プロフィール

yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

月別アーカイブ
リンク

ユッカリーナのヨガ的雑記帳


--/--/-- --:-- yuccalina

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2016/07/19 16:01 yuccalina

哲学とシュルレアリスムとバカリズム~不定期便『哲子な部屋』その2

ある時はヨギーニ、またある時は刺繍作家な私は、ときどき哲子になります。はい、前回はフィギュアスケーター町田樹氏についてちょこっと書きましたが、『哲子な部屋』のお時間だすよ。

私の哲学の師匠、岡野利津子さんのブログで、哲学とシュルレアリスムの記事

読書ノート / 巌谷國士著『シュルレアリスムとは何か』~神秘主義哲学の立場から

は、とても興味深いものでした。以下、赤字は記事からの引用です(下線はブログ主によるもの)。

一般的にシュルレアリストたちが追求したのは、現実よりも一層ありありとしたリアリティで、<存在(客体)>の問題に拘っていたのではないか、

「超現実主義の」の「超」とは「非」ではなく、「過剰」とか「強度」を意味しています。
そして、それは現実から離れたものではなく、むしろ連続的なもので、「度合の違い」という話です。


私はこれまで、シュールの意味をちゃんと理解していなかったなあ、と思いました。ファンタジーと混同していたところがある気がするんですね。シュルレアリスムが目指すものは非現実ではなく、全くその逆である。"超"現実が行きつくところは客観性、で思わず膝を打ったのは、そっか英語の客観=Objectと、近・現代美術におけるオブジェはイコールだったんか~、と今さら気が付いた始末。コラージュという技法も、その物のリアリティーをくっきりと浮かび上がらせる為のものであった、というのは目からウロコですた。

「コラージュ」では、物あるいはイメージが本来あるべき場所から切り取られて、別のところに配置されるわけですが、ブルトンはこれを「デペイズマン」と呼んだそうです

「デペイズマン(dépaysement)」というのは、「デペイゼ(dépayser)」することで、” dé ” は分離をあらわす接頭辞、 ”pay” は「国」とか「領域」とかいう意味がありますから、ある領域から引き離すというのが元の意味です。

ブルトンは、「デペイズマン」によって「驚異」が生まれ、あらゆるものの完全な「デペイズマン」の意志に応じて、「超現実」が得られると言っているそうです。


で、リアルを追求するシュルレアリスムが、真実の追求である哲学と客観性の部分で重なる、という詳しいお話は上記リンク記事を通してお読み頂くとして、私の頭にフッと思い浮かんだ人物がおります。それがピン芸人のバカリズム。

彼のネタはシュールだと、ずっと言われ続けていましたが、岡野利津子さんの記事を読んでから、その本当の意味がやっと理解できた気がします。

それでは、バカリズムが得意とするイラストを用いたフリップ芸を、いくつかご覧下さいまし。







都道府県、漢字やアルファベットの形を使ったネタ=作品の数々は、ギャラリーに並べても良いかも?

かどうかは判りませんが、これはブルトンの言うデペイズマンに通じるのではありませんか?また、バカリズムはコラージュ的なイラストを使ってるからだけでなく、実は”思考そのものがシュルレアリスト疑惑”があるんです。

それが、彼のサッカーに関する見解でして、アメトークの中で発表していたサッカーへの疑問。それは、

何故PK戦で勝敗を決めてしまうのか理解出来きない。
PK戦は競技として、サッカーとは全く別物と思えるから。

それに対しサッカー経験者であるMCの宮迫は

「確かにそやな」

と頷いたのですが、そこはお笑い番組ですから、バカリズムは更にこう続けました。

野球にはPK戦みたいなものはない。
PK戦は野球の勝敗を"野球拳"で決めるようなもの。

と、そこでドッと笑いが起きました。まあ、PK戦を野球に例えたら、野球拳じゃなくてホームラン競争あたりじゃね?と思ったけど、私も大笑いしますた。しかし、ファンダメンタルなサッカーファンからは大バッシングが起きたそうな。

もともと『○○が嫌い』というテーマでのトークだったので、サッカーが遡上に上げられた時点で、サッカーファンは最初から反感を抱いていたのでしょう。しかし、私はバカリズムの思考の面白さが分かって、とても興味深かったのですた。彼はサッカーのスポーツとしてのリアリティーをとても客観的に追求してるのではないかなと。いや、そもそも、バカリズムのネタもトークも、大喜利番組での回答も、すべてはそうした思考から出てくるものなのではないのか?

