プロフィール

yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

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ユッカリーナのヨガ的雑記帳


2015/08/07 00:15 yuccalina

『宝島』の思い出~パンク・ドラゴンTシャツといしかわじゅん先生への懺悔

80年代大変お世話になった『月刊宝島』休刊ニュースに寄せて、思い出話を書こうと思います。先日、上田義彦写真展の話(コチラ)で出てきた、約30年振りに再会した学生時代の知人が、宝島と関わりのある人だったこともあり、タイミングの妙を感じてしまいました。

知人のS君は同い年の当時大学生で、宝島でアルバイトをしていたんです。一方の私は、99パーが聖子ちゃんカットでヴィトンのバッグを持ってるよーな、超ツマンナイ短大に通いながら、某サークル(こちらについてもいずれ書きたいです)でロックのミニコミを作っていた、ツンツン頭に黒のロングコート(エコー&ザ・バニーメン系)を着たニューウェイヴ女子でした。他に理由が考えられないので、多分S君は私が作ってたミニコミを見て、面白いと思ってくれたのでしょう。

ある時、
「宝島で何か書いてみない?」
と、私を誘ってくれたのです。S君の後を着いて、四谷の宝島編集部に足を踏み入れたのは、確か19歳の夏だったと思います。そこで、編集の渡辺祐(たすく)さんを紹介され、開口一番、
「で、どんなネタ持ってるの?」
と尋ねられた私は、思わず
「へっ?」
と二の句が継げなくなりました。今にしてみれば、自分が全く世間知らずで、浅はかだったと分かるのですが、私は自分の好きなアーティストのレヴューとか好きに書かせてもらえるんか?とかなりイケ図々しいことしか考えていませんでした。どこの馬の骨とも分からない10代のコムスメに、好き勝手やらせてくれる程、世間は甘くありません。要するに、渡辺さんの「どんなネタ?」とは、自分なりに「これが今面白い、来てる」と思うものをプレゼンし、編集部の人がOKだったら取材してきて、書いたものが面白ければ採用、と言う手順の第一歩だったのです。

しかし、答えに窮していた私に、渡辺さんは親切にも、
「じゃあ、これについて調べて、書いてみて」
と、課題を与えてくださいました。どこに取材先するかも教えてくれて、まあ、ほぼお膳立てが出来てる感じです。私は恐る恐る3ヵ所程に電話をかけ、自分なりの考えも入れつつ、宝島の200字詰原稿用紙で3~4枚にまとめました。その私の文章は、多少の訂正・加筆があったものの、ほぼ原形をとどめて雑誌に掲載され、後に原稿料として2000~3000円程度、頂いたと記憶しています。名前も苗字だけですが記載されました。

それでも、私は満足から程遠かった。当時は友人への電話でさえ緊張していた人見知りな私が、全く見ず知らずのところへ電話して話を聞いた、それだけでも、今なら自分を褒めてあげられるのですが、当時は尖がってましたからね。気が弱いくせに、自意識過剰だったのでしょう。予め材料が揃ってて、説明書通りに作るキットみたいで、やったった感が全く無かったとでも言いましょうか。ですから、雑誌掲載については、家族にも友人にも、誰にも教えませんでした。絵が大好きだった小学生時代、たとえ表彰された絵でも、気に入らなかったら捨ててしまうような子供でしたから、当然ともいえますが。

そんなこんなでモヤモヤしていた私でしたが、その後直ぐにリベンジのチャンスが訪れました。ある日地元(当時住んでいたのは東京の東端の町)の洋品店I屋で、あるTシャツを見つけたのでした。

そうです。記事のタイトルにある、パンクドラゴン。

PUNK DRAGON (パンクドラゴン) ‐ 商品情報 Amazon.co.jp
punkdragon.jpg

いしかわじゅん先生は当時宝島で『パンクドラゴン』という漫画を連載していました。残念ながらTシャツの実物は消失してしまいましたが、今でもよく覚えています。白地に赤一色でプリントされたパンクドラゴンは、スライスされたスイカを片手にルンルン歩いているような構図で、PUNK DRAGONの英字もしっかりプリントされていました。

「これはっ!」
と私はすかさず購入。漫画のファンだったから、というのもありますが、
「もしやこれはネタになるのでは?」
と頭を過ぎったのは言うまでもありません。それでも、直接宝島に持っていく勇気はなくて、先ずはS君に見せることにしました。すると数日後、
「面白そうだから、売ってた店に取材してきて」
との連絡が。

