プロフィール

yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

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ユッカリーナのヨガ的雑記帳


2016/02/08 14:00 yuccalina

『イージー・ライダー』を見直してみた2016とBT特集『サイケデリック頭脳改革1988』

以前ロジャー・コーマン監督のドキュメンタリー映画『コーマン帝国』を見て以来、ジャック・ニコルソンの出演作品を意識しているブログ主です。まだ見ていないものは勿論、昔好きだった映画を見直したりもしたいなあ。

と思ってたんで、タイトルにある通り、『イージー・ライダー』です。



内容はまあ説明無用とゆーか、Wikipedia読んでください。バーズ、ジミヘン、ザ・バンド、ステッペン・ウルフ、エレクトリック・プルーンズ等々の音楽は、今また聴き直してもカッコイイ。





冒頭に登場する麻薬の売人があの変人プロデューサー、フィル・スペクターだったのかー、ピーター・フォンダといちゃつく娼婦メアリーが、後に『ミッキー』をヒットさせるトニー・バジルだったんかー、等という新しい発見も。旅の目的地がニューオーリンズの謝肉祭”マルディ・グラ”だったのは、アメリカ南部の音楽を知ってからだと、全然入り方が違うなあ、とか。20代で見た時よりも、相当面白かったです。

で、私が一番印象深かったのは、やはりジャック・ニコルソンが登場してたシーンでして、

キャプテン・アメリカ(ピーター・フォンダ)、ビリー(デニス・ホッパー)、ジョージ・ハンセン(ジャック・ニコルソン)の3人が、旅先のレストランで陰口を囁かれ何も食べられず、泊めてくれるモーテルも見つからずに野宿をするシーン。何故自分達はこのようにないがしろにされるのか、不満を漏らすビリーに、ジョージはこう語るのです。

「怖がっているのは
君が象徴してるものさ
君に”自由”を見るのさ」


それに対し、ビリーは
「自由のどこが悪い?」

さらにジョージはこう続けます。

「そう、何も悪くないさ
自由を説くことと自由であることは別だ」


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「自由を証明するためには殺人も平気」というセリフがまるで予言かのように、その夜3人は地元住民(レストランにいた男達?)に襲われて、打ち所の悪かったジョージだけ亡くなってしまうのでした。

私はここで、何故か昔耳にした、ビートたけしの言葉を思い出しました。

「アメリカ人は健康の為なら死んでもいいと思ってる」

とか何とか。確かニューヨークでジョギングブームがあった80年代だったと記憶しています。

「車の排気ガスだらけのとこで走ったら、逆に体に悪そう」

とか突っ込んでいたと思うのですが、要するに健康に対する偏執狂的な部分を揶揄していたんですね。なのでこれは”自由の国アメリカ”の危うさを象徴するシーンだなあ、と私にはとても印象深かったんですね。

ジョージ(ジャック・ニコルソン)が登場するシーンは短いですけど、映画の中ではかなり重要なんじゃないかと思います。

で、ジョージ亡き後、売春宿で買った女性2人(トニー・バジル&カレン・ブラック)と4人でLSDやってラリパッパーな墓地でのシーンの、ドラッグやって神様を見ちゃった的表現には、以前見た英国ドラマ『主任刑事モース』のエピソード(記事はコチラ)を思い出しました。

あちらはLSDではなく製薬会社の研究者が作った、飲めば幸福感を得られるという新薬で、それを使用した若者が、神を見た幸福感から自殺してしまう、というお話でした。イージー・ライダーのシーンには至福感は全くないですけど、ドラッグによる意識改革が叫ばれたサイケデリック世代の、宗教との密接なかかわりを示すものなんだろうなと思ったのでした。そう言えば、『イージー・ライダー』にも宗教的な言葉があちこちに振り撒かれてましたわ。

さて、私がイージー・ライダーを初めて見たのは1988年前後でした。80年代は音楽もファッションも、60年代のリヴァイヴァルがあったからだけではなく、ここに物的証拠があるんです。

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美術手帳(BT) 1988年11月号 [特集] サイケデリック-'68/'88頭脳改革、表紙は横尾忠則。

ページを捲れば、サイケデリックアートなポスター(バーズ)なぞが

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多数紹介され、

映画の項目ではこの「イージー・ライダー』を含め、

白昼の幻想
時計仕掛けのオレンジ
イエロー・サブマリン
コヤニスカッティ

等々の作品、ニコラス・ローグ、アレハンドロ・ホドロフスキーと言った監督の話やらが出てきます。にゃので、この本を読んで『イージー・ライダー』を見たのか、見てから買ったのかどっちかだと思うんですね。

ともかく、当時23歳のワタクシはこの本でサイケデリックとは何ぞや?を学んだと。勿論、単純にドラッグカルチャーを賛美する内容ではございませんが、ドラッグによる実験→意識革命が宗教やらオカルトと絡んで、音楽、映画、文学、芸術、ファッション等のカルチャーに多大な影響力を持っていた事実が語れていた。個人の快楽の為と言うよりは、可能性を探るべくポジティヴな姿勢で、真面目に向き合ってた人々がいたということを。

しかし、精神世界を模索していたジョージ・ハリソンが「ヘイト・アシュベリーへ行ったら、怠け者の集団しかいなかった」と幻滅したように、ドラッグから抜け出せなくなった人間は、実験結果を持ち帰って役立てられなくなったのも事実。

BTでビックリしたのは、LSDが発明されて間もなく、1953年アメリカの諜報機関CIAは10キロ(約1億回服用分)を製造元のサンドス社に発注していたそうで、冷戦時代の心理兵器としての活用するつもりだったのではないか、という話。

また、ウイリアム・バロウズはこう言っていました。

「薬でたやすく左右される精神の持ち主は、他の力でもコントロールされやすい」

インスタントな神秘体験に警鐘を鳴らしていたのです。「ドラッグは原始的時代から、宗教や医療で麻薬が用いられてきたが、現代文明には、それを受け入れるのに十分な精神的下地、構造が無かった」(スタンリー・クリップナー)等々、私にとってはとても示唆に富む内容だったのでした。