それらを踏まえバカリズムのネタを見直してみると、また違った味わいがあるのですよ。

でも、シュルレアリスムや哲学を持ち出すのって、お笑い的にはディスってることになりかねないので、当人には傍迷惑かもしれませんぐ。あまり大きな声では言えないですにゃー。


お読み頂きありがとうございました。
↓宜しかったらポチお願い致しますm(__)m

blogram投票ボタン
スポンサーサイト

テーマ:バカリズム - ジャンル:お笑い

2016/05/23 15:14 yuccalina

たかが服されど服~『Miyake Issey展・三宅一生の仕事』

あれは一年ほど前、NHK BSプレミアムで三宅一生氏のドキュメンタリーが放送されました。リアリティ・ラボというプロジェクトチームで製作している『132 5.』の現場を公開しつつ、一生氏のこれまでの歩みを伝える、素晴らしい内容でした。

なので、この『Miyake Issey展』は絶対に見逃すまい!と思っていたのですが、20日の金曜日に国立新美術館で見てまいりました。

fashion175.jpg

fashion176.jpg

こちらのサイトでは展覧会の様子が見られる動画が公開されています。

Miyake Issey展 三宅一生の仕事

三宅一生と言えば、私は16年前に東京都現代美術館での『Making Things展』も見ていたのですが、

fashion179.jpg

今回はちょっと違ったモチベーションがありました。図々しいかもしれませんが、物作りの末端に足を踏み入れた私にとって、非常に刺激的なことばかりで、見た後にまた何か作りたくなるような、ワクワクする内容でありました。ちなみにチラシのデザインに使われているのは、青×赤のプリーツ服と、黒×ゴールドの折り紙服132 5.。

fashion177.jpg

先述のドキュメンタリーを見ていた時からずっと思っていたのですが、一生氏の服作りは非常に哲学的です。

「我々が作ろうとしているのは、ファッションでもモードでもなく、唯々衣服の世界です」
「たかが服なんだから」

と客観視しつつ、

「それでもデザインの力を信じてやっている」

と言う。されど服、なのですね。常に対話をしながら、真実を追求している、求道者であると感じました。

対話する相手は、ある時は素材であり、自然であり、またある時は最新テクノロジーであったりもする。日本の伝統的な物作りの技術(刺し子ジャケットや和紙の服等)に敬意を示しつつ、最先端の技術(再生ポリエステルのプリーツ、A POC等)も取り入れる。それらを調和させて生まれたものは、驚きや喜びに満ちているのです。

また、一生氏は常に

「体と布との絶妙な関係性」

を求めていて間(ま)を大切にする、日本の独特な文化を体現しているのかもしれません。こうも語っておりました。

「日本の素材を使うようになって、質素は美しいと感じるようになった」

そう、わびさびに代表される日本人の美意識を、とても大切されているのですね。今回展覧会のタイトルが、Issey MiyakeからMiyake Isseyに変わってるのも、その意味があるのかも?

かどうかは分かりませんが、一生氏が常に「我々が、、」と語っていたのも印象的でした。決して独りよがりでなく、共同作業から生まれるものを大切にされている。日本各地を巡っては、伝統的な素材を沢山使われてきて、日本の職人の素晴らしさについてもこう語ってましたっけ。

「直ぐに”出来ません”とは絶対に言わない。諦めないし、逆に”こんなのはどうですか?”とアイディアを出してくる」

と、132.5の縫製をしている方々を褒めてたのをよく覚えております。単なる下請けではなく、一緒に物作りをするチームの仲間であると。そうした人と人との対話も大切にされているのですね。

さて、そんな三宅一生氏のお仕事展は、70年代の作品から、今や日本のファッションにすっかり浸透したプリーツ服に、その折りの発展形となる132 5.と、歴史に沿って並んでいました。グラフィックデザイナー田中一光氏とコラボしたプリーツものの隣には、プリーツ加工する機械が据えられ、機械の動きが良く分かるようなビデオも流されていました。また、132 5.シリーズには、ミニチュアのドレスをボディに着付けするコーナーもあったり、展示の仕方も面白く、とても楽しい展覧会でした。



そうした見せ方への拘りは、用意されていた子供用のパンフレット(無料)を見ても良くわかりました。上の写真の右から2番目がそのパンフです。

fashion178.jpg

ちなみにこのパンフの最後には、自分で服をデザイン出来るページがありましたよ。2冊貰っておけば良かったなあ。やってみたいけど、切り取るのがもったいなくて~~!