「ハイッ!」
心の中で小さくガッツポーズしました。
そのまた数日後、まだ暑さが厳しい日でしたが、「このネタ、モノにするぞー!」と洋品店I屋に向かうユッカリーナ19歳の、足取りは軽く意気揚々。しかし、その意気込が直ぐに砕け散るとは、知る由もありませんでした。私はパンクドラゴンのTシャツを手に、結構ハキハキと店員に尋ねました。
「雑誌宝島の者ですが、このTシャツのことで、お話を聞きたいのですが」
I屋は衣料品と服地、手芸用品を販売する2階建ての店で、ちょっとしたスーパーマーケットの広さでしたから、2階のバックヤードにちゃんとした事務所スペースがあり、私はそこへ通されました。そこで再び
「雑誌宝島の者です。このTシャツなんですけど、パンクドラゴンってウチで連載してる漫画なんですけどね」
と若干偉そう言うと、一瞬にして従業員達の顔色が変ったのです。冷房のきいた事務所が本当に凍りついた、とでも言いましょうか。私の一言で怯えるような表情に変わった人々を前にし、私もそこで思考停止してしまったのです。

「ウチは知らずに仕入れてました。申し訳ないです。」
と責任者らしき方が頭を下げたのを最後に、自分がその後何を言ったのかよく覚えていません。只々、自分の一言への反応を見て、逆に怖気づいてしまった。それ以上なにも言えなくなってしまった。そして、重い足取りで帰宅したことしか、もう記憶にないのです。

しかし、その後のことは結構よく覚えているんです。つまり、不正な商品について追求出来た筈なのに、自分が勝手に止めてしまったことへの罪悪感だけが残ってしまいました。何故何も聞かずに帰ってしまったのか。多分、真相を追求しようと言う強い意志もなく、上手いこと書いてやるぞと言うだけの、浮わついた気持ちしかなかったから、簡単に尻込みしてしまったのでしょう。仕入れ先なり、製造元なり聞けば、I屋の人はきっと教えてくれた筈です。いや、今思えば、衣料品って大抵内側に、製造元の名前と連絡先の入ったタグがあった筈だから、きっと調べられたろうな。もしくは、S君か渡辺さんに相談してたら、何かアドバイスしてもらえたかもしれない。でも、一度引っ込めてから再び聞きに行く勇気もなく、ビビって何も聞かずにトンボ返りしてしまったダメな自分を、S君や渡辺さんに知られたくなかったと。

と言う訳で、再び落ち込んでいた私に、後日追い打ちをかけたのが、宝島に掲載された『パンクドラゴン』で、作品中

「パンクドラゴンのTシャツ作って売ってるやつがいるらしいな、出てこい!」

みたいなセリフを見つけた私は、心中穏やかでありませんでした。

「いしかわじゅん先生、怒ってるよおおーー」

多分編集部の人が「パンクドラゴンの海賊版Tシャツが出回ってるらしい」と先生に伝えてたのかもしれませんね。要するに19歳のコムスメがちょっとした犯罪の芽を、勝手に摘んでしまったんです。

あああー、ごめんなさい、ごめんなさい、いしかわじゅん先生ごめんなさーーい!

と思いながらも、私はその後沈黙してしまいました。宝島編集部にもS君にも連絡を取らずフェイドアウトしてしまったのです。

、、、ざっとこれで3ヵ月間くらいの出来事なんですが、S君との再会と宝島休刊を前に、私の記憶の引き出しから、次々と出てきたのでした。

まあ、いしかわ先生がマジで怒ってて、裁判沙汰にしたろと思ってたら、きっと編集部から私に催促があった筈、とか思って、ずっと自分を納得させていたんですが、ここはやはりきちんと謝罪しておきたい。ゆえに、こうしてブログに書くことにしました。

いしかわじゅん先生、30数年前パンクドラゴンTシャツを追求せず、トンズラしてしまったのは私です。
本当に申し訳ありませんでした。
ここに、謹んでお詫び申し上げます。


とか書いたところで、勿論本人に届くとは思ってませんけど、私なりに誠心誠意を尽くしたかったんです。そして、あの頃に比べたら、私もちょっとのことではビビらなくなったし、不正行為や法律の知識に乏しかったからというのも、経験を積んでマシにはなったと思います。過去のあやまちは、自分がちょっとでもマトモな人間になることで償って行くしかないと思っております。

という訳で、一読者としては、毎月楽しい話題に笑い、ワクワクして読んだ記憶しかない宝島なのですが、ワタクシにはこうしたちょっとホロ苦い、一夏の思い出があったりするのです。ちなみに、80年代の終わりには既に読まなくなってしまったので、その後の雑誌の変遷は全く知りませんでしたわ。90年代には、購読する音楽雑誌もロッキング・オンからミュージックマガジンへ。89年に転職した先が海外プロジェクトを持つ理系の会社だったことも影響してか、私の音楽の趣向もロックからワールドミュージックへと向かったのでした。そこで、東欧やロマ音楽と出合い、東南アジアにも触れ、インド映画にハマったりして行った訳です。