それでですね。サイケデリック・ロックの時代に、ドラッグやってない人間が乗っかるのは可笑しいんじゃないか的論争があったそうですが、

でも、それは現代のあの世界一有名がネズミがいる場所の隆盛を前にしたら、無意味な気がします。

空飛ぶピンクの象も101匹のダルメシアンも、実はサイキックキャラクターだったんですなー。ウォルト・ディズニーが薬物中毒のさなかで生み出したそうですから。つまり、彼の地は

サイケデリック・ワンダーランド

であり、そこで展開されているのは、

最先端テクノロジーを駆使したエレクトリック・ブレイン・マッサージ

であると。あー、確かにあそこは中毒性があるって言われてますよね。しかし、私は1度しか行ったことがありませんぐ。多分合わなかったのでしょうが。

そんな訳で、自分を含めドラッグ体験なしでもサイケデリック・ロックにハマる人間がいても、じぇんじぇん可笑しくない!と言う前提のもと、話を進めます。このBTでは当然のことながら、サイケデリック名盤30選!が載ってるんですわ。

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長くなりますが、一応一通り書き出しておきますね(アルバム&アーティスト名)。

1. 『まぼろしの世界』 ドアーズ
2. 『ライヴ・デッド』 グレイトフル・デッド
3. 『夜明けの口笛吹き』 ピンク・フロイド
4. 『セヴン・アップ』 アシュラ・テンペル
5. 『ユー』 ゴング
6. 『ヴォリューム2』 ソフト・マシーン
7. 『レインボウ・イン・カーヴド・エアー』 テリー・ライリー
8. 『グリニッチ・ヴィレッジのアルバート・アイラー』 アルバート・アイラー
9. 『フリーク・アウト』 マザーズ・オブ・インヴェイジョン
10. 『ザ・サイケデリック・サウンズ・オブ』 13thフロアー・エレヴェイターズ
11. 『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』 ビートルズ
12. 『サタニック・マジェスティーズ』 ローリング・ストーンズ
13. 『暴動』 スライ&ザ・ファミリー・ストーン
14. 『メディアはマッサージである』 マーシャル・マクルーハン
15. 『LSD』 ティモシー・リアリー
16. 『UFO』 グル・グル
17. 『トラウト・マスク・レプリカ』 キャプテン・ビーフハート&ヒズ・マジック・バンド
18. 『ライヴ・イン・ロンドン』 アモン・デュールII
19. 『世紀の終焉』 サン・ラ
20. 『アガルタ』 マイルス・デイヴィス
21. 『リミテッド・エディション』 カン
22. 『アーバン・スペースマン』 ボンゾ・ドッグ・バンド
23. 『ゴッド・スター』 サイキックTV
24. 『霧の五次元』 バーズ
25. 『ジュジュカ』 ブライアン・ジョーンズ
26. ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ
27. 『アフター・ペイジング・アットバクスター』 ジェファーソン・エアプレイン
28. 『スマッシュ・ヒッツ』 ジミ・ヘンドリックス
29. 『スマイリー・スマイル』 ビーチ・ボーイズ
30. 『ザ・パラブル・オブ・アブダル・ランド』 レッド・クレイヨラ

ビートルズを筆頭に、ジミヘン、ドアーズ、バーズ、フロイドにヴェルヴェッツ等々、その後のロックへ多大なる影響を与えたアルバムが多いですが、その一方で、私はここで初めて知って、興味を持ったアーティストも多数。ソフトマシーン、キャプテン・ビーフハート、ブライアン・ジョーンズのソロ等々。

しかし、全く手をつけてないのもあるので、これからYouTubeで探して、聴いてみようかと思います。朗読のアルバム(14と15)を除き、現在未開拓なのが赤字になってるアーティスト。

やっぱ、プログレとジャズ系が弱いですな。

なので、今後はこちらを中心に聴いてみようかな。またその他、既に聴いてたアルバムを聴き直してみたり、で何かしら発見があれば、記事にするかもしれませんぐ。その為の資料として、先にこの記事を投稿しておくことにした次第です。

尚、この記事を準備中に、超有名な元野球選手が覚醒剤所持で逮捕のニュースがあり、投稿を少し迷ったのですが、このブログを訪問される方には、文脈的にも理解して頂けると思い、そのままアップすることにしました。


お読み頂きありがとうございました。
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タグ: 60年代

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2015/11/02 09:33 yuccalina

映画『永遠のモータウン』~栄光の陰のヒストリー

以前、BBCドキュメンタリー『Dancing in the Street』で、モータウンレコードの事が詳しく紹介されていた件(記事はコチラ)を、更に掘り下げるべく取り上げたいのが、映画『永遠のモータウン』(原題 Standing in the Shadows of Motown 2002年 アメリカ)です。モータウンの歌手を陰で支えていたバックミュージシャン達、ファンクブラザーズを追ったドキュメンタリーです。



YouTubeにフル動画がありましたので、リンクだけ貼っておきますね。字幕無しで、英語が苦手でも、モータウンサウンド好きならば十分に楽しめると思います。

Standing In The Shadows Of Motown - Full Movie

映画の最初の方で、レコード店の客へインタビューするシーンがあるのですが、

「モータウンは好きですか?好きなアーティストは?」

との問いに、

マーヴィン・ゲイ
スモーキー・ロビンソン
スプリームス
スティーヴィー・ワンダー

等々、皆アーティスト名は次々と出てくるものの、

「それでは、スプリームスのバックで演奏してたのは?」

と聞かれて、答えられる人は皆無。そもそも、

「考えてみたこともなかった」

とも。その答えがファンクブラザーズであることは、私もBBCドキュメンタリーで初めて知った次第です。そう言やあモータウンのアーティストは皆ソロ歌手かコーラスグループだったんだ、音を作ってたミュージシャン達を気に止めていなかったと気が付きました。公民権運動でも歴史の表舞台に出てきた人と、陰に隠れたままだった人といたわけですが、音楽の世界でも同じ様なことがあった訳です。

1959年モータウンレコードを設立したベリー・ゴーディー社長が、デトロイトの低所得者向け公団のある地域ブルースターで若いゴスペル歌手をスカウトしてた話は以前書きましたが、そうした若者達をバックで支えるべく、腕利きのジャズメンを揃えた。それが後にファンクブラザーズと呼ばれたミュージシャン達。しかし、彼等の名前は71年マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイン・オン』まで、レコードにクレジットされることはありませんでした。どんなに曲がヒットしても、称賛されるのは歌手やプロデューサーだけ。

