プロフィール

yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

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ユッカリーナのヨガ的雑記帳


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2014/01/04 11:28 yuccalina

フォーリーブスと悪夢

皆様、明けましておめでとうごさいま~す。新年一発目は夢のお話にします。初夢はどんなだったかなんて、年と共に気にしなくなってきましたが、富士山も鷹もナスビも、今まで一度も出てきたことないのは、確かなようですな。

年初に相応しくない話かもしれませんが、夢と言っても初夢じゃなくて、子供時代の悪夢パート2です。パート1は「迷子と悪夢」と言う記事に書きましたが、家族から置き去りにされて泣きわめく夢でした。そして、今回は悪夢の定番とも言えるかもしれませんね。誰かに追われる夢です。

ここでちょっと話が逸れますが、以前「ホンマでっかTV」で人間性診断を受けた椎名桔平が、「臆病なのにそうでないふりをしている人」と言われていたことがあります。その根拠となったテストの一つが、子供の頃のエピソードを語らせることだったのですが、そこで、ウワーッ!私と同じじゃーーん!となりました。心理学の植木先生曰く、「過去の出来事を事細かく記憶している人は臆病者」なんだそうです。その通りですよっ!私は物心ついた頃には既に手掌多汗症でした。事ある毎に掌を汗でビッショリにしながらの日々でした。超怖がり屋さんでした。

子供は経験も知識も少ないから、怖い物が多いのは当たり前、子供は変なものを怖がりますが、私がよく憶えているのはフォーリーブスに恐怖した悪夢なのです。私と同年代でフォーリーブスをご存知の方なら、何でやねん?と突っ込みたくなるでしょうね。1970年代大人気のアイドルグループでしたから。それは、

4人のお兄さん達が何故か私を追いかけてきて、捕まえると一言。
「僕から逃げようったってダメさ、だって地球は丸いんだもん」

これが延々繰り返されるという夢でした。このセリフはフォーリーブス1971年のヒット曲「地球はひとつ」の冒頭部分、歌い出しの前に、江木俊夫がニコニコしながら言うんですよね。私は当時6歳。この言葉にどこか怖いものを感じてたんでしょうねえ。今思えばストーカーの台詞に聞こえなくもない?

んで、ユッカリーナ6歳はおにーさん達にただひたすら追いかけられるだけの夢に、何故それ程恐怖を感じたのか。思うに、丁度その頃、私は誘拐未遂にあったことがあるんですよ。町中で知らないおじさんに手を引っ張られたことが。白昼堂々の出来事で、私が騒ぎだした為おじさんは逃げてしまいましが、かなり怖かった。多分その経験も入り交じっての悪夢だったのでしょうね。その後テレビにフォーリーブスが出てくる度に、私はトイレに行ったり目を逸らしたりして、ひたすら見ない様にしていたのでした。ちなみに怖い夢を見るから眠るのが怖い、という当時の悩みが父親の助言で解決したことは、先の「迷子と悪夢」の中で既に書きましたが、夢の中で不気味に思えたフォーリーブスを、やはり好きにはなれませんでした。

この話は10数年前に友人のNちゃんに話したことがあります。10歳年下の彼女はフォーリーブスを全く知らず、その歌のセリフもあいまって「ウケる~」と完全に笑い話になりました。ま、私も半分笑い話として喋ったのですが。そして、その何年か後にフォーリーブスの再結成がワイドショーの話題になった際、「テレビにフォーリーブスが出てて、ゆかりちゃんの話を思い出して笑っちゃったー」とのメールが来ました。

ムムッ!私の夢のせいでNちゃんに「ストーカーみたいな歌を歌ってる人達」という変な意識を植え付けてしまったかも?と少々焦りました。そんなことも思い出して、ホントはどんな歌だったんだろう?改めて聴いてみましたよ。

<「ブルドッグ」とメドレーになってます>


こ、これは!歌詞を全部聞いてみれば、実は全然ストーカーの歌ではなかったんですね。地球は1つしかないから私たち皆で大切にしましょう的、地球讃歌って感じ?冒頭のセリフはファンサービスみたいなもんだったのでしょうか?ゴメンよフォーリーブス。わたしゃー、長い間誤解してたよ。歌詞を書いた天国の北公次にも謝るよ。でも、6歳の子供が思ったことだから、きっと許してくれるわよね?

