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yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

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ユッカリーナのヨガ的雑記帳


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2016/04/28 08:40 yuccalina

町田樹と哲学と日常~不定期便『哲子な部屋』その1

氷上の哲学者と呼ばれるフィギュアスケーター町田樹さんの影響で、それまで私には全く無縁だった哲学が、ほんの少し近づいた頃、偶然にもブログを通じて、哲学のプロフェッショナルの方と交流する機会を得ることが出来ました。

そもそも哲学とは何かという基本的なことすら知らなかった私ですが、その方と知り合ったことで、私の様な一塊の主婦の日常生活の中でも、非常に大切なことなのではないか、と思い始めました。そして、何故、町田樹が氷上の哲学者と呼ばれるのか、本当の意味が分かったような気がします。

別に、まっちーは難解なワードや言い回しで、小難しい事を語ってるから、哲学的なのではありません。

以下はその哲学研究者、岡野さんのブログから引用したものです。それほど長文ではありませんので、是非全文を読んで頂きたいところですが、私が重要と感じた部分を抜粋し、更に下線を引きました。

日本人に<思考力>が求められる時代 『神秘主義哲学の立場から』より

ものを考えるという事、価値観や世界観という事を扱うのが哲学ですので、本当は哲学は、皆に関係のあるものだと思います。

皆が、自分個人の欲求的、感情的視点を持ち寄るだけですと、最終的に、その社会は何処に行ってしまうのか分かりません。また、逆に特定の利益を追求するために、社会全体を損なわせることになる言論誘導に、大衆自身が気づかず、それを支持するようでは問題があります。

伝統的秩序のもつ機能に頼ることが難しくなってしまった今日ほど、日本人に<思考力>が求められる時代はないのではないでしょうか。目先の利便性などに捉われて「下手な考え」で世の中を改変していこうとする人たちに、したいようにさせていては危険です。国民一人ひとりが、そうした人々の言動を冷静に見極めることができるよう、本当の<思考力>を鍛える必要が出てきました

社会の全体を良くしていくために要求されるのは、私は<哲学的思考>だと思います。『哲学とは何か』のカテゴリで書きましたが、それは<利害>を求めて行われる思考ではなく、<真実>を求めて行われる思考なのです。それは、自己を超えた純公共的な視点からなされる総合的、現実的な思考であり、また問題の根源を掘り下げてみる思考です。様々な情報を綜合し、精査し、真実を追求し、理想だけではなく現実を視野に入れ、大局を見ていけるような<思考力>が、日本人に必要になっていると思います。



哲学とは真実の追求であり、社会を築く為には哲学的な思考は必要不可欠なのですね。

で、一見自己の世界に埋没していそうなフィギュアスケートにおいて、自分の中のフィギュアスケートだけでなく、フィギュアスケートの中の自分を、理想だけでなく現実を見据えながら追求しているからこそ、町田樹は氷上の哲学者と呼ばれるのだなあ、と気が付いた次第です。

さて、真実の追求とはとても重い言葉ではありますが、この情報社会の中で、私達は常にデマや情報操作に晒されていることは、意識しておいた方が良さそう。ですから、自分の目で確かめられない事には、常に細心の注意を払いたいもの。その為には一方の意見だけで、物事を判断すべきではないと思います。

そう言う意味で、何か問題が起きたとき、様々な意見が平等には情報提供されるべきですが、マスコミはそれを果たしているのかどうか。一方で、ネットには常に怪しげな情報が渦巻き、平気でデマを流す人間もいたりします。そういう環境の中で、自分の頭で思考せずに、簡単に誰かの意見に追従するのはとても危険なのでしょう。

岡野さんは別の記事(『哲学とは何か』最終回 ~ 私たちの日常における<無にして見る思考> ~ )で、哲学的思考をする上で大切なのは、

ドクサ(思い込み)を捨ててエポケー(判断停止)をすること

と書いております。エポケーとは物事の本質を見極めるには、ありのままをただ見つめ結論を急ぐなということで、その為には思い込みを捨てなければいかんのですね。

東北の時にもありましたけど、今般の熊本大分の震災でも、人々を惑わす情報を垂れ流す人間がいることを、とても悲しく思います。また、マスコミは震災報道に絡めて、別の話に誘導する意図がアリアリだったりもします。こう言った非常事の時こそ、本当に必要なことはなんなのかを、利害を抜きにして考えないといけないのでしょうね。

さて、哲学若葉マークの私ではありますが、これまでテーマとしてきたヨガや仏教とも通じる部分がありそう。例えば、ヨガにおいて、

自分を枠にはめずに、今ここにある自分を見つめること

と言われることがよくありますが、そうするためには自分を客観視する工程が必ず必要になります。ヨガのアサナ(ポーズ)をしながら、自分の体の状態や心の状態を外側から観察するのです。今、気が付いたんですけど、先述のドクサ=思い込みを捨てて、エポケー=判断停止する、と非常に近いものを感じます。

で、凝り固まった自分の価値観から離れて物事を見つめるという作業は、日常生活でも行うことが出来ます。私がよくヨガクラスで教えられたのは

買い物をする時等、それが本当に自分の欲しいものなのか、必要なものなのか、一度立ち止まって考えてみましょう。

以前、ファッションの記事で少し書いたことがありますが、私が大々的なバーゲンセールに殆ど行かないのは、雰囲気に煽られて立ち止まって考える時間を与えてもらえないからです。そこでは、”必要だから欲しい”よりも”得をしたい”というヨコシマな考えがふと過ぎって、しょうもないものを掴んでしまうことがが、、、。お店のお姉さん&お兄さん達が「お買い得」を連呼してる訳ですから、見事に煽りに乗ってしまったのでしょう。

とか言う話が哲学的とは、勿論言いませんが、こうした一つの個人的な欲求にしても、まやかしがあると言うことです。本当の欲求とは達成されたときに満足感だけを得られるが、まやかしの欲求には罪悪感だけしか残らないそうですよ。私も色々と身に覚えがありますです(*´~`*)

それと、去年の秋に哲学者ハンナ・アーレントの伝記映画を見ることになったのも(記事はコチラ)、このような出会いがあったからこそと思っています。ここでは詳しくは書きませんが、アーレントの言葉、

私が望むのは考えることで人間が強くなることです。
危機的状況にあっても、考え抜くことで、破滅に至らぬよう。


と言う言葉は、今でも胸に深く刺さっています。

そんな訳で、今後も岡野さんのブログを参照しつつ、日常に繋がるお話を紹介していけたらなと思っております。


お読み頂きありがとうございました。
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タグ: 町田樹 ヨガ

テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

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