プロフィール

yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

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ユッカリーナのヨガ的雑記帳


2016/02/25 08:05 yuccalina

英国BBC伝説の音楽番組『Old Grey Whistle Test』ベストDVDについて(1)

イギリスの国営放送BBCは、良質なドキュメンタリーが多くて、これまでにロック・アーカイヴの『Dancing in the Street』とか、タップダンスのニコラス兄弟のドキュメンタリーとか、『シド・バレット・ストーリー』などに言及してまいりましたが、いよいよ真打登場です。伝説の音楽番組『Old Grey Whistle Test』(以下OGWTと略)のベストDVD Volume 1~3を紹介しようと思います。

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1971~1988年に放送されたこの音楽番組が、何故に伝説的なのか言えば、

ヒットチャートとは無縁のアーティストを多数出演させていたこと、
1回の放送で様々なジャンルのアーティストを紹介していたこと、
製作スタッフが皆、心から音楽を愛していたこと、
一時的に口パクを採用してた時期もあるが、その殆どが生演奏をライヴで放送していたこと、

であり、そう言った評価は、演奏ビデオの合間に挟まれていた、出演アーティスト達のインタヴューから出てきた言葉でもあります。

例えばエドウィン・コリンズは

「当時否定的な論調ばかりだったパンクについて、情報が欲しくてしかたなかった。だからOGWTに出演したニューヨークのアーティスト達は皆良く覚えている。勿論パティ・スミスも、、」というインタヴューに続いて、パティの『Because The Night』が始まる、と言った具合。

と言う訳で、今回はその『Because~』が収録された、Volume 2(画像中央)から紹介することにします。本来なら1から順番にしたいところなんですが、2をトップにするのには訳があります。

最初にこのDVDを買おうと思ったキッカケがVol 2に収録されていたパティ・スミスとトム・ヴァーレインだったからなんです。

実はこの『Because The Night』、私が最初に見たのは20代の前半で、テレビ埼玉のロック番組で放送されたニューヨーク・パンク特集でした。そこで紹介されたのは確か、

Patti Smith 『Because The Night』
Iggy Pop 『I'm Bored』
Lou Reed 『Legendary Hearts』
Television 『Foxhole』
Tom Verlaine 『Clear It Away』
Tom Verlaine 『Words From The Front』

だったと思います。私は当時東京の東端の町に住んでいて、テレビ埼玉は見られなかったので、実際は、埼玉在住の友人にダビングしてもらったビデオで見ました。そのビデオも今では消失してしますから、確認は出来ませんけど、もしかしたら、ラモーンズやトーキング・ヘッズが入ってたかもしれませんぐ。まあ、とにかく、記憶にあるのはこれだけ、ということです。

10代後半から20代半ばまでの6~7年で、私が一番夢中だった男性アーティストは多分トム・ヴァーレインだったと思います。

あれれ?ジュリアン・コープじゃなかったんか~い?

と突っ込む人が少数いるかもしれませんがが、アイドル的にキャッキャ喜びながら見ていたジュリアンとは対照的に、トムは大人過ぎて自分もクールでいなくてはいかんような気がしていたんですね。変な話ですけど。なので『Clear It Away』や『Words From The Front』のビデオも、夜中薄暗い部屋で1人、音を下げて見入ったりしてますたのよ。

なぞという思い出もふと過ぎる、OGWT。当時はボールを蹴る男のマークが一体何なのかも知らなかったなあ。

とか、いつもの如く、前置きが長文になりますたが、こっからが本編です。OGWT Vol 2の収録アーティストと曲、放送年は以下の通り。

1. Heads Hands and Feet "Warming up the Band" 1971
2. Kevin Ayers and The Whole World "May I?" 1972
3. Roxy Music "Ladytron" 1972
4. Loggins and Messina "House at Pooh Corner" 1972
5. The Who "Relay" 1973
6. Judee Sill "The Kiss" 1973*
7. Argent "God Gave Rock'n Roll to You" 1973
8. The Average White Band "Put It Where You Want it" 1973
9. Montrose "Bad Motor Scooter" 1974
10. Bruce Johnston "Disney Girl" 1975
11. Be Bop Deluxe "Made in Heaven" 1975*
12. Nils Lofgren "Goin' Back" 1975*
13. Daryl Hall and John Oates "She's Gone" 1976
14. Joan Armatrading "Love and Affection" 1976*
15. Roy Harper "One of Those Days in England" 1977
16. The Adverts "Bored Teenagers" 1978
17. The Patti Smith Group "Because The Night" 1978*
18. Siouxsie and the Banshees "Metal Postcard" 1978
19. Gary Moore and Friends "Don't Believe a Word" 1976
20. The Undertones "Jimmy Jimmy" 1979
21. Squeeze "Slap and Tickle" 1979
22. Orchestral Manoeuvres in the Dark "Dancing" 1980
23. Stanley Clark/George Duke Project "Schooldays" 1981
24. Tom Verlaine "Days on the Mountain Part I" 1982
25. Aztec Camera "Walk Out to Winter" 1983*
26. Thomas Dolby "Hyperactive" 1984*
27. The Style Council "Walls Come Tumbling Down" 1985
28. Suzanne Vega "Marlene on the Wall" 1985
29. Andy Kershaw, John Walters, Ro Newton & John Peel "Skiffle Jam" 1985
30. Prefab Sprout "When Love Breaks Down" 1985
31. The Pet Shop Boys "Opportunities" 1986
32. The Pogues "Dirty Old Town" 1986
(*は動画を貼ってる曲)


では早速、くだんの17、パティのビデオから紹介します。



ライトの当て方がイマイチ雑なんじゃね?とか、実はレニー・ケイがギターでなくベースを弾いておったのか?と今にして気が付くこともチラホラ。昔は「パティのファッションと手の動きがメチャカッコエエ!」くらいしか見てなかったかもね。

で、余りにも曲数が多いので、こっから先は暫く一言コメントで動画無しです。

2は既にケヴィン・エアーズの記事で紹介した通り、私はこれでケヴィンにハマったという記念碑的VTR。バンド結成から間もない時期で、本人が「我々は未熟だった」と話してました。