しかし、まだ男の子への興味もなかった私にとっては、なんか怖いこと言ってると受け取ったセリフも、お年頃の女子にとってはコーフンするものだったんでしょうかねえ。私と同じ様な夢を見ては、恐怖どころか狂喜してた女子が沢山いたのかもしれせんね。まー、全ては私が臆病者であるが故の悪夢な訳で、その十数年後カフカの「変身」を読んだ日に「自分が虫になる夢」を見ました。20歳を過ぎても、基本臆病者であることは変わりませんでしたわ、トホホ。



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タグ: ホンマでっかTV

テーマ:夢と睡眠 - ジャンル:ヘルス・ダイエット

2013/11/21 08:20 yuccalina

人が絵を描く理由~障害者アートと愛犬の思い出

わが家では、家のカレンダーは障害者アートもの2種類を、毎年購入して貼っています。1つは自治体の特別支援連盟で発行している「ふれあいカレンダー」で、特別支援学校及び学級の小中学生の絵を使用したもの。そして、もう1つはきょうされんの「働く仲間たちのうた」。きょうされんについては、以前こちらの記事で、障害者アートのグッズを紹介しておりますので、興味のある方は、合わせてご覧いただけると嬉しいです。

冬の訪れが近くなってきたところで、秋を思わせる各々の11月の絵を紹介しておこうかと思います。「ふれあい」の方は食欲の秋にちなんでか、「バイキングおいしかったよ」です。中央に存在感タップリの美味しい顔がドドーンと配置され、周りには食べ物が描かれるシンプルな構図ですが、元気で素直で分かりやすくて、それでいて色使いがちょっぴりしゃれおつじゃありませんか?

calender1.jpg

一方の「働く仲間カレンダー」ですが、ズバリ紅葉ですね。タイトルは「こうえん」で、作者は秋田の方のようです。私は一度だけ秋田の紅葉を見たことがあるのですが、それはそれは美しかったのを覚えています。あのような美しい光景を見て育った方ならではの色使いではないかと思います。

calender2.jpg

規則正しく描かれた葉っぱ達は、作者の性格を表していそうですね。言葉で自分を上手く表現出来ない人が、絵を描くと雄弁に自己表現が出来るのは、障害者に限った話ではないのかもしれません。私も子供の頃は絵を描くのが大好きでした。今回、人は何故絵を描くのか、と大仰なタイトルをつけてしまいましたが、ここから先は、自分がなんとなく思っていることを書いておきたいと思います。

以前、今はなきタカトシの番組「ほこたて」で、「写真そっくりに描く画家と、どんなニセ写真でも見破る達人の対決」というのがあって、ゲストの伊勢谷友介がいきなりこんな事を言いました。

写真ソックリに描く理由ことに何の意味があるの?写真があればすむことじゃない。

そんなこと言ったら、番組が成り立たない、と司会のトシが慌てていましたが、実は私、伊勢谷友介と全く同じ意見でした。何故かと言えば、それは以前早川義夫の話で書いたので(こちら)、ここでは簡単に言っときますが、絵にしろ、歌にしろ、はたまた漫才にしろ、単に「上手い」と思わせるだけのものは、物足りない、ってことですね。私は別に写実的であることを否定してるんじゃないです。ただ、写実主義は手段であって目的ではないと思うんですよね。実物とそっくりに描こうとすることの先にあるのが、「見る人が写真かと思って驚く」だけでは、絵としてどうなんだろう?「写真ソックリで凄い」絵とは、「技術的に上手い」以上に感じるものがない。私はあまり興味が持てなくて、もっと描いた対象への思いとかを、感じたいのです。

さて、ここからは私の思い出話を。小さい頃からお絵描きは好きでしたが、小学校の高学年になると、美術室で専任教師が教えるようになり、益々好きになりました。顎にヒゲをたくわえ、いかにもゲージツ家っぽい風貌の先生は体が弱かったらしいのですが、いつも課題を伝えるとサッサと準備室に引っ込んでしまい、読書しているような人でした。出来上がった子から順次作品を見せに準備室へ行きます。そこで、先生は何を描いたのかとか、生徒に説明は求めるものの、手を加えたり、あーしこーしろとの指図は一切しませんでした。要するに子供の自由に描かせていたのです。