で、やっと名前を出してもらえたと思ったら、翌72年には会社がロサンジェルスに移転。メンバーの内何人かはロスへ着いてったそうですが、尚も脚光を浴びることはありませんでした。映画ではその栄光の陰にあった60年代の彼等にスポットを当てています。既に故人となっていたメンバー、ジェイムス・ジェマーソン(ベース)、ベニー・ベンジャミン(ドラム)、エディ・ボンゴ・ブラウン(パーカッション)、ロバート・ホワイト(ギター)等を含め、数々のエピソードが、メンバーによって語られ(過去のインタビューや再現VTRもあり)、再結成コンサートの模様とそのゲストアーティスト達(後述)とのトーク、モータウン関係者(マーサ・リーヴス、ブライアン・ホランド等)や、ベーシストでプロデューサー、ドン・ウォズへのインタビュー等で構成されています。

上記トレイラーにも出てきますが、ファンクブラザーズが世に送り出したNo. 1ヒット曲の数は、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、エルヴィス・プレスリー、ビーチ・ボーイズの4組分合計よりも多いとか。ヒッツヴィルUSAと呼ばれたモータウン本社の地下、スタジオA を、彼等は「ヘビの穴」と呼び、歌手がいない状態でオケの録音を1時間に1曲、少くても3時間で2曲、多いときは4曲という驚異的なペースでレコーディングしていきました。正にヒットマシーンだったのですね。しかし、曲がどんなにヒットしても実入りは良くなかったので、専属契約してないミュージシャンは、あちこちでバイトしてたそうです。キャピトルズの『クール・ジャーク』や、ジョン・リー・フッカーの『ブーン・ブーン』も彼等が演奏してたんですね。

そんな中でも、イギリス公演の際に、メンバーは空港で声を掛けられビックリしたと言う話は、とても興味深かったです。伝説のベーシスト、ジェイムス・ジェマーソンのファンクラブがイギリスにはあったと。

ここで、私はピンと来たのです。アメリカのドキュメンタリーには出てこなかったファンクブラザーズが、BBCのには出てきたことの意味が。つまり、イギリスでは、ビートルズもストーンズも、モータウンの曲をカバーしていましたし、その斬新な音作りの秘密に迫ろうと、熱心に研究していたから、自ずとリスナーもバックミュージシャンに注目してたのでしょう。50年代からアメリカのブルースが本国よりもイギリスで花開いたのは、差別の問題だけでなく、こうしたヲタク的研究熱心さも、関係ありそうな気がしたんです。

ちなみに、この映画のベースになってるのが、ミュージシャンでプロデューサーでもあるアラン・スラツキーによるジェームス・ジェマーソンの伝記なので、ジェマーソンの話に割いてる尺が多目になっています。ドン・ウォズにインタビューしてるのも、ベーシストを代表してるのかもしれません。

さて、モータウンの有名アーティストはマーサ・リーヴスくらいしか出てこないので、ある程度予備知識がないと話に入り込めないかもしれませんが、それを補って余りあるのがライヴの豪華ゲスト達です。以下に収録曲とアーティスト名を列記しておきますね。カッコ内はオリジナルのアーティスト名です。

1. 『ヒート・ウェイヴ』 ジョーン・オズボーン (マーサ&ザ・ヴァンデラス)
2. 『ユーヴ・リアリー・ガット・ア・ホールド・オン・ミー』 ミシェル・ンデゲオチェロ (ミラクルズ)
3. 『ドゥー・ユー・ラヴ・ミー』 ブーツィー・コリンズ (コントゥアーズ)
4. 『リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア』 ジェラルド・レヴァート (フォー・トップス)
5. 『エイント・トゥー・プラウド・トゥー・ベッグ』 ベン・ハーパー (テンプテーションズ)
6. 『ショットガン』 ジェラルド・レヴァート&トム・スコット (ジュニア・ウォーカー&ザ・オール・スターズ)
7. 『恋に破れて』 ジョーン・オズボーン (ジミー・ラフィン)
8. 『悲しいうわさ』 ベン・ハーパー (マーヴィン・ゲイ)
9. 『クール・ジャーク』 ブーツィー・コリンズ (キャピトルズ)
10. 『クラウド・ナイン』 ミシェル・ンデゲオチェロ (テンプテーションズ)
11. 『ホワッツ・ゴーイン・オン』 チャカ・カーン (マーヴィン・ゲイ)
12. 『エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ』 チャカ・カーン&モンテル・ジョーダン (タミー・テレル&マーヴィン・ゲイ)


その中から、3曲ほど紹介しましょう。

『恋にやぶれて』のジョーン・オズボーンは唯一黒人でないゲストシンガーですが、メンバーと語り合う姿からも、モータウン愛が溢れていて好印象。ファンクブラザーズ自体が、白人黒人の混成バンドだった訳ですから、この人選にも意義があると思います。



因みにオリジナルのジミー・ラフィンは、本国アメリカよりもイギリスで人気の高かったアーティスト。

ド派手な衣装で歌い踊るブーツィー・コリンズの『クール・ジャーク』は、ファンク・ブラザーズのアルバイトの成果。アトランティック・レコードでのお仕事です。



ベン・ハーパーが歌う『悲しいうわさ』については、リズムへのこだわり等を、メンバーが語っておりました。



マーヴィン・ゲイは曲作りもしてましたし、自身ドラマーとしてキャリアをスタートしてたせいか、音作りには積極的に参加していた様です。再結成ライヴでも一番多く3曲取り上げられてますし、メンバーの間で一番話題に上がっていたアーティストなのです。で、彼のバックも含め、ファンクブラザーズが盛んに取り入れていたのが、ジャズのアフロ・キューバン・リズムで、それはジャズクラブでの演奏で培われたそうです。スタジオでのストレス発散でジャズを演奏してたが、それが翌日の録音に活かされることが多かったとか。そこで登場したのが、ジョセフィン・ベイカーみたいなエキゾチックダンサー、ロッティー・クレイボーンでして、"ザ・ボディ"の異名を持つ、ダイナマイトボディのセクシーダンサー。彼女がお尻を振るダンスに合わせてアドリブで音を付けていたと。そうして鍛えられたグルーヴが、そのままモータウンサウンドに持ち込まれたというのは、とても興味深い話でした。最初のトレイラーの1:28あたりには、ロッティーのダンスがチラッと映っております。