3はロディ・フレーム&エドウィン・コリンズがイチオシのロキシー。まだ気持ち悪い格好してた頃で、機材に凝ってるところもロディ&エドウィンは惹かれていたそうな。マルコム・マクラレーンには嫌われてたけどね。って関係無いか。ア~ヴァロ~~ン♪的ムード音楽でないのが新鮮。

4は後の『フットルース』からは想像がつかないフォーキーなケニー・ロギンス。若くて矢鱈ツヤツヤ、キラキラしておったなー。

イエスのお友達プログレバンドだったらしい7は、リック・ウェイクマンが「同じローディーを使ってた」と思い出話を語る場面も。プレゼンター、ボブ・ハリスのお気にバンドでもあったらしい。「アージェント、う~~ん、素晴らしい!」と一言コメント有り。

8は事前にメンバーのインタヴューで「口パクだったので驚いた」と言ってるのに、当時の放送ではボブ・ハリスが「アヴェレージ・ホワイト・バンドの見事な演奏でした」とか言ってるのに笑ってまうぅ~!先述の通りOGWTはその歴史の中で、一時的に口パクを採用していたことがあり、それは「ミュージシャンの組合がTVで生演奏をさせない取り決めがあったから」とか。ロジャー・ダルトリーがインタヴューで話しておりますた。

10はロディ・フレームのお気に入りとして紹介。「最初はブライアン・ウィルソンの曲だと思ってた」そうです。ピアノの弾き語りが秀逸。

16のアドヴァーツはOGWTに初めて出演したブリティッシュパンクバンドだったらしい。出演予定のアーティストが事故に遭い、急遽決定したとか。ちなみにTVスミスは「番組には否定的だったが出演出来たのは嬉しかった」とコメント。

同じくパンク世代の18は、今聴くと結構マトモというかシッカリ出来てる曲だなーと感じるから不思議。スージー・スーのメイクも含め、当時は仰々しいさがウリだったんでしょうけど。

19はほぼ、シン・リジィ?フィル・ライノット、スコット・ゴーハムは即確認。顔がウロ覚えなんだけど、ドラムもブライアン・ダウニーかと。最初っからムーアのギターの弦が着れちゃうんだが、生放送なので、勿論続行。

22はクネクネ踊りまくるアンディ・マクラスキー。でもOMDってもっと良い曲が沢山あるのになじぇにこれなん?

27は私が一番好きなスタイルだった頃のポール・ウェラー。短く刈った頭髪にシンプルなカーディガンを着用。後のヨメ、D.C.リーはまだ垢抜けておりませんぐ。彼女はやっぱウェラーと付き合ったことで美しくスタイリッシュになったのね、と確認。

32はトラッド風味のパンクで、ワールドミュージックな90年代にも輝いていたポーグス(96年に一度解散)。曲は鈴木常吉さんもカバーしてたトラッドの名曲。

とまあ、ご覧の通り幅広いジャンルが収録されておりますが、このビデオで初めて知ったのが、6のジュディ・シルなんです。彼女は存命中に成功することなく、死後に再評価されたんだそうですが、ニック・ロウが彼女の曲からフレーズを頂いた話とかしてて、とても興味深かった。ここから再び動画を紹介します。



ボブ・ハリス曰く「図書館員のような風貌」。老女のような、少女のような、不思議な雰囲気を持った女性だったんですが、透明感のある歌声は今聴いても十分魅力的。

14は同じく女性シンガーソングライターのジョーン・アーマトレイディング。渋谷陽一のサウンドストリートで何曲か聴いた記憶がありますが、いつも「日本では中々売れない」と言われてたなあ。



いやー、でもこれ良いじゃない。凄く好き~!ずっと80年代のアーティストだと思い込んでましたが、70年代から活躍してたんですね。

12のニルス・ロフグレンは名前だけ知ってて、何も聴いたことなかったんですが、スクイーズのジュールズ・ホランドが思い出の一曲として選んでました。



ピアノがメインの曲良いですね。ホランドもピアニストですから、印象に残ってたみたいです。

そんで、お次は11、ビル・ネルソン。彼はYMOの高橋幸宏と仲良しだったけど、曲はそんなにちゃんと聴いてなかったな、と思ったんでね。



1975年にして、すでにポストパンク、ニューウェイヴの雰囲気を醸してるのが、ビックリだったんです。ギター、カッコイイじゃ~ん。いや、全く70年代のバンドに見えないねえ。

25のアズティック・カメラと7~8年も開きがあるとは思えんわ~!で、インタヴューでも沢山登場するロディ・フレームの青春時代は、やっぱりバーズを思わせるオサレな格好してますた。



オープニングはアーティストでなくマシーン”フェアライト”がクローズアップされたことを、自嘲的に話しておりますたわ。「ヘビメタファンからツバを吐かれてた」との衝撃告白も。ロディのファッションで注目したいのは、カラーチップ等ウェスタン調なとこですな。私もカラーチップ一杯持ってたよ~!というお話はかつてコチラで書きましたけど、当時意識してたのはロディ・フレームよりもジョニー・サンダースなのであった。

80年代はニュー・ウェイヴの時代、アズティック・カメラもOMDも同じくくりだった訳ですが、アコースティック風味なのかバリバリエレクトロポップなのか、によってもバリエーションは豊富だったなあ。そんな中でふと、26、トーマス・ドルビーを見ていたら、



これ、めっちゃファンキーやないか~~い?

となったんです。そうそう、イギリスのロック&ポップスにおけるソウルやファンクの影響力って、80年代当時は全然知らずにいたんですが、この『Hyperactive』はファンク要素がかなり強かったのねっ!と感動。それにドルビー氏ってばさ、何気にダン・ヒックスの曲カバーしてたじゃ~~んの『I Scare Myself』もね。後にダン・ヒックスが来日した頃になって、彼は只者ではなかったな、と気が付いたのだった。その辺りの話はそのうちまた書くかもしれませんぐ。

そして最後に、動画を直接貼れなかったのでリンクだけですが、24のトム・ヴァーレインについては、やはり書いておかねばね。

Tom Verlaine - Days on the Mountain Part 1 (The Old Grey Whistle Test)

これこそ、OGWTがヒット曲の為の番組でない証ですな。サードアルバム『Words From The Front』からの曲で、地味な服装も当時の数少ない彼のグラビアで見たまんま。見た目も曲もじぇんじぇんテレビ向きじゃにゃいっ!のに放送してまうOGWTはやっぱり凄い番組だったんだなっ!と再確認したのですわ。いや~、もし私が80年代にこのビデオ見れていたら、鼻血出してたかもしれんなー!