多分私の絵は先生のシュミに合ったのでしょう。小学校時代はずっと良い成績を貰いました。お勉強があまり好きでなかったので、余計に絵が好きになったと思います。喋りもイマイチ、読み書きも得意でなかったので、自然の成り行きだったと思います。

ところが、中学から状況は一変しました。美術教師はヒステリー気味の中年女性で、人の描いた絵にバンバン手直しを入れてきて、愕然としました。段々と気持ちが絵から離れていきました。それでも、プライベートでは時々イラストを描いたりしていて、雑誌の読者欄に好きなアーティストのイラストを描いて送り、ちょっとした謝礼を貰うのを趣味みたいにしていました。

しかし、決定的に離れたのは、文章を書くことに目覚めてからです。今では毎日活字を読んだり、ブログの文章を書くのは日課のようになってしまいました。思っていること感じていることを文章で表現できるようになった現在では、絵を描く必要性がなくなってしまったのかもしれません。

ここで、話がちょっと逸れますが、先日、昔の写真を整理していた折、実家で買っていたビーグル犬、ホルガーの写真も沢山出てきました。ホルガーと言う名前の由来は既に(こちら)書きました。生後4ヶ月から15歳で亡くなるまでです。

<生後4ヵ月のイタズラ盛り>
holger4.jpg

<4歳頃。外で飼ってたのですが、時々家に上げていました。>
holger3.jpg

<6歳頃、シクラメンの花と>
holger1.jpg

おバカだったけど愛嬌があって、沢山の人から可愛がられたホルガーは、もしかしたらトモローの前世かもね、と思うことがあります。そんなホルガーを画いた油彩の写真も残っていました。1991年、姉が嫁に出る時にプレゼントして、今でも姉宅の玄関に飾ってもらっています。

holger2.jpg

只々、可愛いホルガーを描きたくて、描いた絵です。初めての油彩であり、もしかしたら最後であるかもしれませんが、この先の人生で再び筆を持ちたくなる日がくるかどうか、それは分かりません。


最後に、先の早川義夫の話の中に出てきた、熊谷守一画伯の言葉をここで再び紹介します。

下品な人は下品な絵をかきなさい。
ばかな人はばかな絵をかきなさい。
下手な人は下手な絵をかきなさい。


絵を描くことは人格を描くことであり、ブラックマヨネーズ吉田が漫才で出したいのは人間性、と言ったのとも符号する、ってな事を、かつて私は書いてたんですね。

今もやってるか分かりませんが「ぷっすま」という番組の企画で、「絵心クイズ」と言うのがあって、私は草剪剛くんの描く絵が大好きだったんです。お世辞にも上手とは言えないのですが、味があると言いましょうか、何を描いても草剪くんのだなと分かる。私もそういう絵を、いつか描いてみたいですわ。


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2013/11/18 10:30 yuccalina

迷子と悪夢

自閉症児によく見られる多動性は、全ての子供に当てはまる訳ではありません。トモローは自力歩行も1歳半と遅めでしたし、これまで何度も書いてきた通り、掌の過敏症の為に手もあまり使わない、相当大人しい子でした。あらゆる事に恐怖心が強かったのだろうと、今では想像がつきますが、当時は「何でなにもしないの?」と焦っていた私。外で歩くのも怖かったのか、抱っこやおんぶばかりの毎日に、苛々することも多かったです。3歳で療育施設に通い始めてから、ちょっとずつ自力で歩いてくれるようになりましたが、ある時、私から体を離して歩くのが怖いのかも?と思い立ち、手を繋げないならと、トモローの背中に私の体がビッタリ着くように後ろに立って両肩に手を置き、左右の足を誘導する様にしたりしました。これは、結構効果がありました。安心出来たのかもしれません。

そんな感じでしたので、出掛けた先でトモローを見失って迷子、という経験も殆どありません。また、私自身もブログの紹介文に「注意力欠陥」と記してはいますが、多動性はないので、ADHDではなくADD傾向かなと思っています。忘れ物や紛失物が多く片付けが下手、気分にムラがあってダラダラしてしまうことが多いのは、 子供の頃から根本的には、あまり変わっていない気がします。

