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yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

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ユッカリーナのヨガ的雑記帳


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2015/07/28 10:59 yuccalina

藤田嗣治『異邦人』の生涯

エコール・ド・パリを彩った画家の一人、フランス人レオナール・フジタとして没した藤田嗣治の生涯を描く日仏合作映画『FOUJITA』の日本公開は11月14日に決まったそうですね。以前、映画公開までに読むぞ~!と宣言した(コチラ)評伝『藤田嗣治・異邦人の生涯』を読了致しました。

foujita29.jpg

映画の公式サイトでは予告編も見られますよ。
映画『FOUJITA』公式サイト

先ずはこの本のベースとして、前回もチラっと書きましたが、NHKスペシャル『空白の自伝・藤田嗣治』というドキュメンタリー番組がありました。1999年、著者が君代夫人にインタビューしたのをキッカケとして、夫人は「この際だから、言いたいことは全部言わしてもらいます」と、語りだした結果が、この評伝であり、日本で初の藤田嗣治画集の発行に至ったのも、君代夫人の尽力だったと、初めて知りました。また、NHKスペシャルでも取り上げられた美術評論家、夏堀全弘が独自に研究して執筆していたと言う評伝の原稿には、藤田自身が目を通して訂正加筆したものが残されており、そこからの引用も多数出てきます。それは藤田晩年の生の声とも言える、とても興味深いものでした。

君代夫人へのインタヴューと夏堀原稿だけでなく、藤田は何でもキッチリ整理整頓して取っておいてたということで、倉庫一杯に日記や手紙、そして自作のお洋服や身の回りの品が全て残されていた。というのも、この本が書かれる上で、とても役立ったことでしょうね。

その中でも、私的におおっ!と思ったのが、洋服の現物が残ってたということ。映画への期待が高まりますね。オダジョー演じる藤田のファッションが、どんな色合いになってるのか?以前ちょっと書きましたが、藤田のポートレイトは時代的にモノクロしかないので、長い間、どんな色の服だったのか、見たくてたまらーん!かったのですよ。これはかなり楽しみでございます。

さて、映画でどれだけ再現されるかは分かりませんが、私が本書で印象的だったところを書き出しておきますが、引用部は赤字で表示しています。

・ 幼少の頃は海軍軍医の父が持ち帰った洋菓子の缶や箱の装飾を見て胸踊らせる一方、北斎や為永春水の日本画にも親しんでいたこと。

・ パリ留学時代の初期に、ルノワールのアトリエを訪ね、リュウマチに悩まされながらも、包帯で手に絵筆を縛り付けでカンバスに向かう老画伯の姿に、とても感銘を受けていたこと。これが、後のチャペルのフレスコ壁画に向かう遠因の一つではないかと。(ちなみに直接的に影響されたのは、ニースにあるマチス礼拝堂と言われております。)

・ パリ時代に交流があった島崎藤村が、藤田を好意的に見ていたこと。日本人で彼を高評価してたのは、結構珍しいかも?

・ 幼い頃(4歳)に亡くなった母親の写真を後生大切に持っていたこと。藤田が寂しがり屋で甘えん坊だったのは、やはり母との触れ合いが少なかったのと関係がありそうです。

等々、上げてたらキリがないですけど、やはり一番気になるのは戦争画と、日本国籍を捨てることになった経緯です。

そこには戦後保身に走って藤田を吊し上げ、責任を擦り付けるような醜い争いがあった模様。そもそも、「GHQが戦争画を描いた画家の戦犯リストを作ってるらしい」と言うのはあくまでも噂で、後に開示されたGHQの資料には、画家を調査した記録は全く無く、勿論戦犯リストもありませんでした。ただ、戦争画を戦利品として得たアメリカ軍は、その取り扱いを決めるために、展覧会を開いたという事実があっただけ。しかし、それはあくまでも美術品としての価値を見極める為だったのです。

それを戦犯探しと思い込んだ日本画壇は、勝手に誰が一番悪いのかを格付けし、自分達で戦犯画家を告発しようとした。その結果一番にあげられたのが藤田であったと。事実確認もせず、噂と思い込みだけで暴走する人間はいつの時代にもいるものですが、藤田はそういう輩達の犠牲になってしまったのです。当然、その後裁判にかけられることは無かったものの、藤田にはそれはショックだったことでしょう。これまで親しくしていた人々の多くが距離を取るようになり、マスコミにはストーカーされ週刊誌で叩かれ、日本で気の休まる場所はなかったと。

私だったら、きっとこう言うね。

これがー、お前らのー、やーり方かあーーーーっ?(おかずクラブ)

