プロフィール

yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

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ユッカリーナのヨガ的雑記帳


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2017/09/18 10:30 yuccalina

不定期便『哲子な部屋』その6~『沈黙』と『薔薇の名前』

今年マーティン・スコセッシ監督映画『沈黙』が、非常に興味深かったので、その後、遠藤周作の原作を読みました。インスタでちょこっと紹介しましたが、やはりこれはブログでないと文字数が足らんと思って先延ばししてたら、今度は読んだのを忘れてしまいそう、とか慌てて投稿することにしました。(画像をクリックするとインスタ投稿が見られます)



どうしても映像からの印象に引っ張られて、読んでいると「映画との答え合わせ」をしてしまってる感は否めないものの、主人公ロドリゴの印象は、かなり違っていました。それは、

読んでると、何だか一々言い訳がましい男に思えて、イライラする~~(`皿´)ノ

裏切りを繰り返すキチジローは、自分の卑しさを自覚してる分耐えられるのですが、ロドリゴも常に心が乱れていて、そのくせキチジローを毛嫌いしてる姿に、「もしや同類なんじゃないの?」と疑いつつ、読み進めてたら、最後に自ら

「あのキチジローと私とにどれだけの違いがあると言うのでしょう」

と出てきたので、やっぱりなー、と頷きました。

仏教(禅宗)においては、ブッダの存在を疑うのも修行のひとつであるそうですが、ロドリゴは神の存在を終始疑いつつ、最後に出会ったという本書は、遠藤周作がキリスト教徒とは言え、日本的な価値観が表出しているのかもしれません。

一方で、沢野(=フェレイラ)が日本人はデウスを大日に置き換えて理解したことを批判する下りには、

「お前らが低能だから理解出来んのだ」

という選民意識が出てる気が、しないでもありません。いや、どうなの?聖書をどう理解するか、ヨーロッパの中でも意見が色々あって、そのせいで戦争してきたくせに、

何を言う~~?

と村上ショージ風に腕を振り上げたくなるものだ。

ちなみに、右のパラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』は『沈黙』の前に読了していましたので、キリスト教世界と東洋の価値観との差を、余計に強く感じてしまったかもしれませんぐ。

それと、これは本筋とは無関係なことですが、ロドリゴが農民たちの悲惨な状況を表すのに、

牛馬の如くこき使われて、

みたいな言葉を使ってるのは、西洋的なのかなと思いました。日本では農耕に牛や馬を使用してた歴史はありますが、私には、大切に飼育されたて印象の方が強いんですよね。

さて、神の存在を無条件に盲信させ、疑うことを許さない、聖書にちょっとでも都合の悪そうな書物は禁書にしよう、的内容の映画『薔薇の名前』は、『沈黙』を読み終えた後に見たので、かなり面白かったです。



ストーリーは中世のイタリアの僧院で起きた殺人事件の謎を解く、ミステリー仕立てではありますが、印象的なセリフが多数。

・信仰と狂言との差はわずかしかない
・疑問こそ信仰の敵

信仰に都合の悪い書物として隠されていたのは、アリストテレスの『詩学』で、”喜劇”に関する文に危険性があったから、

「俗悪な人間の滑稽さ中に真実を見出す
それが喜劇である
彼等の欠点もよしとせよ」

これって『沈黙』の中のキチジローにピッタリハマるんじゃないかしら?とか、見ながら頭に思い浮かびました。

笑いはカオスを生むからと、詩学を隠していたのが盲目の老僧ブルゴスのホルヘ。追求してきたバスカヴィルのウィリアム(ショーン・コネリー)に、死に際でこう語りました。

「笑いは恐れをなくす
恐れなくして信仰はなりたたぬ
悪魔へのおそれなくば
神はもはや必要とされぬ」

フランクルの『夜と霧』では、ナチスの強制収容所において、笑いが多くの人々を救った話が出てきましたし、現代では科学的にも、笑いが心身を鍛えることが証明されつつありますから、笑いを禁じてる宗教があるとは思えませんけど、絶対的な存在を定義して疑問を持たせない、ってのは、結構ありそうな気がしますです。

ちなみに、フランチェスコとかベネディクトとか、キリスト教派閥の違いは良く知らんのですが、言い争ってる内容が、

キリストが着ていた服は、彼の持ち物(=財産)なのかどうか、

とかね。マジですか?

