プロフィール

yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

月別アーカイブ
リンク

ユッカリーナのヨガ的雑記帳


--/--/-- --:-- yuccalina

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2016/07/04 09:26 yuccalina

『浦和ミュージックサタデー』の思い出に添えて~Teardrop Explodes, Colour Field, Care, Colin Newman & Tom Verlaine

私にとって、どんな音楽を聴いてきたかは、どんな人と出会ってきたかの歴史でもあります。小6でベイ・シティ・ローラーズ旋風が日本にやってきて、そこからロック&ポップスを中心に、様々な音楽を聴いてきました。少し前に『YOUは何しに日本へ』を見てたら、”タータンチェックを着たおばさん集団が来日したレスリー・マッコーエンに群がる図”が出てきて、シミジミ思った。ローラーズが出発点にしては、私の着地点はかなりズレたもんだなあ、と。

ポストパンク、ニュー・ウェイヴにNYパンク、を経てワールド・ミュージックだの黒人音楽だのと聴くようになるには、様々な”注目すべき人々との出会い”があった訳です。自分の音楽遍歴に深く関わってる人々のことを記録しておこうと思いました。

で、私にとって一番大きな出会いだったのが、NHK浦和放送局のラジオ番組『浦和ミュージックサタデー』(以下”浦サタ”と略)のアシスタントをされていた、大蔵麻美(おおくらまみ)さんという女性です。

何年か前、番組名で検索して、ブログに書かれてる方を発見していました。

今から30年以上前、NHK-FMでは、土曜日の午後は関東の放送局ごとに独自の番組を組んでいました。私の住んでいた埼玉は「浦和ミュージックサタデー」と言う番組を放送していました。

歌謡曲・ニューミュージックの週、ロック・ポップスなど洋楽の週と、

2つの異なるプログラムを組んだ番組構成で、私は洋楽の週ばかりを聴いていました。かなりマニアックな曲をかける点では、水戸放送局の「ロック・タイム」と双璧だったのではないでしょうか?今まで聴いたことのないハードロック、プログレッシヴロックの曲がかかり、随分と勉強になりました・・・・・

浦和ミュージックサタデーの思い出~『パンクフロイドのブログ』より



私は当時東京の東端の町に住んでいて、埼玉県浦和と全く縁はありませんでしたが、購読していたFM雑誌の番組欄には、NHKFMのローカル各局が毎回載っていました。たまたま面白そうな特集があった時、試しに聞いてみたのがキッカケです。元々NHK-FMにローカル局があることすら知らなかった私ですので、運命的な出会いだったと思います。とにかく番組を聞いてみてビックリしました。それまでラジオのチャート番組やメジャーな音楽雑誌からの情報しかなかった高校2年生のユッカリーナにとって、正に未知の領域だった。オンエアーされていた曲の大半は、日本では殆ど紹介されてない、輸入盤からだったと思います。そして、もう一つスタジオが見学自由であるらしい、のにも興味をそそられました。その後、

リクエストハガキを書く→
読まれる→
2回目のリクエストに「スタジオに遊びに行っても良いのですか?」と質問→
「是非遊びに来てください」と返事→
女子高生ユッカリーナが埼玉県浦和に初上陸

と、この間約2ヵ月。行ってみるとバリトンヴォイスが渋い藤野アナウンサーと、ボーイッシュで知的な女性大蔵麻美さんの二人が番組を進めていたのですが、その他にハードロック担当のYさん、プログレ担当Dさん、ユーロポップ担当Kさんという方達(皆20代の男性)が選曲のお手伝いをしていました。彼等はそれぞれ仕事をしてたり、大学生だったりと、素人ではありながら、時々マイクの前に座り、お薦め曲の紹介をしていたのです。番組終了後は、彼等と7インチシングルのサンプル盤(=レコード会社から局に配布されたもの)争奪のジャンケンをしました。それが終わると、大蔵さんはスタッフを引き連れて、近くの喫茶店へ行くので一緒にどうか、と私を誘ってくださいました。ちなみに藤野アナはNHKの社員でしたから、番組後も局でお仕事だったようです。