確かにマーヴィンに限らず、モータウンの曲ってバック・ビート(後ノリ)の曲が多いんですよね。アフロ・キューバンと繋がっていたとは、目からウロコでした。なので、そうしてみると、後にスカ・レゲエ好きなブッ飛びカールズバンド、ザ・スリッツのカバーも、何だかシックリ聴こえてしまうから不思議ですね。スッカスカのギター音と自由気ままなヴォーカルも、バックビートがしっかりしてるから、原曲の音が素晴らしかったから、カッコ良く聴こえるのではないかいな?と。

The Slits I Heard It Through The Grapevine

興味のある方は一聴してみてくださいませ。

また、曲作りの中心的存在だったスモーキー・ロビンソンについて、

「2小節ほど書いたメモを持ってスタジオへ行っては、ファンクブラザーズとアイディアを練りながら曲を完成させていた」

とは、マーサ・リーヴスの談。スモーキーの作ったメロディに対し、ジェイムス・ジェマーソンがあれこれとアイディアを出して、そこに他のメンバーも加わって、一緒に曲を作り上げていたと。スモーキーには元々メロディメイカーの才能があったのでしょうけど、それを伸ばしたのはファンクブラザーズと言う優れたミュージシャン達だったのかしれません。彼等との間で化学反応を感じたスモーキーが、少しでもメロディが浮かんできたら、直ぐにでもファンクブラザーズとシェアして、演奏しながら一緒に作り上げたくなったのではないかと。

スモーキーと言えば、以前書きましたが、テンプテーションズ『マイ・ガール』のギターイントロを、ギタリストのロバート・ホワイトが作ったのも、そう言った状況から生まれたのだと想像出来て、とても嬉しくなってしまいました。

しかし一方で、90年代にロスのレストランで『マイ・ガール』が流れた時、ウェイターに「このギターは私が弾いてるんだ」と言いたかったけど言わずにガマンしてたというロバート・ホワイト。その話をしてくれた原作者のアラン・スラツキーは、こう付け加えました。「音楽史に残るギターの名フレーズの作者が世間に知られてないなんて」。また、ジェイムス・ジェマーソンはモータウン25周年ライヴに招待されず、自分でチケットを買って見に行った数か月後に、失意のまま亡くなった、等という話には胸が詰まってしまいましたし、アラン・スラツキーが本に書こうとした理由も、理解することが出来ました。

と言ったところで、最後に60年代のアメリカ黒人音楽が避けて通れない話題として、公民権運動関連のお話を少し。メンバーには白人のミュージシャンも複数いました。ギタリストのジョー・メッシーナはイタリア系ですが、なるほど白人ジャズメンではユダヤの次に多いのがイタリア系と、どこかで読んだことがあります。メッシーナは

モータウンのギターはオレオ(クッキー)

と言って笑ってたのが印象的でした。ロバート・ホワイト(黒人)、ジョー・メッシーナ(白人)、エディ・ウィリス(黒人)

をチョコクッキーでバニラクリームを挟んだオレオだとジョークで言えるのは、それだけの信頼関係があった証拠ですから。そして、偉大なる初代ベーシスト、ジェームス・ジェマーソンの後を継いだボブ・バビットも白人ではありましたが、黒人だろうと白人だろうと、やっている音楽が素晴らしければ、皆尊敬したし、黒人のベーシスト達もこぞってバビットの演奏を真似てみたものだと、周囲から称賛されていたのです。

そうは言っても、キング牧師暗殺事件後には、辛い思い出もあったのでしょうか、ミシェル・ンデゲオチェロから質問されたバビットが言葉に詰まって、彼女に肩を抱かれるシーンもありました。

と言う訳で、日の当たらない縁の下の力持ちにフォーカスした話は、日本人が好むところでもありますし、ライヴパフォーマンスも素晴らしいものばかり。音楽を楽しめる映画としてもオススメの一本です。


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タグ: ソウル 60年代

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2015/09/09 14:30 yuccalina

『キャデラック・レコード』への複雑な思いと珠玉のセリフ

このブログでは、昨年12月から半年ほどかけて、ブルース音楽のドキュメンタリー『The BLUES Movie Project』のDVDボックスを紹介してきました。ブルースやロックに造詣の深いマーティン・スコセッシ監督が総指揮を取った、ブルース生誕100年を記念した一大プロジェクトでした。

その中で、シカゴ・ブルースの名門レーベル、チェス・レコードを扱った『ゴッドファーザー&サン』(コチラ)について書いてた時に、この『キャデラック・レコード』と言う映画があることを知ったのですが、先日CSの映画チャンネル、ムービープラスで放送され、見ることが出来ました。



最初に白状しててしまえば、あまり感動はなかったです。例えばあの『マッスルショールズ』(コチラ)みたいに大絶賛は出来ません。かと言って駄作だからと斬って捨てることもできない、実に厄介な映画ですね。見た後でネット上でレヴューをいくつか読んでみたのですが、「チェスやブルースに思い入れがある人はガッカリするかも」は、実に的確なアドバイスかもしれません。その一方で、「きれいごとだけで済ませてないのが良い」との評価にも、私は頷かざるを得ませんでした。それはつまり、ブルースとは不条理を歌ったり、ゲスな下ネタも題材にする音楽な訳ですから。

ただ、実話と作り話がゴチャゴチャ混ざってるのが、私には非常に居心地が悪かったです。以下、気になった点について。

チェスレコードは兄レナードと弟フィルの共同経営であったが、レナード(エイドリアン・ブロディ)しか登場しない。

レナードの息子マーシャル(1942年生まれ)も60年代後半には、マディ・ウォーターズのプロデューサーをして関わっていたが全く触れられていない。

ボ・ディドリーもココ・テイラーも、
バディ・ガイも、サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡも登場しない。