こう言った心遣いにも、日本の物作りの素晴らしさとデザインの楽しさを次世代に伝えていきたい、という強い意志が感じられますね。

例え服飾やデザインに関わっていなくとも、この展覧会から学べることは沢山あると思います。6月13日(月)までと会期は残り少なくなっておりますが、是非沢山の方に見て頂きたいと思います。


お読み頂きありがとうございました。
↓宜しかったらポチお願い致しますm(__)m

blogram投票ボタン

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

2015/07/24 11:03 yuccalina

上田義彦写真展『A Life with Camera』~「今ここ」と対峙した空間

写真展へ行ってきました。竹芝のGallery 916にて『A Life with Camera Yoshihiko Ueda』です。展覧会に脚を運ぶのも、昨秋のバレエリュス展以来ですが、写真となるといつだったのか思い出せません。実は最近学生時代の知人に30年振りに再会し、それがきっかけで見に行くことになったのですが、この写真展では懐かしさと新鮮さが同居したひとときを味わうことが出来ました。

alwc1.jpg

カメラマン上田義彦氏がデビューしてから35年。有名なコマーシャル作品も含めた選りすぐりの写真たち。テーマも大きさも年代も様々、そして、カラー、モノクロを交え、天井の高い広々とした白壁に並べられたその姿もまた、一つの作品のようでした。静かな佇まいと、窓から入る適度な日差しと、とても居心地の良い空間でした。

ポートレイトの被写体に好きなアーティスト達が多いのも、私が懐かしさを感じる理由かもしれません。先のアンディ・ウォーホルに、ロバート・メイプルソープは、彼自身のポートレイトだけでなく、チューリップやカラーのアップ写真にオマージュを感じましたが、私が惹かれたのは何と言ってもこのパティ・スミス(中央)。

alwc2.jpg

ええ、そら自撮でなんちゃってパティ・スミスしてる人間ですから(見てみたいモノ好きな方はコチラからどうぞ)。

パティのポートレイトって、メイプルソープが撮った、肌の質感が彫刻みたいに透き通った写真に並ぶものは絶対に無い!とこれまでずっと思ってましたが、前言撤回いたします。上田作品はカラーでありながら、モノクロのような落ち着いたトーンで、パティの美しさと強さが伝わってきたんです。真っ直ぐな、曇りのない眼差しと、右手の表情が素敵です。パティって歌ってる時の手もカッコ良かったんだよなー、と思い出しましたよ。そうか、この右手でこのお手紙を書いてくれたのか?と、しばし妄想。

<その昔パティから頂いたカード>
patti8.jpg
<と封筒の表書き>
alwc6.jpg

Jの書き方がゲージツ的で良いわ~

とか思いつつ、ハッと気づけば、パティの写真に反射した、反対側の作品群の影が良い感じ。

パティ・スミスの中の上田義彦展?

alwc3.jpg

違う角度から、もう一枚。

alwc4.jpg

お客様が一人、写りこんじゃってますが、、。

それにしても、この空間の取り方がたまりません。日頃は、何でも所狭しと物が並べられたり、詰め込まれた風景ばかり見ているんだな、と気付かされましたわ。

私は写真の技術的なことは全く分からないのですが、キュレーターのハンス・ウルリッヒ・オブリストという方がこの展覧会に寄せて書かれてた文章の中に、とても腑に落ちる点があったので、最後に紹介しておきますね。

「上田義彦は断片を撮っているのに全体を表現しようとしている」

とあったんです。これって、実は人間の有り方そのものと重なっている!ヨガやアーユルヴェーダで説かれている『自己相似性(フラクタル)の法則』では、部分は全体、全体は部分、と言われているんです。

自己相似性の基本的要素は「今ここ」における意識、心、体、そして環境。「今ここ」にあるこれらの要素の状態は、すべての次元に通じている。だから、「今ここ」は現在でもあるし、将来でもあるし、過去でもあるのです。

例えば、人間の体は様々なパーツから、そして、さらに、細胞の一つ一つに細分化出来ますが、その断片は必ず全体と相似してると。そして過去も未来も今の断片に過ぎない。時間とは膨大な今の積み重ねであるという考え方です。

部分にフォーカスしながらも、その先のもっと大きな世界を写しだす写真は、その法則に適っている。というか、優れた芸術作品には必ず備わっているのかもしれませんね。そもそも

写真って正に「今ここと向き合う」ことで成り立ってるんだわ~!