で、喫茶店では終始音楽談義が展開されました。全く知らないアーティストの名前ばかりがバンバン出てくる。でもそれで、まんまとハマってしまった訳ですね。その後も私は隔週の土曜日、浦和へせっせと通うようになり、それは短大卒業までの4年(1981~1985)ほど続きました。

ここで重要なのは、大蔵さんが担当していたのがジャンルで言えばニューウェイヴだったこと。

それまでチャート番組で紹介される曲や、時々図書館で借りてくる少し古めのロックのレコードくらいしか聴いていなかったワタクシの趣向に大きな影響を与えた訳です。大蔵さんはよく自分で買ってきた輸入盤レコードを貸してくれたりもしましたので。

こんな音楽もあったんか~~?

といつも唸ってました。丁度ラフトレードや4ADと言ったイギリスのインディーズが日本上陸した頃で、ピッグ・バッグやリップ・リグ&パニック、バウハウスのレコードも大蔵さんに貸してもらったけなあ。まだお小遣いが少ない筈の高校生が、色々と新しい音楽を聴けたのも、すべては浦サタと大蔵さんのお蔭でした。

そして何よりも大きかったのは、高校生活に飽き飽きしてた、っつーか勉強に着いていけずに腐っていた私にとって、浦サタでの時間が唯一の楽しみだったことです。2週間に1度の楽しみの為に、つまらない学校も我慢出来た。まあ、時々は本当に我慢ならなくて、授業をさぼったりしたけど。それまで、学校に行けばお喋りする友達はいましたが、浦和に通うようになってからは、同級生とは殆ど遊ばなくなりました。学校の外に知り合いがいることに、優越感みたいなものがあったかもしれませんぐ。

さて、大蔵さんの影響でニューウェイヴにハマりだしたワタクシは、サウンド・ストリート(火・坂本龍一、金・渋谷陽一)を聴き始めたり、ロッキング・オンやフールズ・メイトを読んだり、御茶ノ水のCISCO=輸入レコード店に通ったりしては、色々と情報を仕入れる様になりました。浦サタの番組が始まる前に、自分が探してきた”良い曲”を大蔵さんに聴いてもらって、キニイッテもらえれば番組内でかけてもらえる様になったからです。

そんな訳で、私が輸入レコードを持参して、採用してもらった曲の中から、思い出深いものをいくつか紹介しますね。

先ずはティアドロップ・エクスプローズの『You Disappear From View』。



私はエコー&ザ・バニーマンを先に好きになったのですが、彼らの兄弟バンドらしい、と雑誌『Zig Zag East』で知った私は、このラストシングルを買ったのですた。で、その後ジュリアン・コープにハマったのは、大蔵さんから”いいね!”と言ってもらえたのと無関係ではないと思います。

で、ジュリアンは勿論のこと、ティアドロップ絡みのバンドも探るようになった中で、一番好きだったんは、イアン・ブロウディとポール・シンプソンのデュオ、ケアーです。



この『Whatever Possessed You』は、後にネオアコ好きからも親しまれたのではないでしょうか?

お次はカラーフィールド。スペシャルズ~ファン・ボーイ・スリーを経たテリー・ホールのバンド。



PVがあったなんて、当時は知らんかったな~~。

一方、コリン・ニューマンは渋谷陽一のサウンド・ストリートで紹介されてて、興味を持ったアーティストです。



意外とポップでビックリしました。その後、社会人になってレコードを沢山買えるようになり、『A-Z』『Commercial Suicide』、ワイヤーのアルバム等も愛聴しておりますたわ。

さてさて、最初はレコード持ってくるだけだったワタクシも、いつしか番組でちょっと喋らせてもらったりしましたが、一度録音したのを聴いて、

なんじゃこりゃ~~?

