バレエリュスをもっと知りたくて読んでみた、山岸涼子のバレエマンガ『牧神の午後』。前回(
コチラ)の『黒鳥』編に続いて、ヴァーツラフ・ニジンスキーを描いたタイトル作、『牧神の午後』について。

ニジンスキーに関しては、ネット上でもかなり情報が多くて、色々と読み耽ってるうちに、時間だけが経ってしまいました(^^;)
こちらはバレエマスター(振付師)だった、ミハイル・フォーキンを語り部として描かれていますが、物語はニジンスキーの死で終わっています。
本作を読む限りでは、フォーキンはニジンスキーの芸術性と人間性をとても良く理解してた、ってことでしょうか。ニジンスキーの助手だったマリー・ランバート(後に『春の祭典』の復元に尽力)が、フォーキンへ手紙を書いて、ニジンスキーやバレエ団の様子を報告してたみたいで、セルゲイ・ディアギレフはちょっと批判的に描かれてますね。同性愛者であり、同時に何人もの愛人を持ってたことで、ニジンスキーを傷つけてた。審美眼はあるが根は冷徹な興行師。ニジンスキーの芸術性云々よりも、スキャンダルを利用してたのではないか?的な表現も。
で、ニジンスキーはかなりユニークなお方だったようで、チフスにかかりながら舞台で踊りまくったり、

言葉で表現するのが苦手だった為、会話が成り立たなかった。ホテルでは一人で食事も取れずに、空腹のままディアギレフの帰りを待ってたエピソードなんかも出てきて、踊りは天才的だけど、頭は空っぽではないか?と噂されていた。しかし、そうした世間の評判に傷ついていたみたいなんで、自分と世間とのズレは意識してた、ってことでしょうね。これって、一番大変なパターンかもしれません。
高い跳躍の秘訣を問われ「跳べるような気がしたから」と答えるニジンスキー、

は、とても象徴的なシーンでした。その言葉にフォーキンはハッとした。既成概念にとらわれない子供が、「だって、曲がるような気がしたんだも~ん」とスプーン曲げをした話を思い出した。そこで、彼はニジンスキーの本質を理解したのです。
既成の事実にとらわれない子供と同じ
↓
つねに新鮮さ味わえる感受性を持っている
(バレエの舞台で発揮される)
↓
日常に適応しにくい
(舞台の外では狼狽えることばかり)
フォーキンには舞台のニジンスキーの背後に、いつも光の束(オーラ?)が見えた。彼の子供の様な純粋性がその光をもたらす一方で、日常生活では非常に強いストレスを受けているのではないか?と心配するんですね。
ディアギレフ不在のアルゼンチンで、ニジンスキーがロモラ・ド・プルスカと電撃結婚したのは、愛人というよりも主従関係的束縛から逃れたい一心からだったのでしょうか。しかし、彼はバレエ団を追われ、フォーキン作品だけでなく、ニジンスキー自身が振付けした作品ですら、作曲権を盾に踊る事が許されませんでした。可愛さ余って憎さ100倍ってやつなんでしょうか、ディアギレフは徹底的に潰しにかかってきたのです。第一次対戦勃発の社会情勢もあいまって、窮地に追い込まれ結果、ニジンスキーは統合喪失症となり、1950年に亡くなるまで正気に戻ることはなかったそうです。
前回の『黒鳥』では、バレリーナの美に取り付かれたジョージ・バランシンに対し、歴代妻が次々と去って行った話をしましたが、ニジンスキーはその逆パターンとも言えなくないですね。ロモラ夫人は後年
「ニジンスキーはディアギレフと同性愛の関係を続けることで踊り続けられたのではないか。そこに自分が入り込むことで彼は魂を病んでしまったのではないか」
と漏らしていたそうです。この話は日本の心理学者、河合隼雄氏(1928~2007)の著書『未来への記憶~自伝の試み(下)』に出てくると、下の記事から知りました。
ニジンスキー余話~ロモラ夫人と河合隼雄先生『ブラック・スワン・オフィシャル・ブログ』より現代ならニジンスキーは、真っ先にアスペルガー症候群ではないか?と考えられそうで、対応の仕方によっては、バレエのキャリアも人間関係も、もう少し何とかなったかも?
とか、私なぞつい思ってしまうのですが、まあ意味ないですよね。それは、上記のロモラ夫人の言葉にしても、同じことです。ディアギレフとの関係を続けてたって、どこかでキレてたかもしれないし、、、。どちらかと言えば、フォーキンみたいな人が傍にいてくれたら、良かったんじゃないの?と思えるくらい、ミハイル・フォーキンは良い人だなー、と思える作品ですたわ。
それと、タマラ・カルサヴィナが出てくるのは少しですが、素敵な女性に描かれています。彼女の自伝『劇場通り』を読んでみたくなりました。前述のマリー・ランバートと共に、英国でバレエの普及に尽力し、踊り手としてのみならず、人間的にも魅力的な人物だったみたいですね。
最後に、山岸先生の漫画はシリアスですが、所々ユーモアを交えているのが好き。ニジンスキーの跳躍の場面で、

足元に何か文字があるなと思ったら、
「本当は熊川」って、体は熊川哲也の写真を参考にして、顔だけニジンスキーに変えたってことかしら?残ってる写真が限られてるでしょうから、ありえますよね。
ともあれ、この『牧神の午後』を読んで、バレエリュスのことも、ニジンスキーのことも、もっと知りたくなってきた事は確かです。国書刊行会の豪華本『バレエリュス』を買うか、若しくはニジンスキーの本にするか、迷っているところです。
お読み頂きありがとうございました。
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