とか思いつつ、トムがギター弾いてるときのアクションって、何か全然カッコよくない、っつーか、むしろ不恰好なことにも感動してしまったワタクシ。

いや~OGWTって、ホント素晴らしい番組でしたね。プレゼンターの服装や髪形も時代性が出てて面白いなあ。矢鱈可愛らしいフリフリの服が似合わないアニー・ナイチンゲールとか、笑っちゃったし~!

と言う訳で、次回はVol 1を、もう少しテンション低く紹介する予定です(^^;)


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タグ: パティ・スミス イギリス 80年代 70年代

テーマ:洋楽ロック - ジャンル:音楽

2015/07/06 11:50 yuccalina

『コーマン帝国』~究極のツンデレハリウッド裏番長を追え~

「低予算映画の王者」やら「大衆映画の法王」やら(Wikipediaより)の異名を持つロジャー・コーマン監督、おんとし89歳(映画公開時は85歳)の功績を辿るドキュメンタリーです。2009年アカデミー名誉賞の授与式がハイライトとなってますので、当時は83歳くらいですか。ウィキによれば今も現役の模様。



ワタクシはカルト映画も映画全体にしても、つまみ食い程度にしか見てない人間ですが、コーマンの名前を知ったのは80年代後半。当時はサイケデリックカルチャーに興味を持ち、『イージー・ライダー』に衝撃を受け、好きな俳優はジャック・ニコルソンとデニス・ポッパーでしたから。また、マーティン・スコセッシの『タクシー・ドライバー』を見たのも、この頃だったような、、、。

要するにアメリカン・ニューシネマと呼ばれた作品群を、ボチボチ見始めたのが、25年くらい前だったと。但し『イージー・ライダー』の土台を作ったと言われている『白昼の幻想』も『ワイルド・エンジェル』も見てなくて、その代わりにニコルソンが悪夢だったというサイテー映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』は、何故だか見てました。しかし、同じB級カルト監督と呼ばれたサミュエル・フラーと混同してしまうくらい、当時の認識はいい加減でしたわ。

そんなワタクシにも分かりやすくロジャー(ヨメや兄弟が出てくるのでファーストネームで略します)のお仕事を紹介してくれるのですが、彼と関わった監督や俳優、妻のジュリー、弟のジーン、その他製作スタッフ等へのインタビューが、兎に角興味深いです。登場した監督(カッコ内は代表作)はこちら。

マーティン・スコセッシ
ロン・ハワード
ピーター・ボグダノヴィッチ(ペーパー・ムーン)
ジョン・セイルズ(カーサ・エスペランサ”赤ちゃんたちの家”)
ポール・W・S・アンダーソン(バイオハザード)
ジョー・ダンテ(グレムリン)
アーヴィン・カーシュナー(スターウォーズ帝国の逆襲)
ジョナサン・デミ(羊たちの沈黙)
イーライ・ロス(イングロリアス・バスターズ)
ポール・バーテル(世にも不思議なアメイジングストーリー)
ジョナサン・カプラン(告発の行方)


ですが、その後大成した皆様のみ抜粋。タランティーノやロス等の若い世代は、ロジャーの下で働いてたんじゃなくて、影響を受けてただけかもしれませんが。また、ロックファンとして注目したいのが、

アラン・アーカッシュ(ロックンロール・ハイスクール)
ジョージ・ヒッケンルーパー(ファクトリー・ガール)
ペネロープ・スフィーリス(ウェインズ・ワールド)


でしょうか。上から順にラモーンズ、イーディー・セジウィック&アンディ・ウォーホル、そしてサタデーナイトライヴ関連の映画となっておりますです。

一方の俳優陣ですが、、

ジャック・ニコルソン
デヴィッド・キャラダイン
ブルース・ダーン
ロバート・デ・ニーロ
ピーター・フォンダ


と、監督に比べてちと少なめか。最近のコーマン作品で主演してるのは、ギャラの安い俳優さんでしょうから、知らない人ばかりでした。もしデニス・ホッパーが生きてたら、絶対に出てたよね?対して、デヴィッド・”キル・ビル”・キャラダインはこの時はまだ存命でしたか。また、その昔日本でコーヒーのCM(マックスウェルかな?)に出てた頃は、チョー格好いいと思ってたピーター・フォンダは、今見るとそのアゴのデカさにビックリだわ。昔は欧米のスター達を、斜めとか横から見る事があまりなかったのかしら。そして、すっかり太っちょお爺さんになったジャック・ニコルソンは、「ロジャーのことを思うと泣けてくる」と目頭を押さえとった。年のせいで涙腺がバカになってるのか?それともここでも演技派なのか?どっちにしても、おじいちゃん大丈夫?と心配しちゃいましたわ。

しかし、誰もが口々に言うのは、

ロジャーと仕事して大変な目に遭った。でもそれが為になった。

でして、低予算・短期間で映画を作る為には、助監督にエキストラさせたり、俳優に雑事も当たり前。警察に許可を取らずにゲリラ撮影して、留置所に入ったスタッフがいたり。殆どのシーンがテイク1で済ませたり。借りてたロケ地で、時間が余ったから別の映画を撮っちゃうとか、まあ、現場は常に大童だったみたいですが、それが皆にとっては良い経験となって、その後の映画人生の役にたったというんです。

それに、ロジャーは唯ケチなだけでなく、その時代々々で求められてるものには非常に敏感で、体制に反抗する若者という、アメリカン・ニューシネマの基礎は、彼の映画によるところが大きい。また、後に映画界を一変させる『スターウォーズ』の大衆的エンターテイメント作品の方法論も、ロジャーが作ったものだと皆認識してるんですね。

