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yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

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ユッカリーナのヨガ的雑記帳


2015/06/13 06:26 yuccalina

歌う川から生まれた『黄金のメロディ マッスルショールズ』

近年、ブルースやソウル音楽の底なし沼に、ズブズブとハマりつつあるブログ主ですが、昨年夏、新宿のミニシアターで上映されていたドキュメンタリー映画『黄金のメロディ~マッスル・ショールズ』について。残念ながら見に行けなかった為、割と早めにDVDを購入していたのですが、実際見るまでに時間がかかってしまいました。4月14日にパーシー・スレッジが他界し、そろそろ見ておかなくちゃ。

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と、DVDプレーヤーにセットしてから、かれこれ2ヵ月。ブルース、ソウル及び70年代のロックに興味がある方には、かなりオススメの作品です。何回見たか数えてませんけど、マーティン・スコセッシの『The Blues Movie Project』の時と同様、家事のBGM代わりに朝からかけっぱなしとか、何度したことか。そして、余りにも内容が濃すぎで、何を書こうか迷いまくった末、取りあえず今書いておきたいことだけでも記録することにしました。今後必要に応じて、訂正、加筆、若しくは新たな記事を投稿するかもしれません。また、こちらは映画ではなく、音楽のカテゴリーにしました。

マッスルショールズとは、アラバマ州北西部、テネシー州との州境にあるフローレンス、シェフィールド、タスカンビア(ヘレン・ケラーの故郷として有名)の3つの町からなる地域です。工場地帯もあるようですが、テネシー川が流れ、森と綿花畑に囲まれた、のどかな風景が映し出されていました。1960年代初頭、地元出身のリック・ホールという青年が、タバコとお菓子の倉庫を借りてレコーディングスタジオにしたのが、ことの始まり。その名は『F.A.M.E.(=フェイム)』、Florence Alabama Music Enterpriesの略です。

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ホールはそれ以前、50年代の終わりに、友人の父親が経営するドラッグストアの2階を借りて、音楽ビジネスを始めるのですが、「あまりにも仕事にのめり込み過ぎ」「頑固で押しつけがましい」と仲間から外されました。それから暫くバンド活動をした後、そのリヴェンジを果たす為、一人でFAMEを立ち上げたのです。

<最初のレコーディングについて語るリック・ホール>
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以降、そこで録音された珠玉のメロディは、その後の音楽界に多大なる影響を及ぼすのでした。

そして、もう一つのスタジオ、マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ(以下MSSと略)については、今回初めて知りました。

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FAMEで録音されたウィルソン・ピケットやアレサ・フランクリンについて、私はBBCの音楽ドキュメンタリー『Dancing In The Street - R.E.S.P.E.C.T』で見て知ってたんですが、MSSはFAMEから派生した分家だったんですね。それは友好的な暖簾分けとはならなかった様で、詳細は後で書きますが、いわゆるマッスル・ショールズ・サウンドとは、FAMEだけでなくMSSスタジオで作られた音楽も含まれると言うことです。有名どころでは、ローリング・ストーンズの『Brown Sugar』『I Gotta Move』『Wild Horses』。これらはMSSでレコーディングされた曲だったんです。若しかしたら、70年代ロック好きには、MSSの方が有名だったのかもしれませんね。

FAME創始者リック・ホール自身による話を中心に、彼が育てたリズム・セクション(スタジオ・ミュージシャン)達へのインタヴュー、スタジオの初期時代から8ミリで撮影されていたレコーディング風景と昔のインタヴュー、そして、映画のために行われたミック・ジャガー、キース・リチャード、スティーヴ・ウインウッド、ボノと言ったマッスル・ショールズ縁のアーティスト達のインタヴュー等々、年代も様々な映像がとても分かりやすく纏められている映画です。ソウルやサザンロックの入門にもなりそう。

