましたけど、「自分を救うのは自分自身」とういのが仏教です。ですから、ジョン・レノンの「自分を信じる」のもまあ間違いではないんですね。唯、その前提として、自分も含め「全ては実体がない」のも受け入れましょう、「この世に自分が間違いなく存在してると思うのは錯覚」なんですよ、というのがあって、仏教はその絶妙なバランスで成り立っているんす。

さて、〇〇を信じないと、ひとしきり歌ったジョン・レノンでしたが、最後こう結びます。

But now I'm John
でも今、僕はジョンなんだ

And so dear friends
だから、愛する友よ

You just have to carry on
(自分の人生を)を歩み続けるんだ

The dream is over
夢は終わったんだ


過去の栄光とか、自分に影響をを与えてきた諸々を一旦突き放し、「ただ春の夢の如し」とでも言ってるのでしょうか。今や自分は「ただのジョン」であり、アイドル(偶像)の夢から覚醒したと?神を絶対的な存在として受け入れるのではなく、自分自身の力でなんとかしよう、という姿勢はやはり仏教的では?と私は思いました。

残念ながら「お寺で仏像を拝んで賽銭して願い事をするのが仏教」程度にしか理解されていない現代日本ですが、「ブッダが見つけた法(四法印)をよりどころとしつつ、自分自身で修行して正しき道(八正道)を歩みんしゃい」と言うのが仏教。『ゴッド』を書いた時のジョン・レノンが果たしてそれを理解していたのかどうかは、とても興味深いところですね。

ちなみに、四法印をよりどころに自分自身で歩め、という教えは

自灯明法灯明

と呼ばれておりますが、これを平たく分かりやすくすれば、

いつも心にマイ仏教(by みうらじゅん)

ってことになるかしらねっ?

最後にもう一つ。ジョンがこの歌を作ったのは、ビートルズの解散とヨーコとの事でバッシングされ大変だった頃ですから、四法印の一つ一切皆苦(いっさいかいく=人生は思い通りにならない)の只中だったのでしょう。「神も仏もあるものか?」は当時の心境を素直に吐露してるのでしょうが、自己を再構築するために必要なプロセスだったとも思います。

いずれにせよ、この歌が後のイマジンに繋がっているのも、仏教のエッセンスがあるのも、私は確かだと思ったのでした。


お読み頂きありがとうございました。
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タグ: ヨガ

テーマ:洋楽ロック - ジャンル:音楽

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Comment
今日は♪
なるほど、god=仏陀の精神ですか。
ジョンて色々精神療法を試してたので、もしかしたらその過程で触れていてもおかしくないなと頷いてしまいました。
この曲は今じゃキリストより有名だとのたまうたビートルズ時代の自分のアンチテーゼになってるのか……なんて思ってましたが、仏陀、なるほどと言う感じです♪
yuccalina さん、こんにちは^^
仏教のことは殆ど知りませんが、ブッダを疑うのは、仏教的には問題ないのでしょうね。
特に禅では、臨済録に「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し・・」とかありますよね。
禅のそういうところが、信仰というより、ちょっと哲学的で、私は好きです。

『ヴァガヴァット・ギーター』は、高校生の時に読んだ覚えがあります。『ウパニシャッド』とか・・。
その頃、古代インドの思想に関心がありました。
ゆきまロックさんへ

> なるほど、god=仏陀の精神ですか。
> ジョンて色々精神療法を試してたので、もしかしたらその過程で触れていてもおかしくないなと頷いてしまいました。
> この曲は今じゃキリストより有名だとのたまうたビートルズ時代の自分のアンチテーゼになってるのか……なんて思ってましたが、仏陀、なるほどと言う感じです♪

あくまでも私の見解でしかありませんが、同じ頃ジョージ・ハリスンが発表したマイ・スウィート・ロードに比べると、含蓄がありそうな気がしますねえ。一緒にヨガを学んだ仲でも、進む方向が違ってきたのかな、と言う意味でも興味深かったです。
Arianeさんへ