ただ、ロジャーの元から巣立っていったスタッフは皆次のステップに進んでる中、彼は相変わらず低予算映画に留まり続けました。兎に角ルールに縛られるのを嫌い、ずっとインディーズでB級映画を作り続けている。エクスプローティション(=搾取)映画と呼ばれ、田舎町のドライブシアターでかかるような作品。70年代は濡れ場とバイオレンスが売りのR指定映画。永遠の反逆児であり、低予算&速撮りは彼の美学なのかもしれません。

さて、そんな中で、私が見てみたいと思ったのが、数少ない赤字作品の一つで、唯一の社会派作品『侵入者』です。この映画が公開後に日本でもDVD化されたようですね。映画の中では原題The Intruderしか字幕にありませんでしたから。

社会派においても、ロジャーは時代を先取りしていた証明とも言える作品でして、実際に人種隔離政策絶賛続行中の南部での撮影は、酷い妨害にあったそうな。白人優位主義者が黒人青年を陥れてリンチするような内容ですからね。で、実際南部のファンダメンタルな白人達は、怒り狂ってコーマン様御一行をリンチしかねない状況だったのでしょう。メディアでの評価が高かったにも関わらず、上映に妨害が入ったのか、大赤字の結果だったと。



しかし、メジャー会社では絶対に取り組めなかったテーマであり、低予算だからこそ、縛りがなく自由に革新的な表現が出来た、というのは、日本においても同じだった、ってのが面白いですね。今ではにっかつロマンポルノが再評価されてますから。

それと、ロジャーのお仕事で、もう一つ興味を惹いたのが、ヨーロッパ映画の配給。彼が好きな監督は、イングマル・ベルイマンやフェデリコ・フェリーニですって。良質なヨーロッパ映画と、自身作の搾取映画、というアンビバレントなのは、監督自身のお人柄とも重なって面白い。見た目はまるで知的な英国紳士の様なのに、火星人だのおっぱいだのの映画作っとる。誰が言ったか忘れちゃったのですが、

「ロジャーは泳げない俳優でも平気で崖から突き落とす」

んだそうですが、その一方でボグダノヴィッチの元ヨメ、ポリー・プラットは

「離婚して一人で困ってた時に、声を掛けてくれたのはロジャーだけ。”何時でも監督させてやる”って」

と言う、義理人情に溢れたエピソードもあったりして。大体、散々な目にあったけど感謝してる、って人の方が多そうだから、人間的に魅力があるのは確かな訳で、ヨメのジュリーはプロポーズされてOKしたら、即ロケでどっかに行っちゃって、目がテンになった話も面白かったです。それでも、離婚せずに40年以上一緒なんですから、

要するに、ロジャー・コーマン監督って、ツンデレなんでしょうね。

どんなにキツいこと言っても、どこかに愛情が感じられる。そんなロジャーが皆から愛されているのは、最後のアカデミー名誉賞授与式でも明らか。出席者の嬉しそうな顔を見れば分かります。乾杯の音頭を取ったロン・ハワードの言葉や、「地球の映画ファンがあなたに感謝してる」と言うタランティーノの祝辞。嬉しそうにオスカー像を手渡すジョナサン・デミ、それらを見守る人々と、会場全体に愛情に溢れていたんですね。そして、それに答えロジャーが言った「冒険を怖れずに(独創的、革新的な作品を作って)」は、後身だけでなく自分自身にも投げかけた言葉だったのでしょう。

とまあ、彼のB級映画には、余りに言及せずに終わってしまいますが、例え直接彼の作品を知らなくても、映画が好きな人なら何かしら引っかかるところがある筈で、きっと楽しめるのではないかと思いました。


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タグ: 60年代 70年代

テーマ:ドキュメンタリー映画 - ジャンル:映画

2015/06/13 06:26 yuccalina

歌う川から生まれた『黄金のメロディ マッスルショールズ』

近年、ブルースやソウル音楽の底なし沼に、ズブズブとハマりつつあるブログ主ですが、昨年夏、新宿のミニシアターで上映されていたドキュメンタリー映画『黄金のメロディ~マッスル・ショールズ』について。残念ながら見に行けなかった為、割と早めにDVDを購入していたのですが、実際見るまでに時間がかかってしまいました。4月14日にパーシー・スレッジが他界し、そろそろ見ておかなくちゃ。

黄金のメロディ マッスル・ショールズ (商品詳細 Amazon.co.jp)
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と、DVDプレーヤーにセットしてから、かれこれ2ヵ月。ブルース、ソウル及び70年代のロックに興味がある方には、かなりオススメの作品です。何回見たか数えてませんけど、マーティン・スコセッシの『The Blues Movie Project』の時と同様、家事のBGM代わりに朝からかけっぱなしとか、何度したことか。そして、余りにも内容が濃すぎで、何を書こうか迷いまくった末、取りあえず今書いておきたいことだけでも記録することにしました。今後必要に応じて、訂正、加筆、若しくは新たな記事を投稿するかもしれません。また、こちらは映画ではなく、音楽のカテゴリーにしました。

マッスルショールズとは、アラバマ州北西部、テネシー州との州境にあるフローレンス、シェフィールド、タスカンビア(ヘレン・ケラーの故郷として有名)の3つの町からなる地域です。工場地帯もあるようですが、テネシー川が流れ、森と綿花畑に囲まれた、のどかな風景が映し出されていました。1960年代初頭、地元出身のリック・ホールという青年が、タバコとお菓子の倉庫を借りてレコーディングスタジオにしたのが、ことの始まり。その名は『F.A.M.E.(=フェイム)』、Florence Alabama Music Enterpriesの略です。

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ホールはそれ以前、50年代の終わりに、友人の父親が経営するドラッグストアの2階を借りて、音楽ビジネスを始めるのですが、「あまりにも仕事にのめり込み過ぎ」「頑固で押しつけがましい」と仲間から外されました。それから暫くバンド活動をした後、そのリヴェンジを果たす為、一人でFAMEを立ち上げたのです。