今回は、そんな私が3歳で迷子になった時の話ですが、当然自ら何処かへ走ってって、迷ったのではありません。2歳上の姉を含め近所のお友達4、5人で遊んでいた時のこと。一番年下の私は小さくてトロかったこともあり、ある時皆が私を置いてきぼりにして、何処かへ走って逃げてしまったのです。私は三輪車を一生懸命漕いで、泣きながら追いかけたのですが、皆はどこかに消えてしまいました。そこから先の記憶は全くないのですが、私はそのまま三輪車に乗って、最寄駅前の商店街まで行ってしまったそうです。大体、大人の足で徒歩10分くらいの距離でしょうか。そこで、踏み切りを三輪車で行ったり来たりするユッカリーナ3歳の姿を、どこかのお店のおばさんが見つけて、交番に連れていったと。そこから、また記憶が甦るのですが、おまわりさんは優しくて大きなお煎餅をくれました。名前を答えられたのかどうかは、全く覚えていないのですが、三輪車を漕ぎすぎて、相当お腹が空いていたんでしょうね。

<三輪車で遊ぶユッカリーナ3歳>
yuccalina20.jpg
yuccalina21.jpg

その後、交番に届出た母の元に無事に戻ったのですが、母は警察官から厳しく叱責されたそうです。そして、姉が母に叱られたかどうかは知りませんが、母が言うことには「あれ以来ゆかりの面倒を良くみるようになった」そうなので、姉もきっと心を傷めたことでしょう。

私の記憶は、その後に家族で繰り返された思い出話によって、定着した部分が大きいとは思いますが、実はこの迷子事件の後に度々見るようになった、悪夢によるところもかなりありそうです。その悪夢とは、

両親と姉と家族4人で、どこかへお出掛けするのですが、私だけ小さな三輪車に乗り、他の3人は自転車でグングンスピードを上げて、先を行ってしまいます。私は泣きながら必死に三輪車を漕ぐのですが、やがて3人とも見えなくなったのでした。おとーさーん、おかーさーん、おねーちゃーん!どんなに叫んでも、声は届かないのです。

そこで、目が覚めて、ガバッと起き上がると、何時も枕がグッショリなくらい泣いてました。後年気が付いたのですが、やはり迷子になる前段階の、置いてけぼりを食ったのが相当なショックだったのでしょうね。幸いにも家族との関係は良好でしたので、実生活でそんな心配をする場面は全く無かったのですが、何か不安を感じている時に、似たような夢を度々見たのです。夢の中では私だけいつも3歳くらいでした。

この悪夢の話は、これまで誰にも話したことはありません。それでも、父には一度「怖い夢を見るから、寝るのが怖い」と話したことがあり、こう助言してくれました。

夢は覚めたら終わって無くなっちゃうから大丈夫、と思って寝ると良いよ。

多分小学校の低学年頃だったと思いますが、これは中々有効でした。上手く暗示にかけられたとでもいいましょうか、それ以降、夢の中で嫌なことがあっても、夢の中の私はいつも「これは夢だから大丈夫なんだ」と思ってるようになったのです。それと、この悪夢から解放される決定的な出来事が、小3の頃にあったのですが、それは何れまた別の機会に書こうかと思います。

さて、このような話を何ゆえ紹介したのかと言うと、以前こちらで触れましたが、トモローの寝付きの悪さは、悪夢と関係があるのでは?と考えたからです。私は母親になったのはこれが初めてですけど、子供だったことはある訳です。自分が子供の頃感じてたことを思い出すことで、トモローの気持ちに近付くヒントが得られるのではないか、と思うからです。

<パパにくっついて二度寝するトモロー>
tomoro275.jpg

父が私にした助言が、そのままトモローに通じるとは思いませんので、今のところ、寝付けずにいるときは「怖い夢を見たら、助けてあげる」と言い、彼がうなされてる時は「ママがいるから大丈夫だよ」と声をかけて抱きしめてあげたりしています。これで一応助けたことになるかなー?怒りにまかせて叩いてしまったり、怒鳴ったり等、私はトモローの悪夢のタネになりそうな事を、これまで結構してしまいました。過去は消せませんが、少しでも和らげられる対応をしてあげたいと思っています。

しかし、トモローがチョー怖がり屋さんなのって、私にメチャクチャ似てるんじゃなかろか?と思う今日この頃。自分自身何が怖かったのか思い出しつつ、トモローに当てはまることあるかな?と考えてたりしています。そう言えば、偏食の話でも、自分とトモローが似たような感覚なのかも?と思うところがありましたっけ。