> 仏教のことは殆ど知りませんが、ブッダを疑うのは、仏教的には問題ないのでしょうね。
> 特に禅では、臨済録に「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し・・」とかありますよね。
> 禅のそういうところが、信仰というより、ちょっと哲学的で、私は好きです。
禅宗は元々の仏陀の教えに一番近い、と言われてますね。仏教は確かに宗教と言うよりは、学問、哲学的だと思います。ボルヘスも書いてますが、「たとえキリスト教徒でも、イスラム教徒でも、仏教を学ぶことが出来る」のは、その為だと思います。

> 『ヴァガヴァット・ギーター』は、高校生の時に読んだ覚えがあります。『ウパニシャッド』とか・・。
> その頃、古代インドの思想に関心がありました。
そうだったんですか。私は高校時代はろくに本を読んだことがありませんでしたし、その名前すら知りませんでした。ウパニシャッドはパタンジャリの「ヨガ・スートラ」の基礎となった哲学らしいですね。
こんばんは。

あーなるほど!
そういう風に捉えることもできるんですね。

でもキリストを信じないという人は、やっぱりキリスト教に足を突っ込んでいる人の考えなのかなとも思います。
実際のところ、インドでどの程度勉強したか分かりませんが、宗教というより精神世界とかトリップ(勿論クスリでのです)についての方がほとんどだったのでは。時代がそうだったし・・・。

スミマセン。よく分からなくなってきました・・・(^_^;)。

イスラムについて触れていないのは、偶然というか、当時の西洋社会では興味が薄かったのではないでしょうか。
そういった意味でも、ジョンとしては、キリスト教世界に生きる人間として、キリスト教に対して物申すという立場だったのではないかと思います。

・・・難しい。
バニーマンさんへ

> でもキリストを信じないという人は、やっぱりキリスト教に足を突っ込んでいる人の考えなのかなとも思います。
絶対的価値を認めない例として、世界的に有名なキリストやブッダを選んだ、エルヴィス、ディラン、ビートルズも以下同文、と言うのが私の理解です。

> 実際のところ、インドでどの程度勉強したか分かりませんが、宗教というより精神世界とかトリップ(勿論クスリでのです)についての方がほとんどだったのでは。時代がそうだったし・・・。
ビートルズ時代にインドに行ってたのはあまり関係ないと思います。ハレ・クリシュナ運動も、マハリシ・マヘーシュも仏教でなくヒンズー教絡みですので。仏教というか禅宗の思想はヨーコの影響が一番大きかったのではないでしょうか。彼女のアート自体が、とても禅的と言われてましたし。

> スミマセン。よく分からなくなってきました・・・(^_^;)。
ビートルズのインド時代から発想すると、確かに混乱するかもしれませんね。

> イスラムについて触れていないのは、偶然というか、当時の西洋社会では興味が薄かったのではないでしょうか。
> そういった意味でも、ジョンとしては、キリスト教世界に生きる人間として、キリスト教に対して物申すという立場だったのではないかと思います。
イスラム教もユダヤ教も出てこないのは、確かに現在よりも存在感が薄かったからかもしれませんね。
しかし、キリスト教として生きる覚悟みたいのは、私にはあまり感じられないかな。
God is a concept by which we measure our pain
っていうフレーズがかっこよくて好きです。

でも関係代名詞? by which を今だ理解していません
thatじゃダメなのか!?
8月16日付コメントへ

> God is a concept by which we measure our pain
> っていうフレーズがかっこよくて好きです。

私も好きです。ジョンが一番言いたい事なんでしょうね。人其々の概念だから、押し付けはイカンよ的な、、。

> でも関係代名詞? by which を今だ理解していません
> thatじゃダメなのか!?

英語あまり詳しくないんですが、、。私は違和感無かったです。
言い換えれば、
We measure our pain by concept "God"
かなと。




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