<最初のレコーディングについて語るリック・ホール>
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以降、そこで録音された珠玉のメロディは、その後の音楽界に多大なる影響を及ぼすのでした。

そして、もう一つのスタジオ、マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ(以下MSSと略)については、今回初めて知りました。

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FAMEで録音されたウィルソン・ピケットやアレサ・フランクリンについて、私はBBCの音楽ドキュメンタリー『Dancing In The Street - R.E.S.P.E.C.T』で見て知ってたんですが、MSSはFAMEから派生した分家だったんですね。それは友好的な暖簾分けとはならなかった様で、詳細は後で書きますが、いわゆるマッスル・ショールズ・サウンドとは、FAMEだけでなくMSSスタジオで作られた音楽も含まれると言うことです。有名どころでは、ローリング・ストーンズの『Brown Sugar』『I Gotta Move』『Wild Horses』。これらはMSSでレコーディングされた曲だったんです。若しかしたら、70年代ロック好きには、MSSの方が有名だったのかもしれませんね。

FAME創始者リック・ホール自身による話を中心に、彼が育てたリズム・セクション(スタジオ・ミュージシャン)達へのインタヴュー、スタジオの初期時代から8ミリで撮影されていたレコーディング風景と昔のインタヴュー、そして、映画のために行われたミック・ジャガー、キース・リチャード、スティーヴ・ウインウッド、ボノと言ったマッスル・ショールズ縁のアーティスト達のインタヴュー等々、年代も様々な映像がとても分かりやすく纏められている映画です。ソウルやサザンロックの入門にもなりそう。

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FAMEのリズム・セクションは、初代(グループとしてのネーミングは無し)、2代目のスワンパーズ、3代目フェイム・ギャングと出てきますが、メインとなって登場するのがスワンパーズ。それもその筈、彼等こそ、後に独立してMSSを設立するのですから。ボノ曰く、「どんな黒人ミュージシャンなのかと思ってたら、スーパーの店員みたいな白人ばかり」と言う、見た目には余り冴えない彼等が、音を出すとたちまち泥臭くて超ファンキーなバンド(アレサ談)に変身したのも、マッスルショールズの魔法と言えるのかもしれません。

特筆すべくは、リック・ホールがスワンパーズも含め、地元の若いミュージシャン達を一から育てて行ったということ。最初のビジネスでは「押しつけがましい」と嫌がられていたが、それが逆に「リックにはヴィジョンがあった」「彼の言うことに間違いはない」「信頼していた」となっていったのですね。そして、その信頼は人種の垣根をも超えていたのです。既に公民権運動が始まってはいましたが、キング牧師が演説で名指しするくらい、アラバマ州はもっとも差別が厳しかった土地。FAMEスタジオで白人と黒人が一緒に仕事していることに嫌悪感を示す人々も、決して少なくなかった。リック・ホールは

「黒人の為に食事を買うのにも、恐怖心があった」と語っていました。

それでも、スタジオの中では人種による揉め事は一切なく、ウィルソン・ピケットとスワンパーズのこんな姿も、当時のアラバマでは考えられないことだったのでしょうね。

<ファンキーな黒人歌手とスーパーの店員風スワンパーズの図>
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何せ、当時の州知事ジョージ・ウォレスは「永遠に人種隔離を」のスローガンを掲げていたのですから。「大学の正門に立って、黒人の排除をしてた」とはホール談。

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同じ南部でもピケットがいたメンフィスの方が、ずっと都会だったんでしょう。彼は初めてマッスル・ショールズにやって来た時、綿花摘みを見て「時代錯誤もいいとこだ」と思ったとか。スタックス・レコード(メンフィス在)のリズム・セクション、ブッカーT&MG'sも白人黒人混成バンドでしたけど、アラバマに比べたらまだマシな環境だったのかもしれません。

しかし、周囲から白い目で見られていたことは、逆にスタジオ内での結束を深める要素になったのでは?と私は思いました。差別を受けたことも、良いエネルギーにして、素晴らしい音楽に変えることが出来たのかもしれないと。ジミー・クリフが「マッスルショールズは漲るエネルギーを感じる特別な場所」という表現をしていたのですが、正にアーティストにとってのパワースポットだったのでしょうね。

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まるでそれを証明するかのように、地元のネイティヴ・インディアン、ユチ族の男性が、部族に伝わる伝説を語っていたのも興味深いです。古来テネシー川は“ヌナセー=歌う川”と呼ばれ、川の乙女が歌で部族を守ると言われていたそうです。

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その自然環境もまた、音楽にインスピレーションを与えたであろうことは、想像に難くないですが、後にマッスルショールズで音楽が人々を人種差別から守ったとも言えるのは、偶然ではないと思います。リック・ホールが尊敬するサム・フィリップス(プレスリーを発掘したサン・レコードの創始者)や、ブルースの父W・C・ハンディがマッスル・ショールズ出身であるというのも興味深く、土地の持つパワーを感じずにはいられません。

そんな大地のエネルギーを得たスタジオは、数多くのアーティスト達に霊感を与え、才能が花開いていきました。最初に注目を浴びたのはアーサー・アレキサンダー。地元ホテルのベル・ボーイだったのを、ホールがスカウトしました。アレキサンダーの歌声は海を渡って、イギリスでもヒットします。ビートルズが『Anna』をカバーし、その直後には、ローリング・ストーンズが『You Better Move On』を。



当時はまだ、レコードジャケットに録音スタジオがクレジットされることもなく、FAMEスタジオもマッスルショールズの名も知られてませんでしたが、「我々も早くからマッスルショールズサウンドのお世話になっていた」とはキース・リチャーズの弁。「あの頃は皆アーサー・アレキサンダーに夢中で、カバーはビートルズに先を越されちゃったけど」とちょっと悔しそうでした。