そりゃ、登場人物が多すぎたら、ブルースを余り知らない人にはワケわからなくなるだろうけど。

そして、何よりも一番不満なのが、

エタ・ジェイムズ(ビヨンセ)とレナードが愛人関係という作り話ですな。

これは、私が唯一良いと思った台詞と関係があります。実父であると思い込んでいたミネソタ・ファッツと対面し拒否されたエタが、「どうせ自分は黒人だから」と当り散らすと、レナードが諭すようにこう言うんです。

「悲しみに自分を乗っ取られるな。マディはそれを歌に託して、心から追い出す」

って、これこそ、ブルースの真髄でしょ?マディはかつて「俺をブルーにするのは空腹と女」と語ってました。B・B・キングも「ブルースとは心情を吐露し、人生を歌うもの」って言ってたっけ。このレナードの台詞が私の心に強く響いたからこそ、ブルーズメンが歌に託した人生を、もっと深く突いてってほしかったなあ、と思った訳ですね。

だって、儲かってゲットしたキャデラックの新車と、群がる女でウハウハの場面を一杯流す時間があったら、もう少し別のことに使えなかったのかと、とても残念に思ったのですよ。そらー、金と女と酒とクスリと暴力でドス黒さを描くのも、ブルースとしてはアリなんでしょうけど。そんな中で、エタが歌に絞り出した思いが、レナードへの叶わぬ恋心という展開で、あの名曲『I 'd Rather Go Blind』が出てきた時、私はすっかり興醒めしてしまいました。



ビヨンセ・エタ熱唱した後に、エイドリアン・レナードが心臓発作であっけなく亡くなるのも、レナードのせいで、お酒やクスリに依存したみたいになってたのも何か嫌~。そもそもあの歌って、彼女の友人エリントン・ジョーダンがアウトラインを作ったそうなので、本当は男性から女性に歌われてたんじゃなかったっけ?録音場所だって、チェス・スタジオでなく、アラバマのFAMEスタジオ(マッスルショールズ)の筈だし、とか思ったら、全然曲が入ってこなくなってしまった。本当はこれ、大好きな歌なのに~!

一方で、真実味のあった部分は、マディ・ウォーターズとハウリン・ウルフが犬猿の仲だったとかですね。モータウンもそうでしたけど、同じ会社でのライバル争いは、当然チェスにもあったのでしょう。また、冒頭でアラン・ローマックスがブルースのフィールドレコーディングでミシシッピーへやってきて、(お目当てはロバート・ジョンソンだったそうな)マディと名乗る前の青年マッキンリー・モーガンフィールドの歌を録音する場面はとても良かったです。ちなみにマディが白人に従順で、ウルフは噛みついてくるというイメージが出来上がったのには、マーシャル・チェスが60年代後半にプロデュースした『Electric Mud』(マディ)と『The Howlin' Wolf Album』(ウルフ)への、それぞれの反応も関係してるのかしら?どちらも当時流行りだったサイケデリックサウンドとブルースを融合するコンセプトでしたが、ノリノリだったマディに対し、ウルフはかなり嫌がっていたらしいですから。

エタが「自分の父親はハスラーのミネソタ・ファッツ」と信じてたのは本当の話だそうです。但し、実際エタが彼と対面したのは、レナードが無くなって20年近くたった1987年。映画同様、確認することは出来ず、ミネソタ・ファッツは全く身に覚えが無かったとか。

それと、レナードがマディの曲をDJに売り込む際に、ワイロを渡すシーンですが、レイ・チャールズの伝記映画『レイ』にも、アトランティックレコードのジェリー・ウェクスラーがDJに札束を手渡す場面がありました。小さな独立系の会社は、そうやって入り込むしかなかったのであろうと、想像に難くないです。ちなみにウェクスラーはリズム&ブルースの呼び名を作った、ブルース界の重鎮です。音楽評論家からアトランティックの名プロデューサーになり、数々の才能を発掘しました。そして、彼もユダヤ人でした。

さて、映画公開時はエタ・ジェイムズは健在(2011年没)でしたし、フィル・チェスやマーシャル・チェスからもクレームは無かったのなら、私がどうこう言う問題じゃないのでしょうが、一番ショックだったのは、レナード・チェスの人物像ですね。演じたエイドリアン・ブロディは洒落た服に身を包み、いかにも女好きそうな遊び人の風貌ですが、写真のレナードは地味で真面目そうに見えます。黒人からぼったくって大儲けした守銭奴で、会社の所属女性歌手に手を出して、って何か酷くないっすか?『ゴッドファーザー&サン』がユダヤ人側から描いたドキュメンタリーだった為、レナードは良く描かれてたのかな?弟フィルと息子マーシャルの言葉からは、

黒人教会から聴こえてくるゴスペルに、食事も忘れ二人で夢中になった。それが、チェスを始める原点。(byフィル)
父は仕事中毒だったから、そばにいたくて子供の頃から僕も会社に入り浸っていた。(byマーシャル)
父とマディは親友同士だったが、父は彼を心から尊敬していた。(byマーシャル)


その一方で、

儲けた金でキャデラックを手に入れ良い女を抱けた。(byマーシャル)

と言う、『キャデラック・レコード』に即した発言があったのも事実ですが、それはほんの一部です。

それとですね、バブリック・エネミーのチャックDも、レナードを称賛してますたわ。以下キャプチャーは全て『ゴッドファーザー&サン』より。

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そう、この写真が本物のレナード・チェスです。こんなのもありますよ。左から、レナード、ハウリン・ウルフ、ウィリー・ディクソン、サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡ。

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ちなみに、本物のエタ・ジェイムズはこちら。曲は『I'd Rather Go Blind』とカップリングで、こちらがA面だった『Tell Mama』。



ムムム、この二人が愛人関係ってさあ、、。エタってビヨンセとは全然タイプが違いますよね。まあ、彼女が問題児だったのは確かなようで、レナードはFAMEスタジオへ彼女を送り出す際、リック・ホールに取扱い注意のアドバイスをしてたそうですが。


とまあ、『キャデラック・レコード』のレナード像は、『ゴッドファーザー&サン』から私が想像してたそれと、余りにもギャップがあるんですね。幼い息子が会社に入り浸ってる状態で、女遊びしてたんか?とか。映画のレナードとマディはとても親友同士には見えなかったしね。