どっちだってええやん!

と突っ込みながら見てました。何でも勘でも縛りつける教義は、疑問をもたせずにコントロールする為のものであるのだろうな、と逆に思い知ったのでありました。

と言ったところで、ここで一端この記事をアップしておきます。今後、加筆訂正がありましたら、随時更新する予定です。




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2017/08/13 14:50 yuccalina

不定期便『哲子な部屋』その5~お盆なので、ちょっくらメメントモリ

ご無沙汰してます。年齢を50も過ぎると、身の回りで亡くなった人は、結構多くなりますが、これまでの人生で、自分に最も影響を与えた死は、私が20歳の時に病死した友人O(享年21歳)です。1年足らずの付き合いだったのですが、出会ったその日から、その生き方が私の憧れでした。何事も失敗を恐れず行動するその姿に、私もああなりたいなあと。

Oの死を境に、以前の石橋を叩くだけで渡らなかった私の生活は、180度方向転換したと言って良いかもしれません。20代で二度の転職、給料の大半を音楽や映画、アート展、海外旅行に使い、ギターにタップダンス、ジャズダンスを習い、東欧にハマり、ハンガリー語も習ってた。あっちこちに転がりながらも、現在はこれまでの全ての経験が自分の身になっている気がします。

ヨガを学ぶようになってから、様々な繋がりというものに意識が向くようになり、ほんの短い期間での、Oとの出会いと別れの意義が理解出来ました。若干20歳にして、諸行無常を眼前に突き付けられた私は、単にOへの憧れからだけでなく、

人間いつ死が訪れるか分からない。
だから、今やっておきたいことはやってみるんだ。

という意思が芽生えた訳です。

さて、その後、27,8歳頃だったかと思うのですが、図書館で出会ったのが、アルゼンチンの作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスです。その著書の中で、最も影響を受けたのが、『ボルヘス・オラル』―これはブエノスアイレスのベルグラーノ大学で行われた講演の記録なのですが―の中の『不死性』でした。以下赤字部分は引用。



われわれにとって自我とはとるに足らないものであり、自我心など抱いてみたところでなにもなりはしない。私が自分はボルヘスであると感じ、あるいはあなたがたはあなたがたで、それぞれに自分をA、B、あるいはCであると感じたとしても、そこに何ら違いはない。そうした自我はあらゆる人間のうちになんらかの形で内在しているものであり、その意味ではわれわれの共有物であるといってもよい。

という部分を読んで、頭をガツ~~ンと叩かれた思いがした。

が、確かにボルヘスの文章は、いつも先達の引用を交え讃えつつも、声高に自己主張はしない、というのがボルヘスらしさになっているので、納得出来るのでした。ボルヘスは自分を形容する単語として、timid(ちっぽけな)を多用していた気がします。

で、不死性についてですが、

われわれは何らかの形で、既に死んでしまったすべての人間なのである。ここでいうすべての人間とは、血の繋がっている先祖だけを指すものではない。

血は繋がっていなくても経験による繋がりがあるから?私はOと血の繋がりは無かったけれど、自分がOになったと思える瞬間は、これまでに何度もありました。

ちなみに、少し前に、植物学の本を読んでいたら、植物の世界でも先天的な特徴だけでなく、環境によって後から獲得した特徴も、次世代に引き継がれるんだそうですよ。



しかし、ボルヘスが言う不死性とは個人的なものではなく、「森羅万象のうちに現れている生の衝動=エラン・ヴィタル」が宇宙を作っている(byアンリ・ベルグソン)からこそ、不滅なのじゃ~~!ということだそうです。

さて、ボルヘスの本は、20代で読んだ頃に中々消化出来なかったことも、後年ヨガを学んで合点したことが多いです。そして、みうらじゅんの「自分なくし」というワードを見た時、私はすぐさま『ボルヘス・オラル』を読み返して納得しましたし、同じく講演集である『七つの夜』のテーマの一つは仏教(禅宗)でした。