その後、全くの新人で最初のレコーディングだったパーシー・スレッジ『When A Man Loves A Woman』や、アレサ・フランクリンを覚醒させた『I've Never Loved A Man The Way I Love You』と言った名曲が、FAMEから生まれます。スレッジは綿花畑で歌ってたメロディを、緊張で震えながらもスタジオで歌い上げたのですが、彼を励ました家族と思えるような仲間達の中には、元グレイトフル・デッドのドナ・ジーン・ゴドショウもいました。

<レコーディング当時の話をするパーシー・スレッジとゴドショウ>
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綿花畑で歌っていたように、何のテクニックもなく、自分の声だけを頼りに歌ったのだそうです。

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だからこそ、生命力を感じる、いきいきとした曲になったんでしょうね。ここで、私はBBキングの言葉を思い出しましたよ「それは悪い事だと思うけど、奴隷制があった事によって何かポジティブな事があったんじゃないかと考えたい」って。綿花畑から生まれたスレッジの歌声も、正にそれなのではないでしょうか。また、サム・フィリップスが黒人音楽を録音するようになったのは、綿花畑で働きながら聴いた黒人の歌に死ぬほど感激したからだと言いますしね。

一方のアレサ・フランクリンは、当時音楽業界の重鎮だったプロデューサーのジェリー・ウェクスラーが、アトランティック・レコードに引き抜いた逸材だったのですが、まだ才能は開花しておらず、自分探しをしている状態でした。コロンビア時代のアレサは、モータウンの女性ヴォーカル以上に、お上品で当たり障りのない歌い方をしててビックリです。こちらはマッスルショールズサウンドとは関係ない曲なので、リンクだけ貼っておきます。興味のある方はどうぞ。

Aretha Franklin - One Step Ahead (Laid Back Radio)

勿論、十分に素晴らしい歌唱なんですけど、小奇麗で物足りない感じ。アレサ本人も、『I've Never Loved A Man』は自分のキャリアで最大の分岐点だったと言ってました。

<ジェリー・ウェクスラーとアレサ・フランクリン(可愛いっ!)>
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ただ面白いのが、今では名曲の誉れ高いこの『I've Never Loved A Man』も、最初から名曲だった訳ではないそうです。オルガンのスプーナー・オールダムによれば、デモ・テープの段階では「ゴミみたい」だったとか。元々、楽譜も無くアレンジも決めていない状態で、それぞれがアイディアを出し、スタジオで作り上げていくという手法だったのですが、レコーディングは難航しました。皆、アレサが放つ強烈なオーラに尻込みしたのか、上手く噛みあわずに時間だけが過ぎていきました。そんな中、オールダムがオルガンでイントロの印象的なフレーズを出し、周りが「それ、良いな」となり、スタジオの空気が一変。そこから一気に名曲に生まれ変わっていった。つまりFAMEスタジオでなければ、生まれてなかったかもしれないってことですね。



アレサがノリノリだったのは、このヴォーカルを聴けば伝わってきますが、残念ながら、その後アレサの夫が某ホーンプレイヤーと揉め事を起こし、レコーディングは中断。リック・ホールは仲裁に入るも、さらに拗らせてしまい、ジェリー・ウェクスラーと険悪な状態に。その後、ウェクスラーがニューヨークにスワンパーズを呼び寄せてアルバムは完成し、大ヒットしますが、ホールはウェクスラーとの間に確執を残し、アレサを失うことになりました。2人は元々、先述のパーシー・スレッジのデビュー曲がキッカケでタッグを組むようになり、ウィルソン・ピケットもウェクスラー人脈で成功したのですが、その後にアレサの一件で喧嘩別れとなったと。

しかし、捨てる神あれば拾う神あり。ウェクスラーと決別した後、レナード・チェスから頼まれたのがエタ・ジェイムス。ワタクシ恥ずかしながら、彼女は初めて知りました。『ゴットファーザー&サン』には出てこなかったんですもん。つり目メイクが奈良美智の絵のようでもあり、ビョークのようでもあり。そして弾ける歌声と、見た目も音楽も、凄ーーく惹かれちゃいました。

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なので、『Tell Mama』と『I'd Rather Be Blind』2曲行っちゃいましょう社長。




水色のサイケなブラウスと金髪が超キュー―トで大好き~!じゃじゃ馬エタは、アラバマの泥沼にまみれる覚悟でやってきたそうですが、泥パックでさらに魅力的になったのかもしれん?リック・ホールにとってアレサ・フランクリンを失ったのは大きな痛手だったのでしょうが、そのお陰でエタ・ジェイムスを得たと言えるのですから、あの一件にも意義があったのだと言えましょう。

こうして順調にヒット曲を送り出し、FAMEの評判が高くなると、更に様々な才能がマッスル・ショールズに吸い寄せられてきました。その中で紹介しておきたいのがデュアン・オールマンです。

<デュアン・オールマン(右)とリック・ホール>
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彼は川畔の小屋で生活しながらFAMEスタジオに入り浸り、準レギュラー化していくんですね。そこで起きた面白い化学反応がウイルソン・ピケットの『Hey Jude』なんです。



ビートルズのカバーはオールマンのアイディアだったそうで、当初はピケットもホールも反対したそうです。ピケットは「俺はオリジナル曲で勝負するんだ!」とお怒りだった模様。それでも、オールマンの素晴らしいギターを受けて、ヴォーカルもファンキーに跳ねてるではありませんか?これが正にサザン・ロックが生まれた瞬間だったのでした。そして、オールマンはマッスル・ショールズで後にオールマン・ブラザーズのドラマーとなるジェイモーと出会った。それにしても、アーサー・アレキサンダーをカバーしたストーンズに対し、ウィルソン・ピケットのビートルズカバーとは、この時代、ブリティッシュロックとソウルが相思相愛だったのを象徴してるようですね。

しかし、ホールはヒッピーを毛嫌いしてたせいで、オールマンの新しい音楽には懐疑的だったそうです。「奴はきっと売れるぞ」と周囲からの勧めにも乗らなかった。ホール曰く「逃がした獲物は大きかった(笑)」と相成りました。