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タグ: 自閉症 発達障害

テーマ:メンタルヘルス - ジャンル:心と身体

2013/11/01 08:20 yuccalina

小4時代のお友達K君の思い出~ルネちゃん作戦と「緑色の屋根」

ちょっと前に子供時代に着ていたお洋服の話(こちら)を書いた時に、写真を見ながら思い出したことを書きたいと、ずーっと思っていました。チェックのサロペットパンツにイチゴ柄のシャツという、少々恥ずかしいスタイルをした小学4年生の私。社会科見学で羽田空港に行った時のスナップショットに、こんなのがあったのです。

yuccalina19.jpg

女子のお友達ばかり並んだ中、私の右隣に一人だけ男の子が。後に写真を見返した時、姉から「ねー、ねー、何で女の子ばっかりの中に一人男の子がいるの?」と問われたことも、よく覚えているのですが、彼の名前はK君。小学時代は、何故か4年と5年に上がる際にクラス替えがあった為、4年生の時はたった1年だけを過ごしたクラスメートが多く、彼もその1人なのですが、私はこの1年間をとてもよく覚えていました。

それは、担任のF先生が、とても気さくで児童から好かれており、クラスの雰囲気が凄く良かったからなのです。その要因として考えられるものの一つが交換日記。クラス全員に何でも良いから毎日日記を書かせ、先生は朝に回収し、帰りまでに返事を書いて、ノートを返してくれました。

私は当時あまり文章を書くのが好きでなく、「今日の給食はおいしかった」だの「夕飯がどーのこーの」と、食べ物の話が矢鱈多かったのですが、友達と遊んだ話となると、頻繁に名前が登場したのがK君。別に彼が女の子の遊びが好きだった訳でなく、私が男の子の遊びに寄ってた方でした。学校から帰って近所のブタ公園(出入口に大きなブタの像があった為こう呼ばれてた)に、男女5、6人集まって遊んだ中にも、いつもK君がいました。そうそう、一度だけですが、私の家に遊びに来たこともあったなー。等々思い出しましたよ。

はたしてK君が私を好いていたのかどうか分かりませんが、私的には男の子として意識は全くなかったと思います。ここではK君、と書いてますが、F先生との交換日記には「今日はKと遊んだ」とか、苗字の呼び捨てで書かれてましたので、多分本人に対しても、そうだった筈。K君も私を苗字で呼び捨てしてたと思います。

さて、そのF先生との交換日記の中で、ちょっと面白い記述があったので紹介します。

〇月〇日
今日のひる休みは、Kといっしょに「ルネちゃんさくせん」でMをやっつけた。


対して先生の返事

それはいったいどんな作戦かな?

F先生にどんな作戦かを話した記憶はありませんが、ルネちゃん作戦は覚えていましたよ。それは、

「ルネ・シマール、首しまーる!」

と言いながら、お友達の首をかるーく絞める。村上ショージが言いそうなダジャレがメインであり、勿論本気で首を絞めて攻撃する訳ではありません。「ルネ・シマール首しまーる」が、ユッカリーナ当時9歳、渾身の一発ギャグだったのかどうかは分かりませんが、あの頃は学校でいかにイケてるダジャレを言うか、クラスメートと競っていた気がします。

現在の小学校では、このルネちゃん作戦もいじめに繋がると、禁止令が出ちゃうかもしれませんね。ちなみに作戦をかけた相手のM君は、体は大きいけどのんびり屋でクラスのいじられキャラでした。彼の親から苦情も来なかったし、私もK君も、F先生から注意されることはありませんでした。(但しM君本人がいじめと思ってた可能性はゼロではありませんけど。)

ところで、ルネ・シマールって誰でしたっけ?ダジャレは覚えていても、ルネ・シマール本人の記憶はおぼろげです。今でいうなら、「消臭力のミゲル君」みたいな子供の歌手だったようで、お菓子のCMとかに出てた気がします。YouTubeで探してみたら、あったあった。



やはり私が小学四年生の時に、歌謡祭でグランプリ、日本で人気を博したのですね。オマケで、「あの人は今」の映像もありました。



日本では今でも根強いファンがいるのかしら?とは言うものの、歌の方はよく覚えていませんでした。やっぱり、私にとっては「緑色の屋根」よりもルネ・シマール首しまーるの印象が一番強いんですわー。ファンの皆様ごめんなさ~い。


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