そして、最近また一つ、同じ生命をテーマとする書物を読み始めました。分子生物学の福岡伸一先生と、



粘菌学者で元祖エコロジスト南方熊楠~~



粘菌における生と死混然一体となった様が、後に彼の世界観、宇宙観=南方マンダラを生んだ様です。

で、福岡先生の本読んでると、ウパニシャッド哲学の影響受けてるんじゃね?と思える記述多数で驚きましたわ。

それは

創造~維持~破壊でエネルギー循環を繰り返す宇宙の成り立ちが、そのまま一つの命の中でも起きているということ。細胞が生まれ保たれ死すことの繰り返しで成り立っているのが生命。部分と全体は同じな自己同一性(フラクタクル)な、お話が出てくるのです。ま、そもそも、インド哲学は実践主義で科学との結びつきが深い、ってパラマハンサヨガナンダの映画でも言ってたっけな~~。

なので、

神様が人を作ったのではなく、
生命活動の仕組みを神様が作った、

と言うのなら、私はかなり納得出来るんですわ。だからこそ、神はそれぞれの自己に内在している、と言って良いのでは?

とか、神様の話になるとまた長くなりそうなので、いつか別の機会に(^-^)/

テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

2017/01/12 09:30 yuccalina

シド・バレット評伝とディスりたい人達の話

去年読んで、ブログにどう書こうか、ずっと迷っていた本がこれ。

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Amazonで中古が安かったんで買っちゃった。DVD『シド・バレット・ストーリー』を先に見てたし、ナルホドナルホド、とすらすらと読めた感じですが、ショックな話も多いです。

情緒不安定からか、シドは歴代の彼女を殴ってたらしい。暴力はいかんよねえ。

それと、気になったんが、ケヴィン・エアーズが『O Wot A Dream』(1973年Bananamour収録)を歌った時の話として、

「シドとは会ったことないが、、」

と話したというくだりは、おやおや?

では1969年『Joy Of A Toy』時にあったとされるセッションは偽物なのかい?まあ、多分本にある発言が間違いか、ケヴィンの記憶違いってことすかね?

しかしですねっ!一番びっくらこいたのは、序文をこの人が書いてたことですっ!

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ジュリアン・コープ

また、お会いしましたわね。そういや、ジュリアンの自叙伝、まだ、じぇんじぇん読んでませんわあ。

とか思ってるそばから、最近、パティ・スミスの『M Train』も買っちゃったのよね。



そう言う訳で、

今年の抱負は、溜まってる本を読む

です。

最後にまたシド・バレット評伝に話を戻します。シドとは関係ない話ですがが、ロジャー・ウォーターズの父親がイタリアで戦死したという記述にも、おやおや?

「俺の父親は日本兵に殺された」

初来日のインタビューでの開口一番がこれ!

と言うのは渋谷陽一がラジオで言っとった。以来、

ロジャー・ウォーターズって見た目だけじゃなくて中身もブスっぽいな。

と思ってた私ですがが、さらに嫌いになりますたwww

イタリアで亡くなったのなら日本兵はありえませんねえ。多分恨む相手、ディスる相手として、

イタリア人<日本人

の方が都合が良いから、勝手に脳内変換したのでしょうか?

とか、どーでも良いことに突っ込んでごめんなさいね。

そう言えば、ジュリアンが日本贔屓の理由として、

「敗戦でボロボロになったのに、立ち直ったのが素晴らしい」と言ってましたが、彼がクラウト(ドイツ)・ロックのファンでもあったのは、そう言う意味もあるのでしょうか。ウォーターズとは世代が違うので、感覚も違うんでしょうねえ。昔見た『孤高の警部ジョージ・ジェントリー』というちょっと恥ずかしい邦題の刑事ドラマは、60年代のロンドンが舞台だったんですが、ドイツ人が嫌われ者として登場してたのを思い出します。

「戦争に負けた国の奴の方が金持ちなのが納得いかん」

とか恨まれていた。ちなみにジェントリーの亡妻はイタリア人だった、という設定でした。60年代はまだ戦争の影が色濃かったのでしょうか。ジョン・レノンとオノ・ヨーコにイギリス中がヒステリー反応を起こしたのも仕方ないのかなあ。

ちなみに、ジョンの最初の妻シンシアが

「ダンナを寝取ったのはヨーコではなく歌手のアルマ・コーガン」

にしたかったのも、ウォーターズと似たような心理を感じずにはいられませんぐ。日本人に負けたのではない!と言いたかったのか?まあ、ジョンにとってヨーコが特別な存在であることが面白くないので、ちょっとでも価値を下げたくて必死な感じ~~www