さて、それから数年の後、1969年、リック・ホールに衝撃的な出来事が。アレサの一件以来、因縁のジェリー・ウェクスラーが、スワンパーズを引き抜き独立させて、先述のMSSスタジオを立ち上げるのです。そう、ウェクスラーはホールの右腕を横取りして、潰しにかかってきたと。ここで私はかなりムカついちゃいました。ウェクスラーがブルース、ソウル、ロックにとって、非常に重要な人物であったのは確かでしょうけど、やることが汚ねーぞ、糞ジジイ!とか、突っ込みたくなった。元々ウェクスラーはスタックスの社長と揉めて追い出されたから、ウィルソン・ピケットを連れてFAMEにやって来たくらいですから、性格に問題があったのかもね。これはまあ、あくまでも私の想像の範囲ですけど。と、完全にホールの味方で見てしまいましたよ。流石にホールも暖かく送り出すとは行きませんよね。

そして、MSSスタジオ設立後、中々ヒットが出ず、生みの苦しみの只中にいたスワンパーズを救ったのが、ローリング・ストーンズで先述の3曲(アルバム『スティッキー・フィンガーズ』)であったと。それ以降のヒット曲は数知れず、ジミー・クリフから得たアイランドレコード人脈でトラフィックと出合い、スワンパーズはツアーにまで同行することになりました。

一方のホールは、再び地元のミュージシャンをかき集め、3代目のフェイム・ギャングを育て、ヒットを出し続けました。こうして、2つのスタジオから、其々数多くの名作が生み出していきました。

と、ここまでで、やっと話が70年代なんですが、映画の最後の方では、リック・ホールとスワンパーズが仲良く一緒に喋ってる姿を見て、正直ホッとしました。スワンパーズの面々は、独立後大きな仕事をしてきたものの、相変わらずホールを師匠として尊敬し続け、ホールもそれを受け入れていたのです。一方のウェクスラーは2008年、映画完成より4年前に91歳で亡くなっていますので、ホールと和解していたのかどうか分かりません。但しホールは、ウェクスラーに酷く傷つけられた(本人はReject=拒絶と表現)ものの、「彼と組んだ事で道が開けた」と肯定的な話もしていたのは良かったです。

それから、リック・ホールの音楽以外での個人的なエピソードも語られていたのも、非常に興味深かったです。幼い頃に兄が事故(火傷)で死亡。それが原因で両親は離婚し、父1人子1人の極貧暮し。家の床は土で、藁のベッドにトイレもシャワーもない。貧し過ぎて、学校では友達が出来なかった。成人し最初の結婚では妻が交通事故死。後に最愛の父がトラクターの横転事故で死亡。

等々、私生活では辛いこと悲しいことの連続だったみたいなのですが、だからこそ音楽に打ち込むことが出来た、と肯定的に捉えていたのが印象的でした。ウェクスラーにスワンパーズを横取りされた一件でも、また一から始めて決して屈しなかったのは、音楽への愛情ゆえだと思います。

と言ったところで、かなり長ーーーーくなってしまいましたが、これでもまだ書き足りない位なんで、困ったものですな。余り聴き込んでないサザンロックの話は殆どスルーしてますし、ソウルでもまだまだ紹介したいアーティスト、曲が沢山あったのですが、最後に、先述したBBCドキュメンタリー『Dancin' In The Street - R.E.S.P.E.C.T』について。

Dancing in the Street "R.E.S.P.E.C.T" - Amazon UK
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と言うのも、この映画に出てくるジェリー・ウェクスラーとウィルソン・ピケットのインタビューが、このBBCの映像を使用してるみたいだからなんです。BBCのロック・ヒストリー番組『Dancing in the Street』は、昔NHKで放送(全部で12エピソードあるみたいですが、全てだったかは不明)されて、私はその一部(ビデオ→DVDにダビング)を所有しているのですが、久しぶりに見直したくなりました。ネット検索してみると、本国イギリスAmazon U.K.でも中古のVHSしか取り扱いが無いので、DVD化されていない様ですね。とても優れたロック・ドキュメンタリーですので、何とかDVD化してもらいたいところです。


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タグ: R&B ソウル 70年代

テーマ:ゴスペル/ブルース/R&B/ソウル/ファンク - ジャンル:音楽

2015/04/16 08:10 yuccalina

東欧雑貨ICIRI*PICIRIのプリントブラウス

この記事は少し前に準備してたのですが、先週、真冬の寒さが戻った最中での投稿はどうかな?と保留しておりました。やっとこ春がやってきましたね!久しぶりにファッションの話をしたいと思います。

相変わらず、東欧雑貨ICIRI*PICIRI(イツィリ・ピツィリ)の古着を愛用しているブログ主ですが、昨年ネットショップのクリスマスセールで購入した、プリントの長袖シャツを2枚、紹介したいと思います。

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左のさくらんぼ柄のがコットン製で、襟の織ネームにはWest Germanyの文字が。殆ど着てないみたいに、保存状態が良かったです。袖が若干短いものの、ピッタリサイズでした。

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一方、緑の70年代ちっくなプリントシャツは化繊です。織ネームは無くなってますが、サイズのタグが残ってるので、既製服ではあるようです。体の線に沿った仕立てなので、それほどダボついてはいませんが、ちょっと大きめ(42=LLかな?)です。タックの部分を深くするとか、自分でリフォームしてみようか検討中ですが、、、

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まあ、このままでも、上に細身のニットとか着たら良いのかなあ。

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とか、あれこれ考えるのもまた楽し。春物って、夏服に比べて着れる期間がとても短いですから、逆に色々楽しんでおきたいなと思ったりしますわ。


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タグ: 東欧 古着 70年代

テーマ:古着 【USED CLOTHING】 - ジャンル:ファッション・ブランド

2015/01/24 10:35 yuccalina

女性のファッションを創造し時代を変革した『イヴ・サンローラン』

このところ映画の話題が続いていますが、今回も『ジョン・レノン、ニューヨーク』『オーケストラ!』と同様、年末にBSプレミアムで録画したものです。

『イヴ・サンローラン』はフランスのファッションデザイナーのドキュメンタリーです。ややこしいですが、去年日本公開されたジャレル・レスペール監督の伝記映画『イヴ・サンローラン』とは別の作品。過去の映像や関係者のインタビューで綴られていますが、幼少期の話は殆どなく、サンローランがディオールの後継者となり、生涯の恋人だったピエール・ベルジュと出会ってからのエピソードが中心となっています。