ところで、約30年振りに会ったS君は、編集者として独立し、相変わらずバリバリ働いているようで、とても嬉しかったです。学生時代から既に自分のやりたいことが分っていたような、フィギュアスケーターに例えると(って変ですか?)、まっちーこと町田樹、「ティムシェル=自分の道は自分で切り開く」的意志の強さを感じる人物でしたので、立派になった姿は想像通りだと言えます。あ、でも顔とか喋り方は全然違いますからね。ホントの事を言うと、宝島で私がフェイドアウトした後、彼とは2つ目の就職先、某アパレル会社にいた時に、一度だけ会っていました。しかし、その時に何を話したのか、殆ど覚えていなくて、唯一記憶にあるのは、「S君が羨ましくて嫉妬してた自分」だけでした。既にメジャーな雑誌の編集部にいたS君が、只々羨ましかった。みうらじゅん師の『比較三原則』をまだ知らなかった20代ユッカリーナの暗黒時代です。

それが、30年の時を経て、今ではそんな自分を懐かしめるようになりましたよ。基本考えがフワフワしてて、意志が弱い自分ですが、ちょっとは『自分なくし』が出来てきてるのかな?と確認できた再会でありました。



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タグ: 80年代

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Comment
僕も多分ユッカリーナさんと同じころに「宝島」から離れていったクチですが、我がポストパンク期と重なる時分に、鬱屈した生活に寄り添ってくれていた貴重な媒体だったなと想い返しました。

NYLONもクラシックも、ここで紹介されて足を運んだっけ…
『オリーブ』ではなかったとおもいまふ。
このコメントは管理人のみ閲覧できます
へー宝島なんて有名なご本でそんなほろ苦い思い出があるだけで逆にうらやましいです、、平平凡凡な若い日をおくってた私としては、、

でもほんとあの頃まわりが皆聖子ちゃんカット、、でしたね 懐かしい、、、ちなみに私はしてませんでした
まユタンぽさんへ
> 我がポストパンク期と重なる時分に、鬱屈した生活に寄り添ってくれていた貴重な媒体だったなと想い返しました。

そうですね~!音楽とファッションと沢山情報貰いました。ロンドン特集とかよくやってましたよね。

> 『オリーブ』ではなかったとおもいまふ。
あ、私もオリーブ、一時期読んでましたよ。
鍵コメ様
ありがとうございます。
思い出したくない若い頃の失敗は、だれにでもあるものなんでしょうね。
ふぁる代さんへ

> へー宝島なんて有名なご本でそんなほろ苦い思い出があるだけで逆にうらやましいです、、平平凡凡な若い日をおくってた私としては、、
>
> でもほんとあの頃まわりが皆聖子ちゃんカット、、でしたね 懐かしい、、、ちなみに私はしてませんでした


私もまあ概して平凡な毎日が多かったので、逆にこういうのだけ鮮明に覚えてるんですね。
当時からお友達になったのは皆、自分と同じ聖子ちゃんカットしてない少数派の女の子達でしたわ。
yuccalina さん、こんにちは^^
はじめて yuccalina さんのブログを拝見した頃から、ライターさんになれそうな方だなぁ、と感心していましたが、既に19歳の頃、有名な雑誌に原稿が掲載されるような体験がおありだったんですね。

私も、聖子ちゃんカットはしたことがなかったし、ヴィトンのバッグも絶対にいらなかったです・・笑
友だちにも、そういうタイプはいなかったなぁ、と思います。
Arianeさんへ

> はじめて yuccalina さんのブログを拝見した頃から、ライターさんになれそうな方だなぁ、と感心していましたが、既に19歳の頃、有名な雑誌に原稿が掲載されるような体験がおありだったんですね。
ありがとうございます。ブログは息子の成長記録と、自分の考えを整理する為に書き始めたのですが、いざ始めてみると楽しくてわいつの間にか子供より自分の趣味が最優先になっていました。欲求や記憶、発想など、諸々を文章にしてみると、自分を客観的に見れて良いような気もしています。

> 私も、聖子ちゃんカットはしたことがなかったし、ヴィトンのバッグも絶対にいらなかったです・・笑
> 友だちにも、そういうタイプはいなかったなぁ、と思います。
拙ブログを読んで下さる方は、多分そう言う人が多いのでは、と思ってましたが、やはり類は友を呼ぶんですね~(^^)
yuccalinaさんにそんな過去があったんですね!
今からでも遅くない、ライター目指してみては?
千鳥さんへ

> yuccalinaさんにそんな過去があったんですね!
> 今からでも遅くない、ライター目指してみては?

ありがとうございます。でもライターの道というのは現実的でないと言うか、そこまでの熱意はないんです。
今では良い思い出です。





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