別にどっちが先でも構わんとです。肝腎なのは、ジョンが女性達にインスパイアされて書いた曲がどんなものなのか、です。そして、お生憎様、それを書き変えるに足るエピソードではなかった様です。

タグ: シド・バレット ジュリアン・コープ ケヴィン・エアーズ 60年代

テーマ:60年代から70年代のPOPs & ROCK - ジャンル:音楽

2016/04/04 13:00 yuccalina

元祖日本好きYOUが見た『日本の面影』~その(1)桜の樹の下で

今日は何の日かと言うとですね、約120年前、1890年4月4日、ラフカディオ・ハーンが横浜港から日本に初上陸した日だったんですね。『日本の面影』はまだ三分の一程度しか読み終えていないんですが、時期的にピッタリだったんで、少しだけ紹介したいと思います。

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この時期の横浜で、ハーンは何を見たのでしょうか。そりゃあ、やっぱこれに目を奪われない筈はないでしょ?

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これは3月31日に、ウチの近所にあるソメイヨシノを撮影したものです。満開まであと少しといったところ。

ハーンが桜を見たのは横浜着から何日後かは明記されてないんですが、昔は開花時期がもう少し遅かったんでしょうね。で、到着後早速近所の神社やお寺巡りを始めたハーンは、

私の目の前にあるものに、私の心は釘付けとなった。それは、言葉を失うほどに美しいものに覆われた、桜の木立であった。すべての枝という枝に、夏の積乱雲のように純白の花が咲き乱れ、目も眩むほどに霞んでいる。その下の地面も、私の眼前の小径も、柔らかく、厚く、芳香を漂わせて散った花びらの雪で、一面真っ白だった。

日本人だって何十回見てもウットリしてしまうサクラ。初めての外国人には、相当な衝撃だったのでしょうね。桜の樹の下で夢見心地なハーン氏の姿が想像できるんです。

しかし、気になったのは、”真っ白”という表現です。ソメイヨシノって薄ピンクじゃないですか。なので、もしや山桜だったんか?とも思ったのですが、別のとこで「葉は一枚も見えない」と書かれてましたので、やはりソメイヨシノだったのでしょう。ハーンは目が悪かったから、と言うのもありますけど、若しかしたら晴天でなく、曇りの日に見たのかもしれませんぐ。

とか、またもや想像。

先の画像の翌々日、4月2日に同じ場所で撮影したのがコチラでして、

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サクラはやっぱり青空をバックにした方が綺麗ですよね。まだ1~2分咲きの3月25日はこんな感じでしたわ。

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それと、3月22日に友人の家の近所(東京都大田区)で撮った河津桜も、やはり青空の下でより美しかったんです。

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ハーンにもどうせだったらお天気の時に見て欲しかったなあ、、と思いつつ、その後彼は日本に定住した訳ですから、きっと何度も見たんでしょうね。

さて、ハーンが綴った日本への驚きと感動は、どれも興味深いものではありますが、私は一つ気になることがあります。それは、

西洋文化をサゲ過ぎじゃないかい?

と言うことです。例えば、日本の石庭を讃えるのに、イギリスの庭を悪く言う必要ないのに~。いやいや、イギリスの庭作りって、良いと思いますけどね。コンセプトが違うのを指摘するだけで済むのに、わざわざ悪口言わんでも良くない?とか思っちゃった。アルファベットは退屈な音声記号とか書いてるしなあ。

欧米向けに英語で書いたんでしょうから、何か当てつけたい相手がいたのか、自分を育んだ環境への恨み辛みをここぞとばかりに出してるのか?何だかね、ちょっと痛々しい感じがします。

なので、私は日本の美を語るハーンの裏側にも注目して読んでいこうと思います。

その(2)へ続く。


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2016/03/03 14:23 yuccalina

『中東欧音楽の回路』からバレエリュス本2冊

『中東欧音楽の回路』を漸く読み終えました。この本については以前、浅田真央ちゃんの『素敵なあなた』からクレズマーの話をした時(コチラ)と、映画『カルテット!人生のオペラハウス』の記事(コチラ)でも触れていますので、興味のある方は合わせてどうぞ。

中東欧音楽の回路―ロマ・クレズマー・20世紀の前衛(Amazon co.jp. 商品詳細)