と頭を抱えますた。スピードワゴンのセカオザよりも酷いボソボソで、「あ~」、だの、「え~と」、ばかりでそれはそれは酷かった。

それでも、大好きなトム・ヴァーレイン特集までさせてもらったっちゃったりして、、。丁度4枚目のアルバム『Cover』が出た少し後でした。特に好きだったのが『Swin』でね、、



冒頭の犬の声をバックに、ボソボソ語るトムに萌え~~だったんですわ。

ところで、先に紹介したパンクフロイドさんの記事にも載ってるのですが、浦サタでは『NOVA』と言うミニコミを作っておりました。リクエストハガキをくれたリスナーで住所氏名のある方々に、一方的に送ってただけなんですが、結構喜ばれていたと記憶しています。

こう言った活動から、私が将来音楽雑誌の仕事をしたい、と思う様になったのは自然の成り行きだったかもしれません。大蔵さんが音楽出版社大手のR社(ロッキング・オンではありませんぐ)で結構重要なポストだったらしい、のも関係しています。しかし、短大2年の時、大蔵さんに「就職どうするの?」と聞かれて、本当は「どこか音楽雑誌で働かせてもらえませんか?」と頼みたかったのに、出来ませんでした。多分、覚悟がなかったんだと思います。もし、頼みを聞いてもらえても、最初はアルバイトからになるでしょう。親を説得してでもやるんだ、という気持ちがなかったと。

以前、宝島でちょっとだけバイトした話(コチラ)を書きましたけど、あそこでの失敗で自信を失くしてたのも、無関係でない気がします。ちなみに宝島を紹介してくれた友人のS君は浦サタと別ルートで知り合いましたが、間接的に関係はありました。私は先述のミニコミ『NOVA』をS君に読んでもらい「文章がポップで面白い」からと、バイトに誘ってもらったからです。

で、話は戻りますが、私は大蔵さんに何も言えずに、何となく憧れてたいくつかのアパレル企業を受けて不採用。たまたま父が新聞で見つけた某コンビニ会社に、何とか合格してそこに入社しました。しかし、週休二日制でなかった為、就職と同時に浦サタともお別れの時が来たのです。

しかし、しばらくしてから、”浦サタのスタッフだったYさんとSさんの二人が、大蔵さんの口利きで某雑誌のアルバイトをしてる”話を耳にした私は、正直心穏やかではありませんでした。

やっぱり頼んでみれば良かったのかな、、、

と、当時はちょっぴり後悔したと。でも、その後の自分の歩みを思えば、全く悔いはないです。

自分にとって、「これだ!」という確信がなかったから、そうしなかった、そうならなかったのだと思うからです。

でも、大蔵さんからの影響は、今でも色んなところで感じています。音楽だけでなく、いつもIssey Miyakeの服を、カッコ良く着こなしていて、「私も大人になったらイッセイの服着たい~~」と思いながら見てました。で、その10数年後、イッセイ本体ではないですけど、その流れであるZuccaやI.S.(後のTsumori Chisato)の服を愛用するようになった訳ですから。、

ともあれ、10代の多感な時期に、「自分もああなりたい」と憧れる女性と出会えたのは、とてもラッキーだったんだな、と思うのです。大蔵さん、今どうしているのかなあ、浦サタと一緒に検索してみましたけど、残念ながらそれらしき情報は見つかりませんでした。結婚して名前が変わっちゃったのかもしれませんね。



お読み頂きありがとうございました。
↓宜しかったらポチお願い致しますm(__)m

blogram投票ボタン
関連記事
スポンサーサイト

タグ: 80年代 NYパンク ジュリアン・コープ トム・ヴァ―レイン

テーマ:洋楽ロック - ジャンル:音楽

星の原っぱで会いませう~『Musica En Compostela』向島ゆり子+関島岳郎+中尾勘二 | ホーム | 日日草&ルドベキア購入とネジバナ泥棒
Comment
yuccalina さん、こんばんは。
とても興味深く読ませて頂きました。
大蔵さんは、yuccalina さんが音楽雑誌の業界でやっていく感性のある方だと思われたんでしょうね。
でなければ、「就職はどうするのか?」なんてお聞きにならなかったでしょうから。