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FAMEのリズム・セクションは、初代(グループとしてのネーミングは無し)、2代目のスワンパーズ、3代目フェイム・ギャングと出てきますが、メインとなって登場するのがスワンパーズ。それもその筈、彼等こそ、後に独立してMSSを設立するのですから。ボノ曰く、「どんな黒人ミュージシャンなのかと思ってたら、スーパーの店員みたいな白人ばかり」と言う、見た目には余り冴えない彼等が、音を出すとたちまち泥臭くて超ファンキーなバンド(アレサ談)に変身したのも、マッスルショールズの魔法と言えるのかもしれません。

特筆すべくは、リック・ホールがスワンパーズも含め、地元の若いミュージシャン達を一から育てて行ったということ。最初のビジネスでは「押しつけがましい」と嫌がられていたが、それが逆に「リックにはヴィジョンがあった」「彼の言うことに間違いはない」「信頼していた」となっていったのですね。そして、その信頼は人種の垣根をも超えていたのです。既に公民権運動が始まってはいましたが、キング牧師が演説で名指しするくらい、アラバマ州はもっとも差別が厳しかった土地。FAMEスタジオで白人と黒人が一緒に仕事していることに嫌悪感を示す人々も、決して少なくなかった。リック・ホールは

「黒人の為に食事を買うのにも、恐怖心があった」と語っていました。

それでも、スタジオの中では人種による揉め事は一切なく、ウィルソン・ピケットとスワンパーズのこんな姿も、当時のアラバマでは考えられないことだったのでしょうね。

<ファンキーな黒人歌手とスーパーの店員風スワンパーズの図>
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何せ、当時の州知事ジョージ・ウォレスは「永遠に人種隔離を」のスローガンを掲げていたのですから。「大学の正門に立って、黒人の排除をしてた」とはホール談。

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同じ南部でもピケットがいたメンフィスの方が、ずっと都会だったんでしょう。彼は初めてマッスル・ショールズにやって来た時、綿花摘みを見て「時代錯誤もいいとこだ」と思ったとか。スタックス・レコード(メンフィス在)のリズム・セクション、ブッカーT&MG'sも白人黒人混成バンドでしたけど、アラバマに比べたらまだマシな環境だったのかもしれません。

しかし、周囲から白い目で見られていたことは、逆にスタジオ内での結束を深める要素になったのでは?と私は思いました。差別を受けたことも、良いエネルギーにして、素晴らしい音楽に変えることが出来たのかもしれないと。ジミー・クリフが「マッスルショールズは漲るエネルギーを感じる特別な場所」という表現をしていたのですが、正にアーティストにとってのパワースポットだったのでしょうね。

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まるでそれを証明するかのように、地元のネイティヴ・インディアン、ユチ族の男性が、部族に伝わる伝説を語っていたのも興味深いです。古来テネシー川は“ヌナセー=歌う川”と呼ばれ、川の乙女が歌で部族を守ると言われていたそうです。

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その自然環境もまた、音楽にインスピレーションを与えたであろうことは、想像に難くないですが、後にマッスルショールズで音楽が人々を人種差別から守ったとも言えるのは、偶然ではないと思います。リック・ホールが尊敬するサム・フィリップス(プレスリーを発掘したサン・レコードの創始者)や、ブルースの父W・C・ハンディがマッスル・ショールズ出身であるというのも興味深く、土地の持つパワーを感じずにはいられません。

そんな大地のエネルギーを得たスタジオは、数多くのアーティスト達に霊感を与え、才能が花開いていきました。最初に注目を浴びたのはアーサー・アレキサンダー。地元ホテルのベル・ボーイだったのを、ホールがスカウトしました。アレキサンダーの歌声は海を渡って、イギリスでもヒットします。ビートルズが『Anna』をカバーし、その直後には、ローリング・ストーンズが『You Better Move On』を。



当時はまだ、レコードジャケットに録音スタジオがクレジットされることもなく、FAMEスタジオもマッスルショールズの名も知られてませんでしたが、「我々も早くからマッスルショールズサウンドのお世話になっていた」とはキース・リチャーズの弁。「あの頃は皆アーサー・アレキサンダーに夢中で、カバーはビートルズに先を越されちゃったけど」とちょっと悔しそうでした。