フランス行きのビザ申請も邪魔され、取り敢えず先にアメリカへ脱出するも、ニューヨークでの個展は既に現地で活動していた日本人画家国吉康雄の妨害にあって中止。国吉は大戦中アメリカ側に立って、残虐行為をする日本兵等のプロパガンダポスターを描いたり、社交クラブで日本商品のボイコットをアピールしてた人だそうなので、藤田への妨害はさもありなんではありますが、、。

兎にも角にも、藤田は長きに渡って、日本で正当に評価されずにいたのです。以前『パリからの恋文』でも紹介しましたが、藤田はフランスにおいて日本人であることを意識し、面相筆での線描とか黒を大胆につかった色調とか、とても日本的な手法を用いて西洋画に挑んだ。そんな彼を日本の美術界は、奇行で持てはやされてるだけとか、ただの職人芸で芸術ではないとか、批判しかしてこなかった。藤田にとってはさぞ歯痒かったことでしょう。報道や論調がどれだけ真実に向き合っているのか?には注意せねばいかん、と言うのは、今も昔も変わらないですけどね。

1929年、3番目の妻ユキを伴って帰国した藤田が、母校の東京美術学校で行った講演の一部が紹介されていました。

私たち日本人はどうしても自分の個性を現わすときには国民性というものを忘れてはならないと思います。
どうも日本人がいきなり西洋人になろうとしてもそれはできませぬ。
西洋を尊敬することは尊敬してもよいが、我々は日本人である以上矢張り日本を尊敬せねばならぬと思うのであります。
私も向うへ行って初めて日本人でありながら日本のことを知らなさすぎた事に気付き、日本研究を始めました。


ですから、日本人として、日本の役に立ちたいと戦争画を描いたのでしょうが、それがイコール戦争賛美と決めてかかって良いものか?勿論当時の藤田の気持ちを知るよしはありませんが、疎開先の村(現神奈川県藤野町)で戦地に向かう鈴木青年にあげた日の丸の寄せ書きのことを思えば、彼のやさしい心根が分かるというもの。

丁寧に折り畳まれた国旗を広げると、日の丸の周囲に「神風」「必勝」「乾坤一擲」などの言葉が素朴な文字で書き連ねられている。その片隅に「嗣治画」の署名があり、横にはどこかほのぼのとした蛙の絵と二つの空豆が描き込まれていた。日の丸との奇妙な取り合わせに、
「どうしてこの絵を描いたんですか」
と尋ねると、鈴木はこう答えてくれた。
「その当時はね、帰ってこいというあいさつをしちゃいけなかったんですが、これは帰ってこいという意味です。蛙と豆で、マメにカエル。


こんなことをする画家が、戦争バンザイと賛美してたなんて思えますか?って。

そして、藤田の帰化の一因と思われる事実を一つ紹介しておきます。

藤田が戦時中に疎開先にも持って行った愛着のある作品数点を、終戦後、上野の帝室美術館(現在の東京国立博物館)への寄贈を申し入れて、拒否されていました。美術館側は戦犯画家とは関わりたくない一心だったのでしょうが、藤田の芸術を認めてなかった証拠でもありそうです。その後それらはフランス国立近代美術館に送られました。その中でも、『私の部屋、目覚まし時計のある静物』は、サロン・ド・ドートンヌで初めて高い評価を獲得した作品で、翌年日本の帝展に出品して無視されたという、日仏での評価の温度差を象徴する作品だったのです。

<1988年『東京パリ友好都市提携記念~レオナール・フジタ展』チラシより>
foujita30.jpg

これも、「日本に片思いして捨てられた」と藤田が感じる様なエピソードの、ほんの一部なのです。

ですから、こうして日本での研究が進んで、映画にまでなるのは喜ばしいことです。『パリからの恋文』を読んだ時点では、君代夫人は気が強すぎてあちこちで問題を起こしてた、と少々悪いイメージもあったのですが、本書を読んで「全てはビジネスに疎かった藤田を守る為だったのだろう」と思うようになりました。映画『FOUJITA』では、どこまで、どう描かれるのか分かりませんが、藤田と君代夫人が草場の影から「また誤解してる!」とお怒りにならないものであることを祈るばかりです。


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タグ: フランス

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Comment
レオナールの秋田の美術館が実家から徒歩5分
っていう、クレージーな環境ですから、実は
子どもの頃からレオナールは身近で親しみのある
ご近所の画伯なんです!。
ですから作品もバイオグラフィーも大体
知ってはいますけど、私も映画がとても愉しみに
なりました。ちなみにロック以外のお話でここに
コメするとは思いませんでしたよ!
あっ、面白かったですよ!。
yuccalina さん、こんばんは^^

戦後のGHQの占領下で、占領政策に取り入ることで、メジャーになった人たちというのが、たくさんいたのですよね・・。
連合国側に都合の悪い事実が書かれた本や、日本を正当化する本は、「軍国主義的」として廃棄されたようです。
その意味では、いわば大規模な「焚書」が行われたわけです。