私が通っていた高校は、相当自由な校風があったのですが、私も高校の中におとなしくしているのが嫌だったのを思い出しました。
浦和にそんなありがたいラジオ番組があったんですね!
昨年近辺に移住して来まして、時々チャリで遊びに行ってますよ〜


ユッカリーナさんとの起点がB.C.R.と同じでも、僕のところのローカル局ではメジャーなヒット曲ばかりしか流してもらえませんでした。
リクエストハガキに「スロッビング・グリッスル」とか書いても、ねえ…。
なのであの頃は民放の『全英TOP20』などをなんとかチューニング合わせしつつ、夜中に耳をそばだてながら聴いていましたっけ。

それにしても特集を組んで喋らせてもらったり、ミニコミまで発行していたなんて、音楽好きで熱心なリスナーに強く支持されていたんでしょうね。
今はこうしてユッカリーナさんがブログという媒体で発信されて、僕もまたいろんな発見があったり楽しませていただいてます♪
Arianeさんへ

> とても興味深く読ませて頂きました。
> 大蔵さんは、yuccalina さんが音楽雑誌の業界でやっていく感性のある方だと思われたんでしょうね。
> でなければ、「就職はどうするのか?」なんてお聞きにならなかったでしょうから。
>
> 私が通っていた高校は、相当自由な校風があったのですが、私も高校の中におとなしくしているのが嫌だったのを思い出しました。

ありがとうございます。
でも、大蔵さんが就職について聞いてくれたのは、社交辞令だったかと思っています。他にも学生のスタッフは複数いて、皆に聞いてたと記憶してますので(^-^;

ちなみに、ウチの学校は公立でしたが、バイト禁止でしたので、自由ではなかったです。そして真面目な生徒が多かったんです。
まユタンぽさんへ

> 浦和にそんなありがたいラジオ番組があったんですね!
> 昨年近辺に移住して来まして、時々チャリで遊びに行ってますよ〜
おおっ、ご近所とは奇遇ですね。
まだ公開放送とかしてるのかしらん。

> ユッカリーナさんとの起点がB.C.R.と同じでも、僕のところのローカル局ではメジャーなヒット曲ばかりしか流してもらえませんでした。
> リクエストハガキに「スロッビング・グリッスル」とか書いても、ねえ…。
> なのであの頃は民放の『全英TOP20』などをなんとかチューニング合わせしつつ、夜中に耳をそばだてながら聴いていましたっけ。
>
> それにしても特集を組んで喋らせてもらったり、ミニコミまで発行していたなんて、音楽好きで熱心なリスナーに強く支持されていたんでしょうね。
> 今はこうしてユッカリーナさんがブログという媒体で発信されて、僕もまたいろんな発見があったり楽しませていただいてます♪

浦サタとの出会いがなければ、今聴いてる音楽も違ってたでしょうし、ブログもやっていなかったかもしれませんぐ。

ちなみに、スロッピング・グリッスルがかかったかどうか覚えておりませんぐが、サイキックTVやアインストゥルツェンデ・ノイバウテン(読み方オッケー?)がオンエアーされたのは覚えてます。インダストリアル系好きなスタッフがいて、私も影響受けますた。
全英20懐かしいですにゃー!憲章さんとスヌーピーのですよね?ツバキハウスのロンドンナイトも良く行ってますた。
こんばんは。