その後、全くの新人で最初のレコーディングだったパーシー・スレッジ『When A Man Loves A Woman』や、アレサ・フランクリンを覚醒させた『I've Never Loved A Man The Way I Love You』と言った名曲が、FAMEから生まれます。スレッジは綿花畑で歌ってたメロディを、緊張で震えながらもスタジオで歌い上げたのですが、彼を励ました家族と思えるような仲間達の中には、元グレイトフル・デッドのドナ・ジーン・ゴドショウもいました。

<レコーディング当時の話をするパーシー・スレッジとゴドショウ>
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綿花畑で歌っていたように、何のテクニックもなく、自分の声だけを頼りに歌ったのだそうです。

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だからこそ、生命力を感じる、いきいきとした曲になったんでしょうね。ここで、私はBBキングの言葉を思い出しましたよ「それは悪い事だと思うけど、奴隷制があった事によって何かポジティブな事があったんじゃないかと考えたい」って。綿花畑から生まれたスレッジの歌声も、正にそれなのではないでしょうか。また、サム・フィリップスが黒人音楽を録音するようになったのは、綿花畑で働きながら聴いた黒人の歌に死ぬほど感激したからだと言いますしね。

一方のアレサ・フランクリンは、当時音楽業界の重鎮だったプロデューサーのジェリー・ウェクスラーが、アトランティック・レコードに引き抜いた逸材だったのですが、まだ才能は開花しておらず、自分探しをしている状態でした。コロンビア時代のアレサは、モータウンの女性ヴォーカル以上に、お上品で当たり障りのない歌い方をしててビックリです。こちらはマッスルショールズサウンドとは関係ない曲なので、リンクだけ貼っておきます。興味のある方はどうぞ。

Aretha Franklin - One Step Ahead (Laid Back Radio)

勿論、十分に素晴らしい歌唱なんですけど、小奇麗で物足りない感じ。アレサ本人も、『I've Never Loved A Man』は自分のキャリアで最大の分岐点だったと言ってました。

<ジェリー・ウェクスラーとアレサ・フランクリン(可愛いっ!)>
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ただ面白いのが、今では名曲の誉れ高いこの『I've Never Loved A Man』も、最初から名曲だった訳ではないそうです。オルガンのスプーナー・オールダムによれば、デモ・テープの段階では「ゴミみたい」だったとか。元々、楽譜も無くアレンジも決めていない状態で、それぞれがアイディアを出し、スタジオで作り上げていくという手法だったのですが、レコーディングは難航しました。皆、アレサが放つ強烈なオーラに尻込みしたのか、上手く噛みあわずに時間だけが過ぎていきました。そんな中、オールダムがオルガンでイントロの印象的なフレーズを出し、周りが「それ、良いな」となり、スタジオの空気が一変。そこから一気に名曲に生まれ変わっていった。つまりFAMEスタジオでなければ、生まれてなかったかもしれないってことですね。



アレサがノリノリだったのは、このヴォーカルを聴けば伝わってきますが、残念ながら、その後アレサの夫が某ホーンプレイヤーと揉め事を起こし、レコーディングは中断。リック・ホールは仲裁に入るも、さらに拗らせてしまい、ジェリー・ウェクスラーと険悪な状態に。その後、ウェクスラーがニューヨークにスワンパーズを呼び寄せてアルバムは完成し、大ヒットしますが、ホールはウェクスラーとの間に確執を残し、アレサを失うことになりました。2人は元々、先述のパーシー・スレッジのデビュー曲がキッカケでタッグを組むようになり、ウィルソン・ピケットもウェクスラー人脈で成功したのですが、その後にアレサの一件で喧嘩別れとなったと。

しかし、捨てる神あれば拾う神あり。ウェクスラーと決別した後、レナード・チェスから頼まれたのがエタ・ジェイムス。ワタクシ恥ずかしながら、彼女は初めて知りました。『ゴットファーザー&サン』には出てこなかったんですもん。つり目メイクが奈良美智の絵のようでもあり、ビョークのようでもあり。そして弾ける歌声と、見た目も音楽も、凄ーーく惹かれちゃいました。