とか思ったら、何だかすごくワクワクしてしまった。平静さを装いつつも、1人で大いに盛り上がってしまったのでした。

で、帰宅後、久しぶりに書棚からBT美術手帖を引っ張り出してみた。物持ちが悪く、結構物をポイポイ捨ててしまうワタクシにあって、手元に残っていたのは、アンディ・ウォーホル(1991年1月号)とロバート・メイプルソープ(1989年6月号)が表紙の、各々追悼特集号です。

alwc5.jpg

メイプルソープの訃報を知った当時24歳のユッカリーナは、何を血迷ったか、パティに「ロバートが亡くなって私も悲しいですが、貴女はもっと辛いでしょうね」みたいな手紙を送ってしまったのです。それに対し、心優しいパティが丁寧にお返事をくれたのが、先に紹介したカードなのでした。

てな具合で、上田義彦と関係無い話が多くなっちゃいましたけど、これからはもっと写真も見てみたいし、Gallery 916は本当に素敵な場所だったので、是非ともまた訪れたいなと思います。


お読み頂きありがとうございました。
↓宜しかったらポチお願い致しますm(__)m

blogram投票ボタン

タグ: ヨガ パティ・スミス

テーマ:写真 - ジャンル:学問・文化・芸術

2015/02/03 11:04 yuccalina

フジタ画伯のワードローブと映画『FOUJITA』に期待すること

いきなり本題から入ります。今年の秋に公開予定という日仏合作映画『Foujita』で、私が一つ注目していることがございます。



それは、藤田嗣治役のオダギリジョーがどんな服を着ているのか?

藤田嗣治は1886年生まれ。軍医の息子という家柄の良さもあり、幼少時代の写真から残っているのですが、亡くなったのが1968年とカラー写真の普及がギリギリ間に合わなかったのがとても残念なんです。

だって、モノクロ写真の数々を見てると、どれもオサレな格好しているんですもん。

マルチボーダーのトップスにマフラーとか、

foujita16.jpg

グレンチェックのウールコートにギンガムのマフラーとか、

foujita17.jpg

ジャケットの下にもチェックのシャツ、ちなみに左はマリー・ローランサン。

foujita18.jpg

ジェラール・フィリップ(左端)と一緒に写ってるのは、映画『モンパルナスの灯』の完成記念だそうで、藤田は質の良さそうなな素材のコート(又はジャケット)を着ていますし、

foujita20.jpg

ジャン・コクトーとのツーショットでは、チェックシャツにドット柄のタイとか、

foujita21.jpg

柄物同士を合わせてたりするのは、オサレ上級者の証。これらが一体どんな色だったのか、私は知りたくて仕方ないんですけど~!

仕事着はボーダーがお好きだったようで、これはもしや楳図かずお先生ちっくかしら?

foujita19.jpg

と想像してしまう訳です(以上、画像はすべて『藤田嗣治画集・素晴らしき乳白色』より)。

カラー写真はなくても、整理整頓好きで物持ちの良かったという藤田画伯ですから、一部、現物が残ってる服もあるのでは?と期待しているんです。

実は2006年の生誕120年記念の藤田嗣治展では、一部遺品も公開されてまして、お手製の帽子と、道具袋があったんですよ(画像は藤田嗣治展カタログより)。

foujita13.jpg

やはり、赤白のボーダーがお好きだったのでせうか?右の袋も色の合わせ方が可愛いですよね~!