しかし、映画が黒人側から描いた作品だとすると、やはり双方に温度差があったのかも?と疑わざるをえません。そこで、ちょっとだけ調べてみたのが、映画の語り部となっているウィリー・ディクソンです。『ゴッドファーザー&サン』でマーシャルは彼を「黒人で初めての会社重役」と言ってましたが、本人は丁稚奉公だと思ってたかもしれん?と。それを匂わせる記述を、ディクソンの英語版Wikipediaで発見してしまいました。「ディクソンは会社と衝突してた」たったこれだけですけどね。彼は作曲家、ベーシスト、そしてスカウトとしてその才能を発揮するのですが、便利だから良い様に使われて十分な報酬を受けてない→搾取された、と思ってた可能性はありますな。但し、安月給でこき使われたにせよ、チェスでの経験がその後のビジネスに役立ったのは確かではないかしら?ディクソンは後にブルースの著作権保護の為に、ブルース財団を設立しました。映画の最後には、レッド・ツェッペリンを訴えて勝訴した件が字幕で出ましたが、それもチェスでの丁稚奉公と無関係ではないと思うのでした。それに『ゴッドファーザー&サン』の中では、ブルースフェスで再会したディクソン夫人とマーシャルがハグするシーンがあり、夫人から「お父さんの再来ね」とお褒めの言葉を頂く場面がありました。ですから、昔衝突があったにせよ、次世代に引き摺るようなものではなかったということですね。

ところで、ユダヤ人とブルースの関わりについて、実は私にはある種のファンタジーがあって、以前コチラの記事で書きました。それは、東欧のユダヤ音楽クレズマーとブルースに、共通するものを感じてることです。クレズマーはロマの音楽とも関わり合いが深く、ユダヤ人が東欧においてロマと音楽的価値観を共有していました。それが、新大陸へ渡って、今度は黒人のブルースを共有する様になったのでは?というファンタジー。だからこそ『The BLUES Movie Project』の中で、チェス兄弟を始め、ディック・ウォーターマン(サンハウス、ジョン・ハート等のマネージャー)やビル・グレアム等ブルース音楽を愛するユダヤ人達の役割に、私は注目してた訳です。そんな私には『キャデラック・レコード』での金の亡者的レナード像は、非常に居心地の悪かったのでしょう。

最後にもう一つ、先述のレナードの名セリフですが、私がそこでB・B・キングを思い浮かべたのには訳があります。『The BLUES Movie Project』に何度も登場したBBですが、彼の口からは余り恨み辛みが出てこなかったことが、私にはとても印象深かったからです。綿畑での辛い日々を語る時も、どこかあっけらかんとしていた。BBの心は悲しみや怒り、憎しみから解放されて、とても自由な気がしたのです。そう言えば、

私は自由だ!

と歌うBBがとても大きく見えた瞬間に、私はトリ肌が立ってしまった話をコチラで書きましたが、多分マディ・ウォーターズにも、そう言う懐の深さがあったのでは?60年代、黒人はまだ法律上も自由でなかったけれど、ブルースによって負の感情から自由になった寛容さが。レナード・チェスがマディを尊敬していたのは、そう言う理由なのかもしれない、と私に思わせてくれた。『キャデラック・レコード』のレナードのあのセリフは、そんな珠玉の言葉だったのでした。


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タグ: R&B 60年代

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2015/08/25 09:30 yuccalina

『SONG TO SOUL オー・シャンゼリゼ編』~フランスとイギリスの音楽カンケイ

毎週水曜日(23時~)BS-TBSで放送中の音楽ドキュメンタリー『SONG TO SOUL』は、私の大好きなTV番組の一つです。名曲が生まれるまでのストーリーを、アーティストや関係者への取材、曲の舞台となった土地の紹介やら、時代背景やらを絡めて、丁寧に紹介して行きます。必ず歌詞と日本語訳が紹介されるところも、歌の内容を理解するのに役立ち、嬉しいところです。取り上げられるアーティストが来日間近で宣伝の為、とか言う大人の事情が垣間見える選曲も時にはありますが、既に他界したアーティストを取り上げることも多いです。ジャンルは英米のロックとポップスが中心ですが、たまにそれ以外の国も登場。なかでもフレンチ・ポップスは積極的に取り上げてる印象です。

つー訳で、8月12日の放送は『オー・シャンゼリゼ』でした。フレンチポップスにさほど詳しくないワタクシでも知ってますし、シャンソンと言えば、多くの日本人がこの曲を思い浮かべるのでは?という位、とても有名な曲。

しかし、これは元々イギリスで生まれた曲だったのです。1968年、サイケデリック・バンド、ジェイソン・クレスト(Jason Crest)のシングル、『ウィータールー・ロード』として発表されました。作者は60年代ガレージバンド、フォー・ペニーズのマイク・ウィルシュとジャグラー・ヴェインのマイク・ディーガン。歌詞の内容は「ウォータールー・ロードは楽しい仲間と出会える場所」と言う感じなので、『オー・シャンゼリゼ』とかけ離れた印象はありませんが、



あらまー、ビックリ!でした。サイケ・バンドにこんな曲をやらせた、というのも驚きでしたが、曲をエネルギッシュにする為、大通りの雑踏の中でヴォーカル録りをしたのがとても良かったみたいです。ストリート感があって、ポップなだけでない良い雰囲気に仕上がったのではないかと。

その後、この曲をフランスで紹介したのが、映画監督ジュールズ・ダッシンの息子でアメリカ生まれのジョー・ダッサンだった、というのも非常に興味深かったです。歌詞は「ウォータールー」という地名がフランス人には印象が悪いというので、フランスの作詞家ピエール・ドゥラノエが新しくフランス語の歌詞を付けて、見事『オー・シャンゼリゼ』に生まれ変わったのです。



ダッシン監督が50年代に、赤狩りでアメリカを追われたから、息子もヨーロッパで活動してた、ってことなんでしょうね。ちなみに父子で表記が違うのは、息子ダッサンがフランス語読み、父は既に英語読みダッシンで有名だからか、Wikipediaも、それぞれ、ジョー・ダッサン、ジュールズ・ダッシンと書かれておりました。

で、『オー・シャンゼリゼ』の中でも日本で一番有名なバージョンは、ダニエル・ビダル、ってことになるんでしょうね。



か、、可愛い!