へ~、実に貴重な経験をされていたんですね。
かなり羨ましい(笑)
でもリクエストを書くこと自体が面倒!?な僕にはありえない経験です。

その後の人生に後悔されてないのは良いですね。
バニーマンさんへ

> へ~、実に貴重な経験をされていたんですね。
> かなり羨ましい(笑)
> でもリクエストを書くこと自体が面倒!?な僕にはありえない経験です。
>
> その後の人生に後悔されてないのは良いですね。


まー、多分それと引き換えに、高校生らしい青春の思い出みたいのが無い様な気がしますが、、、。
リクエストは結構あちこちに書いてましたが、一番頑張ったのは、ビートたけしのオールナイトニッポンです。
ハガキ職人目指してましたw
ユッカリーナさま
はじめまして。
大蔵さんの名前を検索していてたどり着きました。
私も高校時代に浦サタ洋楽週に遊びに行っていたので大変懐かしく読ませていただきました。
(スタジオでお会いしてるのかも!?)
詳細に覚えられていて凄いです!
たまに彼らの名前を検索してみるのですが
皆さんお元気なんでしょうかねえ……
ゆきさんへ

> はじめまして。
> 大蔵さんの名前を検索していてたどり着きました。
> 私も高校時代に浦サタ洋楽週に遊びに行っていたので大変懐かしく読ませていただきました。
> (スタジオでお会いしてるのかも!?)
> 詳細に覚えられていて凄いです!
> たまに彼らの名前を検索してみるのですが
> 皆さんお元気なんでしょうかねえ……


コメントありがとうございます。とても嬉しいです~~\(^O^)/
ゆきさんはもしかしたらヘビメタ好きの女子高生でしたか?
スタジオでスタッフの皆さんと撮った写真に写ってませんでしたか?
だったら、1か2回会ってると思いますが、人違いだったらごめんなさいm(__)m
本文にも書いてますが、当時は学校生活が詰まらなかったので、浦サタでのことは凄くよく覚えてて、その後の人生にも大きな影響があったと思っております。私も浦サタと覚えてたスタッフの名前は一通りググってみましたが、引用してるパンクフロイドさんの記事以外はヒットしませんでした。
ユッカリーナさま

お返事ありがとうございます。
そうです、ゆきだるまとゆーペンネームで
リクエストしていましたー。
ユッカリーナさまと違って私は
あいつのリクエストはミーハーで選びにくいと
Yさんに言われていたらしいです(笑)。

あの頃のことは定期的に思い出すのですが、
今朝乗った電車の車掌さんの声が藤野アナの
声にとても似ていて、
ああ、そういえば皆さん元気かなーと気まぐれに
検索をかけてみたのです。
こちらのページにたどり着けて良かったです。
懐かしいお話をどうもありがとうございました!

ゆきさんへ

> お返事ありがとうございます。
> そうです、ゆきだるまとゆーペンネームで
> リクエストしていましたー。
> ユッカリーナさまと違って私は
> あいつのリクエストはミーハーで選びにくいと
> Yさんに言われていたらしいです(笑)。
>
> あの頃のことは定期的に思い出すのですが、
> 今朝乗った電車の車掌さんの声が藤野アナの
> 声にとても似ていて、
> ああ、そういえば皆さん元気かなーと気まぐれに
> 検索をかけてみたのです。
> こちらのページにたどり着けて良かったです。
> 懐かしいお話をどうもありがとうございました!


やっぱりそうでしたか。写真を撮ったのは、多分私が行かなくなる半年前くらいだと思います。

Yさんはツンデレでしたから、私もよく弄られてましたよ(^^;)

途中でアナウンサーが藤野さんから別の若い方に変わった筈なのですが、残念ながら名前が思い出せませんでした。浦サタと言うとやはり藤野さんの渋い声を思い出します。


Trackback
この記事のトラックバックURL
http://notarinotariyoga.blog.fc2.com/tb.php/1182-71cef536
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
ご訪問ありがとうございます
最新記事
最新コメント
カテゴリ
検索フォーム
最新トラックバック
ユーザータグ
フリーエリア
RSSリンクの表示
Web page translation
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。