あとは、自画像で着ていた服が手掛かりですが、青いシャツを着てるのが多い気がしますね。下は『レオナール・フジタ 絵と言葉展』(1988年目黒区美術館)で公開された絵手紙でして、やはり青い服が描かれています。

foujita14.jpg

しかし、オダジョーは二枚目過ぎて、オサレしたら画家と言うよりはモデルみないになっちゃわないか?と多少心配でもありますわ。

同じ『絵と言葉展』で見た絵手紙にこんなのがあったんです。

foujita15.jpg

やりたいことがあり過ぎて、腕が2本では足りましぇーん!と阿修羅化した藤田の図。コミカルですね。エコール・ド・パリ時代はフーフー(お調子者)という愛称だったそうですから、ファッションもきっとポップだったと思います。

先日オダジョーは、テレビ東京の『YOUは何しに日本へ?』に、主演映画の宣伝で出てましたけど、撮影はもう終了したんでしょうかねえ?カッコ良くなり過ぎず、藤田のポップな雰囲気を出してフーフーになり切っていることを期待しております。


お読み頂きありがとうございました。
↓良ろしかったらポチお願い致しますm(__)m

blogram投票ボタン

タグ: フランス 20年代

テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

2014/11/19 13:01 yuccalina

レオナール・フジタの晩年とデイヴィス&ホワイトのアイスダンス

先日、藤田嗣治の評伝を紹介した記事(コチラ)で、日仏合作映画『FOUJITA』の動画を貼りましたが、その時偶然、過去のテレビ放送の動画を見つけてしまいました。テレビ東京『美の巨人たち』2008年の放送のようです。俳優の小林薫がフランス北部のランス(Reims)にあるフジタ・チャペルを訪ねています。私も1990年にここを訪ねたのですが、全く気が付かなかったことが色々ありますね。外に立つ可愛らしい石像とか、全然覚えていませんでしたよ。

そんな中でも一番印象深かったのが、礼拝堂の壁画に描かれた人々の手にまつわるお話(19:19あたり)。



描かれた人々はキリスト教徒の祈りのポーズとは違う、様々な形で手を組んでいます。フジタのアトリエから仏像の手が残っていて、相当研究をしていたのでは、と紹介されてます。また、チャペルに平和という名前を冠したこと、それは単なる信仰心だけでなく、平和への強い思いがフジタを駆り立てたのではないか、とも。

次回予告で「藤田が訪ねていたマティスのロザリオ礼拝堂」というのも気になるところですが、残念ながら動画は見つかりませんでした。

それで、藤田が描いた仏像の手についてなんですが、ムドラー(印相、手印)はヨガでも、集中を深めるために使われます。特に親指と人差し指で輪を作るOKサインのような「チン・ムドラー」が有名かな?考えてみれば、大仏も菩薩像も皆ムドラーを組んでいたんだわ、と今さら気が付いた訳です。

<手の描き方に仏像の影響が見える壁画(右から2人目は君代夫人)>
foujita12.jpg


先日の記事では藤田が日本人ならではの価値観で絵を描こうとした話をしました。印度と支那を源流に持つ日本文化への誇りを、自ら語っていたこと。礼拝堂の壁画のなかにムドラーを描き込んだのは、やはり日本国籍は捨てても、その美意識を持ち続けていたのではないか?と、私は何だか嬉しくなってしまいました。

しかし、考えて見れば、キリスト教と仏教が全く関係無いのかと言えば、そうでもないんですけどね。オーム(AUM)とは勿論あのテロ集団のことではなく、ヨガのマントラ(真言)の1つについてですが、それは宇宙を意味していて、キリスト教のアーメン、イスラム教のアミーンの元になっていて、日本の「阿吽(あうん)」も同源と言われていますから。世界の平和を祈った藤田が仏教のムドラーを入れ込んでいたことは、私にとってはとても感慨深いものがあります。

さて、ムドラーと言えばインドの伝統舞踊でも使われてます。色々と組み合わせて言葉を表現するところは、フラとも通じているのが興味深いところですが、インド映画のダンスシーンでも組んでいることが多いです。細かい意味については、不勉強なのでここでは紹介できないのですが、最後はそのインド映画とフィギュアのアイスダンスが融合した動画を紹介して、終わりにしたいと思います。ちなみに、藤田嗣治に始まり、インド映画を通ってアイスダンスに着地する。これがワタクシのブログの持ち味です。



デイヴィス&ホワイトの09-10年シーズンのオリジナルダンス。二人ともインド映画の大ファンだそうで、指先を見ればしっかりムドラーを組んでいました。メリル姉さんは額のビンディもお似合いですね。


お読み頂きありがとうございました。
↓良ろしかったらポチお願い致しますm(__)m

blogram投票ボタン

タグ: フランス インド ヨガ

テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

ご訪問ありがとうございます
最新記事
最新コメント
カテゴリ
検索フォーム
最新トラックバック
ユーザータグ
フリーエリア
RSSリンクの表示
Web page translation
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。