日本人が幼い可愛らしさを好むのは、ローラとか見ても昔と変わらない感じしますねえ。

番組では現在南フランスでレストランを経営してるダニエル・ビダルを取材していて、とてもチャーミングなおばちゃんになっていました。月が~出た出た~!と炭鉱節に、オー・シャンゼリゼ~!を繋げて歌ってくれたり、日本語の歌詞もまだ覚えてました。もしかしたら彼女こそ、元祖YOUタレントだったのかもしれませんね。

そして、フランスの最新バージョンとして紹介されたZAZ(ザーズ)も素敵でした。



ちょいと擦れたヴォーカルがクールで、ビダルの対極って感じ?クインシー・ジョーンズがプロデュースもあってか、とてもカッコイイなと。私は断然こっちの方が好みですわ。

さて、話をイギリスに戻しますと、作者の一人マイク・ディーガンが、ギターを手に曲作りの経緯を、語ってくれたのが印象深かったです。「ギターのリフがラヴィン・スプーンフルみたいで、、」と聴いて、なるほど!と膝を打ったのですよ。やっぱ、これですよね?



ラヴィン・スプーンフルの『デイ・ドリーム』は昔から大好きで、散々聴いてきましたけど、『オー・シャンゼリゼ』と結びついたことは、一度もなかったので、新鮮な驚きだったのです。確かに最初の動画、『ウォータールー・ロード』のギターを聴き直せば、なるほどと思いました。

一方で、私が『ウォータールー・ロード』を初めて聴いて、思い浮かんだのがこの曲。



ロンドンの街並みや若者達を描く詞がイギリス人から愛されて、最もイギリス的なバンドと呼ばれたキンクスの『ウォータールー・サンセット』。このシングルがヒットしたのは1967年と、『ウォータールー・ロード』より先ですので、ウォータールーという地名を敢えて選んだと思われても仕方ないのでは?番組でキンクスの名前は全く出てきませんでしたが。

という訳で、最後にイギリスとフランスの音楽関係について、少しだけ書きたいと思います。私がこの二つの国の関係に興味を抱くようになったのは、クラッシュのポール・シムノンとストラングラーズのジャン・ジャック・バーネルがフランス系と知ったパンク時代、と妙なところから始まっているのですが、案外仲良しなイメージがありますね。今にして思えば、ビートルズが『ミッシェル』を歌い、シルヴィ・バルタンがビートルズの前座をして人気を博したとか、ケヴィン・エアーズも『メイ・アイ?』のフランス語バージョン出してたなあ、何て色々と思い出しました。

この番組では以前シャルル・アズナヴ-ル及びエルヴィス・コステロの『シー』を取り上げていました。そこで作詞者がイギリス人であり、元々イギリスのテレビ番組ように作られた曲だったと、私は初めて知ったのですが、今回のイギリスの曲がシャンソンの定番になった話も、この二つの国の素敵な音楽カンケイを表わしているようで、とても興味深かったのでした。


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タグ: フランス イギリス 60年代 ケヴィン・エアーズ

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2015/08/20 12:20 yuccalina

思い出の『マイ・ガール』~ニッポン歌謡とソウル・ミュージックの関係

最近、音楽ドキュメンタリー『ヒストリー・オブ・ロックンロール』のビデオをちょくちょく見直しています。アメリカのTIME・LIFE誌ワーナーブラザーズの製作で、1995年にVHS全10巻で発売された時に、私はまとめて購入していました。現在ではDVDに落としたものが手元にあるのです。その全10巻の内、頻繁に見ているのがVol.1のロック誕生。ここ数年ブルースにハマってることもあり、ニュー・ポートの舞台で踊りながら歌うマディ・ウォーターズが、超カッコよく見えたり。そして、もう1本がVol.5の『The Sound of SOUL』なんです。

私にとっての90年代は、ワールドミュージックを軸にルーツ音楽にもかなり接近した10年であったのは、このドキュメンタリーを見たのが結構影響していたと思います。その下地として、80年代のポストパンク時代から、ソウルのカバー曲を色々と聴いてた、というのもありますが。例えば(カッコ内はオリジナルのアーティスト)、

ロキシー・ミュージック 『ミッドナイト・アワー』(ウィルソン・ピケット)
ジャパン 『 セカンド・ザット・エモーション』(スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ)
ザ・スリッツ 『悲しいうわさ』(マーヴィン・ゲイ)
ザ・レインコーツ『ランニング・アウェイ』(スライ&ザ・ファミリー・ストーン)


等々、ほんの一例に過ぎませんが、60年代のソウル音楽がどれだけイギリスのアーティスト達に影響を及ぼしていたのか、徐々に分かり始めた頃だったんですね。

そんな時代に見たソウル音楽のドキュメンタリーは、60年代のアメリカでビートルズ及びブリティッシュ・インヴェイジョンに十分対抗出来た一大勢力の魅力を十分に伝えるものでした。フィーチャーされたアーティストは、ジェームス・ブラウン、サム・クック、ジャッキー・ウィルソン、レイ・チャールズ、ウィルソン・ピケット、オーティス・レディング、アレサ・フランクリン。そして、モータウンからシュープリームス、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ、テンプテーションズ、マーヴィン・ゲイ、ジャクソン5等々。最後にフィリーソウルからオージェイズと言ったところ。60年代のモノクロ映像に混じって、90年代当時のアーティスト&関係者へのインタビューも多数。当時は全く気に止めなかったものですが、当然あのジェリー・ウェクスラーも登場。フィリー・ソウルの大御所プロデューサー、ギャンブル&ハフのレオン・ハフが、行列に並んでジェイムス・ブラウンを見に行った、なんてエピソードも。レイス(人種)レコードと呼ばれてたことや、公民権運動との関わりも語られ、ソウル入門編としても、非常に良いビデオだと思います。