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なので、『Tell Mama』と『I'd Rather Be Blind』2曲行っちゃいましょう社長。




水色のサイケなブラウスと金髪が超キュー―トで大好き~!じゃじゃ馬エタは、アラバマの泥沼にまみれる覚悟でやってきたそうですが、泥パックでさらに魅力的になったのかもしれん?リック・ホールにとってアレサ・フランクリンを失ったのは大きな痛手だったのでしょうが、そのお陰でエタ・ジェイムスを得たと言えるのですから、あの一件にも意義があったのだと言えましょう。

こうして順調にヒット曲を送り出し、FAMEの評判が高くなると、更に様々な才能がマッスル・ショールズに吸い寄せられてきました。その中で紹介しておきたいのがデュアン・オールマンです。

<デュアン・オールマン(右)とリック・ホール>
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彼は川畔の小屋で生活しながらFAMEスタジオに入り浸り、準レギュラー化していくんですね。そこで起きた面白い化学反応がウイルソン・ピケットの『Hey Jude』なんです。



ビートルズのカバーはオールマンのアイディアだったそうで、当初はピケットもホールも反対したそうです。ピケットは「俺はオリジナル曲で勝負するんだ!」とお怒りだった模様。それでも、オールマンの素晴らしいギターを受けて、ヴォーカルもファンキーに跳ねてるではありませんか?これが正にサザン・ロックが生まれた瞬間だったのでした。そして、オールマンはマッスル・ショールズで後にオールマン・ブラザーズのドラマーとなるジェイモーと出会った。それにしても、アーサー・アレキサンダーをカバーしたストーンズに対し、ウィルソン・ピケットのビートルズカバーとは、この時代、ブリティッシュロックとソウルが相思相愛だったのを象徴してるようですね。

しかし、ホールはヒッピーを毛嫌いしてたせいで、オールマンの新しい音楽には懐疑的だったそうです。「奴はきっと売れるぞ」と周囲からの勧めにも乗らなかった。ホール曰く「逃がした獲物は大きかった(笑)」と相成りました。


さて、それから数年の後、1969年、リック・ホールに衝撃的な出来事が。アレサの一件以来、因縁のジェリー・ウェクスラーが、スワンパーズを引き抜き独立させて、先述のMSSスタジオを立ち上げるのです。そう、ウェクスラーはホールの右腕を横取りして、潰しにかかってきたと。ここで私はかなりムカついちゃいました。ウェクスラーがブルース、ソウル、ロックにとって、非常に重要な人物であったのは確かでしょうけど、やることが汚ねーぞ、糞ジジイ!とか、突っ込みたくなった。元々ウェクスラーはスタックスの社長と揉めて追い出されたから、ウィルソン・ピケットを連れてFAMEにやって来たくらいですから、性格に問題があったのかもね。これはまあ、あくまでも私の想像の範囲ですけど。と、完全にホールの味方で見てしまいましたよ。流石にホールも暖かく送り出すとは行きませんよね。

そして、MSSスタジオ設立後、中々ヒットが出ず、生みの苦しみの只中にいたスワンパーズを救ったのが、ローリング・ストーンズで先述の3曲(アルバム『スティッキー・フィンガーズ』)であったと。それ以降のヒット曲は数知れず、ジミー・クリフから得たアイランドレコード人脈でトラフィックと出合い、スワンパーズはツアーにまで同行することになりました。

一方のホールは、再び地元のミュージシャンをかき集め、3代目のフェイム・ギャングを育て、ヒットを出し続けました。こうして、2つのスタジオから、其々数多くの名作が生み出していきました。

と、ここまでで、やっと話が70年代なんですが、映画の最後の方では、リック・ホールとスワンパーズが仲良く一緒に喋ってる姿を見て、正直ホッとしました。スワンパーズの面々は、独立後大きな仕事をしてきたものの、相変わらずホールを師匠として尊敬し続け、ホールもそれを受け入れていたのです。一方のウェクスラーは2008年、映画完成より4年前に91歳で亡くなっていますので、ホールと和解していたのかどうか分かりません。但しホールは、ウェクスラーに酷く傷つけられた(本人はReject=拒絶と表現)ものの、「彼と組んだ事で道が開けた」と肯定的な話もしていたのは良かったです。