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そのベルジュがナレーション及び案内役を務めているのですが、映画はサンローランが2002年に引退した時の会見でスタートしました。

サンローランなんて、当然服は無縁ですし、化粧品も香水も持ったことの無い私ですが、この会見を見ていたら、彼が自分の人生とは全く関係の無いフランス人!とは言い切れないところがあるから面白いです。ちょっと長いですが全文を書き起こしてみました。

お集まりの皆様、今日私は心からの想いを込めて、重大な発表をいたします。私の人生および職業に関することです。私は18歳でディオールのアシスタントになり、21歳で後を継ぎました。そして、1958年最初のコレクションから、成功に恵まれました。あれから44年が経とうとしています。以来ずっと、仕事にすべてを捧げて生きてきました。誇りに思います。世界中の女性がパンタロンスーツやスモーキング、ショートコート、トレンチを着ています。私は現代女性のワードローブを創造し、時代を変革する流れに参加したのです。うぬぼれるようですが、私は昔からかたく信じていました。ファッションは女性を美しく見せるだけではなく、女性の不安を取り除き、自信と自分を主張する強さを与えるものです。人は生きるため、とらえがたい"美"を必要とします。私はそれを追い求め、とらえようと苦しみ、苦悩にさいなまれ、地獄をさまよいました。恐れや耐えがたい孤独に怯え、精神安定剤や麻薬に頼ったこともあります。神経症に陥り、更正施設に入ったことも。でも、ある日迷いから覚めて、立ち直ることができました。プルーストは書いています。"極度に神経質な、痛ましくもすばらしい一族に属する"と。望んだ"一族"ではないですが、そのおかげで、私は"創造の天国"に昇れたのです。ランボーが言う"火をおこす者たち"と接し、自らを見いだし知りました。人生で最も大切な出会いは、自分自身と出会うことなのだと。しかしながら、私は今日心から愛したこの職業に別れを告げます。

マルセル・プルーストやアルチュール・ランボーを引き合いに出すところは、いかにもフランスのインテリゲンちゃんなとこですが、特に私が共感したとこを大文字にしてみました。

最近ではパンタロンという呼び方が無くなったのは残念です。私は1965年生まれですので、子供の頃にはパンツでなくフランス語のパンタロンが普通に使われていて、それはサンローランが流行らせたからであったと。ファッションは「不安を取り除き、自信と自分を主張する強さを与えるもの」というのは、川久保玲や山本耀司も同じような事を言っていた気がします。勿論それは、ココ・アヴァン・シャネルからの遺産とも言える訳ですが、サンローランが果たした役割は大きく、自分と全く無関係ではない気がしてしまったんです。そして、「自分自身との出会い」というヨガ的な発言にも共感したのでした。

60年代のVTRには、アンディ・ウォーホルやミック・ジャガーと一緒に写ってたりしてビックリでしたが、この映画を見れば彼のアートへの造詣の深さがよく分かりました。この映画のお蔭で、自分が持ってたウォーホルのポストカードの絵が、実はイヴの愛犬ムージクだったと分かったり、発見も沢山ありましたよ。

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裏面には”Dog”としか書いてありません。

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YouTubeで動画を検索したら、ムージクが一緒写ってるインタヴューがありましたわ。少年時代の思い出を語るサンローランの回りをウロウロするムージク。その様子だけでも、愛敬があって可愛らしいです。



さて、映画の内容はファッションに纏わることだけでなく、サンローランとベルジュが一緒に暮らしたパリの家、仕事場、マラケシュの家が紹介され、そこに置かれた膨大な美術品やアンティークが紹介されています。ベルジュはそれをクリスティーズのオークションにかけて、全てが落札されるところで映画は幕になります。彼は、自分が全て抱え込んでおくよりは、元気なうちにしかるべきところへ”嫁入り”させた方が、イヴの為にもなるだろうと考え手放したのです。

その家の様子が収められた動画がありました。



最後のマレケシュの家のBGMが何故かハンガリーの歌姫、マルタ・シェベスチャーンなのが不思議ですが、それほど違和感はないかしら。パリの家は、サンローランのコレクションのモチーフにもなったモンドリアンとか、マチス、ピカソ、フェルナン・レジェ、ブラック等の絵画に、骨董品の壺やらで溢れていますが、1:32あたりで、高く天井に伸びる彫刻が目に入ります。

このブログではお馴染み?なルーマニアの彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシの柱なんです。この動画ではスルーされてますけど、映画の中では、ベルジュがこの彫刻を見つけた時の感動を語っておりました。やはり捕えがたい美を追い求める人々に、こうしたアート作品によるインスピレーションは欠かせないものだったんでしょうね。

最後に、インスピレーションと言えば、サンローランにバレエ・リュス・コレクションなるものがあったんですね。初めて知りました。YouTubeに動画はあったんですが、共有不可になってましたので、リンク先だけ貼っておきます。

イヴサンローラン - バレエ・リュス・コレクション(1976/77秋冬)動画へのリンク

バレエ・リュスと言えば、昨年展覧会に行きこのブログにもいくつか記事を書きました。

バレエリュス展とカフカス文化、パラジャーノフの世界
バレエリュスのインスピレーション~触発し合うアートとファッション

で、カフカス地方やペルシャなどを舞台にしたものの、エキゾチックな衣装が目を惹いたのですが、コレクションもやはりそのテイストが強いですね。まあ、20年代のテイストを好んでたサンローランなら、バレエ・リュスも当然なチョイスだったのかもしれませんが。

という訳で、この『イヴ・サンローラン』はファッション好きのみならず、アート好きな方にもオススメです。また、サンローランとベルジュの関係は、とても胸に迫るものがあり、遺品を整理するベルジュには、今もなおサンローランへの深い愛を感じたのでした。


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タグ: フランス 60年代 70年代 犬好き

テーマ:フランス映画 - ジャンル:映画

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