また、その頃「民間検閲支隊」というのがあって、日本人を含む6千人もの人が、個人の手紙や電信電話まで検閲していたそうです。

たとえば「国民性」という言葉を使ったり、「日本を尊敬せねばならない」なんて言ったりしたら、実際には軍国主義でなくても、告発の対象になったでしょうね・・。
大学などでも、そうした教授を辞めさせる風潮があったようです。
戦後の日本で藤田を取り巻く環境として、今回の記事で yuccalina さんが伝えてくださっているのと同じことが、学問の領域でもあったということです。
そうして、実力のあった人たちを「告発」して排斥した人たちが、その後の大学で力を持ち、従順な弟子たちを後継者にしてきました。
まあ、「自分たちこそ、正義の人」という顔ができるし、勢力に抗わなくて済みますからね・・。

今でも「知識人」や「文化人」の大多数が反日的なスタイルを取るのは、それが「知的な事」だからではなくて、こうした先生たちを尊敬して、可愛がってもらっている人たちが業界の主流だからです。
pipco1980さんへ

> レオナールの秋田の美術館が実家から徒歩5分
> っていう、クレージーな環境ですから、実は
> 子どもの頃からレオナールは身近で親しみのある
> ご近所の画伯なんです!。

そうだったんですかー?去年、平野政吉美術館から新しい県立美術館にお引越ししたんですよね?私の父は横手市の出身なんですが、親戚は県南ばかりなので、秋田市まではまだ行ったことないんです。秋田の年中行事の壁画はいつか見に行きたいです。平野コレクションも良い絵が沢山あると聞きますし。

> ですから作品もバイオグラフィーも大体
> 知ってはいますけど、私も映画がとても愉しみに
> なりました。

そうですね。予告編を見るとフランス映画色が強いですけど、秋田でのシーンも出てくるのか、とても楽しみです。

> ちなみにロック以外のお話でここに
> コメするとは思いませんでしたよ!
> あっ、面白かったですよ!。

ありがとうございます。
Arianeさんへ

> 戦後のGHQの占領下で、占領政策に取り入ることで、メジャーになった人たちというのが、たくさんいたのですよね・・。
> 連合国側に都合の悪い事実が書かれた本や、日本を正当化する本は、「軍国主義的」として廃棄されたようです。
> その意味では、いわば大規模な「焚書」が行われたわけです。
>
> また、その頃「民間検閲支隊」というのがあって、日本人を含む6千人もの人が、個人の手紙や電信電話まで検閲していたそうです。

まるで文化大革命みたいな話ですね。単にGHQに洗脳されたからなのか、自分の利害だけで動いたのか、どっちもありそうですが。

> たとえば「国民性」という言葉を使ったり、「日本を尊敬せねばならない」なんて言ったりしたら、実際には軍国主義でなくても、告発の対象になったでしょうね・・。
> 大学などでも、そうした教授を辞めさせる風潮があったようです。
> 戦後の日本で藤田を取り巻く環境として、今回の記事で yuccalina さんが伝えてくださっているのと同じことが、学問の領域でもあったということです。
> そうして、実力のあった人たちを「告発」して排斥した人たちが、その後の大学で力を持ち、従順な弟子たちを後継者にしてきました。
> まあ、「自分たちこそ、正義の人」という顔ができるし、勢力に抗わなくて済みますからね・・。
>
> 今でも「知識人」や「文化人」の大多数が反日的なスタイルを取るのは、それが「知的な事」だからではなくて、こうした先生たちを尊敬して、可愛がってもらっている人たちが業界の主流だからです。

なるほど、今日日の文化人達のベースを知っておくのも大切なのですね。どんな考え方を持つのかは自由ですけど、思考するための情報に偏りがあるのは、とても不安になります。
こんにちは。

映画の方はレンタルを楽しみにしております・・・(^_^;)。

オダギリ君がこの映画のために“絵”の勉強を、有名な画家(名前を忘れた)のところに習いに行ったそうです。
後日、その画家の方が新聞のエッセーで、自宅アトリエにオダギリ・ジョーが来た顛末を書いていたのですが、オダギリ君は、とっても呑み込みが早くて感心したとのこと。
ますます映画の出来が楽しみです。
バニーマンさんへ

> オダギリ君がこの映画のために“絵”の勉強を、有名な画家(名前を忘れた)のところに習いに行ったそうです。
> 後日、その画家の方が新聞のエッセーで、自宅アトリエにオダギリ・ジョーが来た顛末を書いていたのですが、オダギリ君は、とっても呑み込みが早くて感心したとのこと。
> ますます映画の出来が楽しみです。

なるほど、ピアニストの役でピアノの特訓するみたいに、筆さばきを学んだのですね。確かに描いてる場面は予告編にも出てましたし。



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