それから、リック・ホールの音楽以外での個人的なエピソードも語られていたのも、非常に興味深かったです。幼い頃に兄が事故(火傷)で死亡。それが原因で両親は離婚し、父1人子1人の極貧暮し。家の床は土で、藁のベッドにトイレもシャワーもない。貧し過ぎて、学校では友達が出来なかった。成人し最初の結婚では妻が交通事故死。後に最愛の父がトラクターの横転事故で死亡。

等々、私生活では辛いこと悲しいことの連続だったみたいなのですが、だからこそ音楽に打ち込むことが出来た、と肯定的に捉えていたのが印象的でした。ウェクスラーにスワンパーズを横取りされた一件でも、また一から始めて決して屈しなかったのは、音楽への愛情ゆえだと思います。

と言ったところで、かなり長ーーーーくなってしまいましたが、これでもまだ書き足りない位なんで、困ったものですな。余り聴き込んでないサザンロックの話は殆どスルーしてますし、ソウルでもまだまだ紹介したいアーティスト、曲が沢山あったのですが、最後に、先述したBBCドキュメンタリー『Dancin' In The Street - R.E.S.P.E.C.T』について。

Dancing in the Street "R.E.S.P.E.C.T" - Amazon UK
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と言うのも、この映画に出てくるジェリー・ウェクスラーとウィルソン・ピケットのインタビューが、このBBCの映像を使用してるみたいだからなんです。BBCのロック・ヒストリー番組『Dancing in the Street』は、昔NHKで放送(全部で12エピソードあるみたいですが、全てだったかは不明)されて、私はその一部(ビデオ→DVDにダビング)を所有しているのですが、久しぶりに見直したくなりました。ネット検索してみると、本国イギリスAmazon U.K.でも中古のVHSしか取り扱いが無いので、DVD化されていない様ですね。とても優れたロック・ドキュメンタリーですので、何とかDVD化してもらいたいところです。


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タグ: R&B ソウル 70年代

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Comment
この分野は詳しくないのですが
私の大好きなポール・サイモンもマッスルショールズへの敬愛があり『ひとりごと』などではそこらへんのサウンドにしたてていますがいい仕上がりですよ。
へ~、こんなドクメンタリーあったんですね。
情報ありがとうございます。
これは観ないといけませんね!

エタ・ジェイムスに興味を持たれたなら、映画「キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語」をオススメします。
映画の出来は平凡ですが、チェス・レコードの話なので、音楽ファンには楽しめる作品だと思います。
面白半分さんへ

> この分野は詳しくないのですが
> 私の大好きなポール・サイモンもマッスルショールズへの敬愛があり『ひとりごと』などではそこらへんのサウンドにしたてていますがいい仕上がりですよ。


ポール・サイモンの話も、ちょこっとだけ出てきますよ。ステイプル・シンガーズの『I'll Take You There』を聴いて、興味を持ってスタックスレコードに電話してきたのですが、バックが黒人ミュージシャンだと勘違いしてオファーしてきたそうです。

今回はかなり省いてしまったのですが、マッスル・ショールズにやってきたアーティスト達は皆、そこで何か開眼して帰って行ったようで、ポール・サイモンもその1人だったのですね。
バニーマンさんへ

> へ~、こんなドクメンタリーあったんですね。
> 情報ありがとうございます。
> これは観ないといけませんね!