って、、何を隠そう、私はこれでソウルに入門したようなものですから。中でもモータウンサウンドはやはり耳馴染みが良く、直ぐに好きになりました。

んで、90年代中頃、私は職場の洋楽好き仲間で、仕事帰りカラオケに良く行ってました。当時流行りのTKサウンドは全くノーサンキューな面々の中、私はピストルズの『アナーキー・イン・ザ・UK』の後で、シュープリームスを平気で歌ったりしておりますたわ。中でも、一番のお気に入りがテンプテーションズの『マイ・ガール』であったと。



この曲をカラオケで歌って、何が楽しいかっちゅーと、

まいがーる、まいがーる、まいがーる、とーきんばーうと、まーいがーー

のコーラスを皆で順番に歌うんですね。勿論、フリ付きでね。

そう、この曲は振り付けも楽しい。ジャクソン5程激しくも速くもないし、腕を組んだり、広げたり、脚をクロスしたり、がピッタリのタイミングでハマると、素人でも中々カッコ良く決まるんですのよ。

ヒストリーでも紹介されてる、ホール&オーツとのコラボをご覧頂ければ、その楽しさが更に良く分かるかと思います。



気合い入りすぎのダリル・ホールが遅れそうになって笑っちゃったけど~。これは、1985年6月、アポロシアター再開式典でのパフォーマンス。ホール&オーツの二人が矢鱈楽しそうなのが良いですのう。実を言うとワタクシはそれまで、この二人をただの軽薄なポップデュオくらいにしか思ってなくて、大変申し訳なかったと、この時反省したのでした。

更にもう一つYouTubeで拾った動画は、1989年テンプテーションズがロックの殿堂入りした際のパフォーマンス。



一番幅を利かせてるのがリトル・リチャードでしょうか?横ではミック・ジャガーとティナ・ターナーがマイクの取り合いをしてたり、バンドにはスティーヴィー・ワンダー、キース・リチャーズ、ロン・ウッド、ピート・タウンゼントの姿。ベン・E・キングがダンスしてる相手はアニタ・ベイカーかな?リトル・リチャードの左後ろっつーか、ロン・ウッドの左側が、どうにもルー・リードに見えてしまうのですが、どうでしょう?不似合な気がして、、、誰だか気になる。赤いジャケットで目立ってるのは、もしやポール・シェイファーかしら?スティーヴィーの隣でキーボードを弾く姿もあるから、多分そうだと思います。ブルース・ブラザーズ2000ではスキンヘッドにしてたけど、この頃はまだ髪が残ってたのね、と私が確認できたのはこれくらい。その他、お気付きの方は教えてくださいませ。

と、この様に、みんな大好きマイ・ガールは、プロが大人数で歌っても盛り上がるぞ、の証拠VTRとして貼っておきますです。

で、マイガールの後は、『ゲット・レディ』に突入するのですが、このイントロって、クリームの『サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ』みたいですね。そっか、クラプトンもやっぱモータウンをお手本にしてたのか?

さて、テンプテーションズにしろ、ミラクルズにしろ、モータウンのコーラスグループって、歌ってる時の振り付けが、どれもスタイリッシュでカッコいいなー、と当時感じたからこそ、カラオケでマネなぞしてた訳ですが、それと同時に

日本の歌謡曲って、振付も皆モータウンのパクリじゃね?

との疑問が沸いたのは、当然の結果でありましょう。振付も、と敢えて書いたのは音楽的にもパクリが横行してたからでして、フィンガー5『学園天国』のヘーイヘイヘイが、ゲイリー・US・ボンズ、太陽に吠えろのテーマ曲のイントロがシュープリームスだとかコチラで紹介したことがあります。まあ、探せばいくらでもあるんですね。

ですから、昭和歌謡の歌手達の身振り手振りもまた、モータウンを中心とした洋楽のパクリであっても、何ら不思議はないのです。特に4~5人編成のコーラスグループ、と言えばフォーリーブスでしょうか。やっぱテンプテーションズやミラクルズ、フォー・トップス辺りをパクったんでしょかねえ?フィンガー5なんかはグループ自体がジャクソン5を意識してるのがモロですしね。ちなみに、私が振りを練習して、カラオケでマネしたかったジャクソン5の曲がコチラ。



しかし、これには流石に着いてきてくれる人はおりませんですたわ。出来たら絶対楽しいと思うんですが。

ちなみに私はフォーリーブスの踊りをカッコいいとは、余り思ったことがないんですが、似たような動きをしても、モータウンのアーティスト達がやると全然違うもんだなあ、と感心することしきり。

で、これらのかっちょええ振り付けをしたのは、モータウン専属のコリオグラファーにして、往年のタップダンサー、チョリー・アトキンズ。1930年代後半からコール&アトキンズ(背の低い方がチョリーです)というコンビで活躍してるので、ニコラス・ブラザーズと時代はダブってますね。



でも、ニコラス兄弟よりもオサレで洗練された雰囲気がウリだったのかな?黒人タップのワイルドで、ファンキーなとこは極力抑えてるイメージでして、それがモータウンの洗練された振付けと重なるのも、また面白いところ。

とか、書き始めるとまた長くなるので、チョリー・アトキンズについては別の機会に改めて書きますね。

最後は、昭和歌謡の洋楽パクリを牽引してきた偉大なる作曲家について少し書いておきます。それがあの筒美京平先生な訳ですが、1997年作曲家デビュー30周年記念にリリースされた8枚組CDセット(正確には4枚組2セット)を、私はなじぇだか持っているんです。それまで、歌謡曲のCDは1枚も持ってなかったのですが、これは、買っておいた方が良いのでは?と直感的に思ったんですね。

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で、フタを開けてみれば、ブックレットには山下達郎や細野晴臣のインタビュー、矢野顕子のコメント等々、自分の好きなアーティストが沢山、筒美京平先生と関わっていたことが判明しました。こちらも、そろそろ真面目に聴き直してみなくちゃね。で、いつかこのブログにも何か書きたいと思っておりますが、取りあえず今回はイントロがグラディスナイト&ザ・ピップス『イマジネーション』のパクリと言われているリンリンランラン『恋のインディアン人形』だけ紹介して終わりたいと思います。




今ではこういうのを「引用」って言うのかしら?


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タグ: ソウル 60年代 タップダンス

テーマ:ゴスペル/ブルース/R&B/ソウル/ファンク - ジャンル:音楽

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