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大雑把にいえば、中東欧ロマ(ジプシー)やユダヤ人楽師達の話を中心に、音楽が越境していきながら、様々な民族音楽の要素が混じり合い、またクラッシック音楽、ジャズ、そしてミュージカルに多大なる影響を与えて行ったというお話です。

著者はクラッシックの専門家のようで、私は譜面で説明されても理解出来ないのが申し訳ない、と言う場面も多々ありましたが、興味深いお話の連続であり、最後まで楽しく読むことが出来ました。民族音楽にも造詣が深いようで、ブルガリアのズルナというラッパをフィーチャーした音楽と、武満徹の映画音楽『心中天網島』の類似性を指摘したり、ジョニー・デップの映画『耳に残るは君の歌声』に登場する音楽を、ロマとユダヤ人の越境音楽の歴史として総括していたりもしました。また、シャガールの絵画に見られるユダヤの音楽性の話等は、今後絵を見る時に参考にしたいです。

さて、折角付録でCDが付いてましたので、収録されていた曲を2つ紹介しておこうと思います。まずはルーマニア出身のヴァイオリニストで作曲家、ジョルジュ・エネスクのヴァイオリンソナタです。



クラッシックにはないジプシー音階を使ってるそうで、エネスクがモルドヴァ地方という、ロマ楽師の活動が盛んな地域で育ったことを重ねておりました。

そして1929年にニューヨークで録音されたという『ラビの踊り』。



冒頭でセリフが入ってますが、これもいわゆるイディッシュ語のミュージカルだったのでしょうかね。確か『素敵なあなた』もそこから生まれたヒット曲だったそうですが。

そしてCDには入ってないのですが、ジョルジュ・リゲティ(1923~2006)という現代音楽家については、インタヴューに結構なページを割いてまして、それが中々面白かったんです。彼はルーマニア時代のトランシルヴァニアで生まれた、ハンガリー語を母語とするユダヤ人なのです。リゲティのバックグラウンドそれ自体が越境音楽を現わしいる、ってことでしょうか。プダペシュトの音楽院にいた時代にハンガリー国籍を取得するも、再びルーマニアにやってきてブカレスト民族学研究所で働き始める。トランシルヴァニアの民俗音楽採集を行っていたそうです。伊東氏が持参したというハンガリー語のルーマニア地図を見ながら、話が弾むのには、私もワクワクしました。

・ わたしが生まれたのはディーチェーセントマールトンです。
・ 1949~50年頃トランシルヴァニアの村へ調査に出かけました。
・ 1950年初頭、カロタセグ地方のイナクテルケ、、、現地で聴いたものを採譜したんです。
・ セーク村の民謡はハンガリー民謡的な旋律なのですが、ルネッサンス風の和声を持つ、とても興味深いものです。


イナクテルケやセークと言った村の名前は私にとってとても馴染み深いものがあり、思わず前のめりになりました。特にイナクテルケは数日ですがホームステイをさせて頂いたことがある村です。下の写真は1995年12月に訪れた時のもの。

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ヤギが道を行きかうのどかな風景でありながら、家の屋根にはパラボラアンテナが付いていたりして、そうか、この頃から既にTVから情報いろんな情報が入ってたんだわ、と気が付きました。

と話が脱線しましたが、リゲティはブカレスト民族学研究所時代に採集した民謡のアレンジをし、「イナクテルケの歌」として、発表していたんですね。早速YouTubeでLigeti, Inaktelkeで検索してみました。

しかし、その名を冠した動画は見つからず、結果のトップに出てきたのがこちら。



残念ながらこれが『イナクテルケの歌』なのかどうかは確証がないのですが。もうひとつこちらの動画は、イナクテルケ村でヴァイオリン弾きのお爺さんにインタビューしてる映像に見入るリゲティ。



結構若そうなので、80年代くらいの映像か。お爺さんのお話は多分、ヴァイオリンの音が歓びや悲しみ、主への祈りなどを表現してるとかいう話をしていそうですが、確かではないので分かる方がいたら教えてくださいませ。

そして、トランシルヴァニア絡みでもう一つ、この本のハイライトと言えるのが、著者自身の旅です。1906~1918年、バルトーク・ベラは民族音楽を採集すべく、トランシルヴァニアの村々を訪問するのですが、その旅の一部を約100年後に再現するという試みです。バルトーク・ベラが『豚飼いの角笛』を録音したという、ヨッバージテルケ村を目指します。