はい、とってもオススメです。

> エタ・ジェイムスに興味を持たれたなら、映画「キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語」をオススメします。
> 映画の出来は平凡ですが、チェス・レコードの話なので、音楽ファンには楽しめる作品だと思います。

『キャデラック・レコード』はあちこちで良く目にしてて、ずっと気になってますので、いつか見てみたいと思います。
こんばんは

 1冊の本ができるくらいの大作ですね。
 数回に分けて読ませていただきました。

 ひとつの楽曲ができるまでのエピソードやバックグラウンドがよくわかりました。是非見たいと思います。
 
 音楽の世界がここ数年で大きく変化し、今や音楽が一人一人に配信される時代となりました。
 このドキュメンタリーを見るまで、小さな町の小さなスタジオで凄いミュージシャンたちが楽曲を作っていたことは世に知られてなかったですよね。
 恥ずかしながら私はyuccalinaさんから教えていただいて初めて知りました。
 この時実を後世に伝え残す意味でも画期的なドキュメンタリーですね。
 
mikitaka08さんへ

>  1冊の本ができるくらいの大作ですね。
>  数回に分けて読ませていただきました。

長文をお読みいただきありがとうございます。

>  ひとつの楽曲ができるまでのエピソードやバックグラウンドがよくわかりました。是非見たいと思います。
私もこれまで知らなかったことが沢山分かって、とても感動しました。

>  音楽の世界がここ数年で大きく変化し、今や音楽が一人一人に配信される時代となりました。
>  このドキュメンタリーを見るまで、小さな町の小さなスタジオで凄いミュージシャンたちが楽曲を作っていたことは世に知られてなかったですよね。
>  恥ずかしながら私はyuccalinaさんから教えていただいて初めて知りました。
>  この時実を後世に伝え残す意味でも画期的なドキュメンタリーですね。

このドキュメンタリーが素晴らしいのは、名曲の表看板であるアーティストだけでなく、裏で支えたスタジオミュージシャンやプロデューサーといった裏方にスポットを当てたことであり、だからこそ、その土地のもつ魅力を描くことが出来たんだと思います。是非ご覧くださいませ。
最新のエントリーからこちらに飛んだのですが、マッスル・ショールズ関連のドキュメンタリーがあるんですね!映像の世界もなんと広い。若き日のデュアン・オールマンも素敵(^O^)

最近ロック~ソウル系のスタジオを紹介した本を読みまして、その中でもマッスル・ショールズやスワンパーズ、フェームの名前が出てきました。

トッド・ラングレンの「サムシング・エニシング」がスタジオの生々しさがダイレクトに聴こえてくるので好きなアルバムなんですが、こうしてミュージシャン自身の証言があると、スタジオでアルバム選び、なんてのもしたくなりますね。
いたち野郎さんへ

> 最新のエントリーからこちらに飛んだのですが、マッスル・ショールズ関連のドキュメンタリーがあるんですね!映像の世界もなんと広い。若き日のデュアン・オールマンも素敵(^O^)
>
> 最近ロック~ソウル系のスタジオを紹介した本を読みまして、その中でもマッスル・ショールズやスワンパーズ、フェームの名前が出てきました。

はい、マッスルショールズ断然オススメなんです。土地の歴史や自然環境も伝えながら、スタジオに漂っていた良い「気の巡り」とかつい想像してしまうのは、ヨガをしてるからかもしれませんが。アーティスト達の感性と共鳴する何かが、きっとあったのでしょう。

> トッド・ラングレンの「サムシング・エニシング」がスタジオの生々しさがダイレクトに聴こえてくるので好きなアルバムなんですが、こうしてミュージシャン自身の証言があると、スタジオでアルバム選び、なんてのもしたくなりますね。
私もあのアルバム大好きです~!特に「You Left Me Sore」の出だしでミスって、ワンツーカウントでやり直しするとこが良いですよね。バラカン氏のライナーには、昔のレコードには録音したスタジオのクレジットは無かったそうです。60年代後半あたりから、皆が気付き始めるんですねえ。そんな歴史も面白いんです。


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☆黄金のメロディ マッスル・ショールズ(2013)  MUSCLE SHOALS 上映時間 : 111分 製作国 : アメリカ 監督:グレッグ・“フレディ”・キャマリア 撮影:アンソニー・アーレント 出演: リック・ホール アレサ・フランクリン ミック・ジャガー キース・リチャーズ ボノ アリシア・キーズ スティーヴ・ウィンウッ...
  • posted by バニーマン日記
  • 2015/07/21 22:02
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