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本に載っていた地図によれば、どうやら私もこの辺りをバスで通りすぎたことがあるかもしれません。フォルクロールツアーで、西のマロシュバーシャルヘイと、東のソヴァタを訪れたからです。ソヴァタは確か湖があって泳ぎました。海は近くないですが塩水だったかも?近くにサナトリウムみたいな施設があったと記憶しています。

と、話がそれましたが、そうか、当時は全く知らなかったけど、バルトークもあの辺の村を巡って音楽聴いてたんだ、と想像しながら読んで、大変興奮してしまったと。ちなみにヨッバージテルケ村は殆どがユニテリアン派ばかりの地域にあって、カトリックを信仰してるというのも興味深いです。歴史的な何かがあったんでしょうね。

そして、「バルトークが自分のお爺さんの家に留まった」と言う話は、”実際バルトークの記録と照らし合わせると眉唾もの”というのが、何だか微笑ましかったです。きっと、”昔々偉い音楽家先生がやってきた”のが自慢の村なのでしょう。

と言ったところで、ここから先は次に読む本の話です。この『中東欧音楽の回路』からの流れで決めましたよ。

やっぱり買っちゃった国書刊行会の『バレエリュスその魅力のすべて』(左)と、バレエリュスの花形ダンサーだったタマラ・カルサヴィナの自叙伝『劇場通り』(中)は予定外の購入でした。

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何故にバレエリュスなのかと言いますと、実は後に取っておいたのですが、『中東欧音楽の回路』の中に、ストラヴィンスキー作曲のバレエ『結婚』が登場してたのです。



ストラヴィンスキーはユダヤ系ではないそうですが、著者によればバレエリュスの『結婚』は、ユダヤの結婚式にみられる様式とかなり重なっているらしいんですね。嫁入りする前の新婦が嘆き悲しむ歌とか、道化(バドフン)が登場するとか。実際バレエの動画を見ても、私にはどこがユダヤ的なのか分かりませんが。

歌詞はピョートル・キレエフスキー(1808~1856)が採集したロシア民謡のコレクションを元に翻案したのだそうです。ユダヤ人楽師とロシア人楽師に交流があったのか、それともロシア人の村でもユダヤの楽師が入り込んで、影響を与えたのかもしれませんね。

それにしても、バレエリュスの振付けはやっぱり面白い。『春の祭典』で衝撃的な披露だったという内股コリオが、ここでも多用されておりますね。振付けたのはニジンスキーの妹、ブロニスラヴァ・ニジンスカ、衣装はナタリア・ゴンチャローヴァ。

そんな訳で、『バレエリュス・その魅力のすべて』ですが、怪しい魅力を醸し出すニジンスキーの”薔薇の精”が表紙となっております。この灰色っぽいブルーの色味が凄く良いっ!

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で、表紙の裏側は同じくニジンスキー”シェヘラザードの金の奴隷”、となっておりますです。

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山岸涼子先生の漫画『牧童の午後』は、この写真から描いたんでしょうねえ。その他、勿論モノクロではありますが写真が盛り沢山ですし、レオン・パクストの衣装デザイン画はカラーで掲載されてます。やっぱり買って良かったわあ。これからじっくり読んで行こうっと。

それと、カルサヴィナの『劇場通り』の方ですが、こちらは中古で安いのが出てたので購入しました。合わせて読むのも良いかなと。カルサヴィナの『火の鳥』はやっぱり美しいのお。無理な話ですが、これカラーで見たかったなあ。

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表紙は地味ですが、その裏側はこんな感じで良いですよ。

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コクトー、ピカソにニジンスキーと、素敵なイラストレーションになっております。

どちらも結構な厚さですので、いつになるか分かりませんが、読んだらまた紹介しますね。取りあえずラフカディオ・ハーンの『日本の面影』とパラレルで『バレエリュス・その魅力のすべて』を読み始めたところ。

まあ、そもそもバレエリュス自体が、様々な国籍のアーティスト達が関わり、演目も国際色が豊かだった訳ですから、音楽の越境という『中東欧音楽の回路』のテーマと重なるのは、当然なのかもしれませんね。

は~~っ、しかし、今回もすごい長文になってしもた~~!


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タグ: ロマ トランシルヴァニア 東欧 クレズマー バレエ

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