プロフィール

yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

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ユッカリーナのヨガ的雑記帳


2016/05/19 09:02 yuccalina

許す人は強い人(2)~『ベニシアさんの四季の庭』を見て

京都に暮らすイギリス出身のハーブ研究家、ベニシア・スタンリー・スミスさんの生活を追ったドキュメンタリー映画を見ました。

丁度『あなたを抱きしめる日まで』で、”許し”のお話をしましたが、ベニシアさんも許す人=強い人なんだなーと思いました。



私は彼女についてあまり良く知らずに見てしまったのですが、前半の里帰りのシーン(動画の0:30あたり)で、

「あ、あれが私の育った家」

と指さした先を見て、ヘッ?と口をあんぐりしてしもた。

家っていうか、、、お城やん!

それはお母さまの実家で、かなり地位の高い貴族の生まれだったようです。王様が来た時に泊まる部屋、なんてのもありますたし、子供の頃はお屋敷の外の世界を殆ど知らなかったみたい。友達は兄弟姉妹といとこくらいで、母親とは別の棟で生活し、会うのにアポイントが必要だったとか。

貴族ってみんなそう言う生活だったのかどうかは分かりませんが、兎に角ベニシアさんの子供のころからの夢は、

「草花に囲まれて家族と一緒に暮らすこと」

だったそうです。

それがかなったのが京都・大原。古民家を改装し、花やハーブを育て、仕事は英会話学校の経営とハーブ研究家。二度の結婚(どちらも日本人男性)で4人の子供を育てて、と。

しかし、すべてが順風満帆だったわけではありません。晴天の日もあれば、嵐の日もあるように、色んなご苦労があった様です。特に次女のジュリーさんが未婚で出産後、鬱から統合喪失症になり、ベニシアさんも大変な時期に、二度目の夫(山岳写真家・梶山正さん)が不倫して家出、という状態だった時も。

しかし、彼女は

「ジュリーは正の本当の子供じゃないから、どうして良いのか分からなかったのでしょう」

と夫を庇いながら淡々と語っておりました。彼の不倫は継娘の病気と言う現状から逃げ出したかったから、と言うのもありそうで、

「ヨメが大変な時に、何て酷い男だよ~!」

と私は突っ込みたくなりますたが、正さんはその後仕事中に山で転落事故に合い頭部を強打、生死の境を彷徨いました。意識が戻っても半身不随になるかもしれないという状態で、自分は妻に見捨てられるだろうと覚悟していたそう。

しかし、ベニシアさんの祈りが通じたのか夫は奇跡的に回復し、夫婦も元のサヤに収まったのでした。

冒頭に「ベニシアさんは許す人=強い人」と書いたのはこう言うことです。

そして彼女が語った言葉で、私が一番印象に残っているのは、古い格言だそうですが、

「人生で大切なのは、何が起こったかではなく、それにどう対処したか」

ベニシアさんは許しについても語っていましたが、多分それはバックパッカーで訪れたインドでヨ、ガを学んだことと関係がありそうです。過去とか負の感情を手放すこと等は、ヨガ的であり仏教的な考え方ですから。ダライ・ラマ師も「許しとは怒りや憎しみを手放して自分を自由にすること」と語っておりましたし。

ベニシアさんが庭を愛するのには、その中に人生が重なるからだそうです。芽が出て、花が咲いて、枯れて、実がなるという命の営みを眺めながら、彼女自身も自然に身を任せつつ、自分のすべきことする。その丁寧な暮らしぶりは、学ぶところが沢山あるなあと思いました。

最後にもう一つ。100年前にラフカディオ・ハーンは『日本の面影』の中で、イギリスのガーデニングをディスり捲くってたんですけど、彼にベニシアさんの庭を見てもらいたいですねえ。日本とイギリス、それぞれの良さを調和させることが出来るとは、ハーンも想像してなかったのでしょう。


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タグ: ヨガ

テーマ:ドキュメンタリー映画 - ジャンル:映画

2016/04/28 08:40 yuccalina

町田樹と哲学と日常~不定期便『哲子な部屋』その1

氷上の哲学者と呼ばれるフィギュアスケーター町田樹さんの影響で、それまで私には全く無縁だった哲学が、ほんの少し近づいた頃、偶然にもブログを通じて、哲学のプロフェッショナルの方と交流する機会を得ることが出来ました。

そもそも哲学とは何かという基本的なことすら知らなかった私ですが、その方と知り合ったことで、私の様な一塊の主婦の日常生活の中でも、非常に大切なことなのではないか、と思い始めました。そして、何故、町田樹が氷上の哲学者と呼ばれるのか、本当の意味が分かったような気がします。

別に、まっちーは難解なワードや言い回しで、小難しい事を語ってるから、哲学的なのではありません。

以下はその哲学研究者、岡野さんのブログから引用したものです。それほど長文ではありませんので、是非全文を読んで頂きたいところですが、私が重要と感じた部分を抜粋し、更に下線を引きました。

日本人に<思考力>が求められる時代 『神秘主義哲学の立場から』より

ものを考えるという事、価値観や世界観という事を扱うのが哲学ですので、本当は哲学は、皆に関係のあるものだと思います。

皆が、自分個人の欲求的、感情的視点を持ち寄るだけですと、最終的に、その社会は何処に行ってしまうのか分かりません。また、逆に特定の利益を追求するために、社会全体を損なわせることになる言論誘導に、大衆自身が気づかず、それを支持するようでは問題があります。

伝統的秩序のもつ機能に頼ることが難しくなってしまった今日ほど、日本人に<思考力>が求められる時代はないのではないでしょうか。目先の利便性などに捉われて「下手な考え」で世の中を改変していこうとする人たちに、したいようにさせていては危険です。国民一人ひとりが、そうした人々の言動を冷静に見極めることができるよう、本当の<思考力>を鍛える必要が出てきました

社会の全体を良くしていくために要求されるのは、私は<哲学的思考>だと思います。『哲学とは何か』のカテゴリで書きましたが、それは<利害>を求めて行われる思考ではなく、<真実>を求めて行われる思考なのです。それは、自己を超えた純公共的な視点からなされる総合的、現実的な思考であり、また問題の根源を掘り下げてみる思考です。様々な情報を綜合し、精査し、真実を追求し、理想だけではなく現実を視野に入れ、大局を見ていけるような<思考力>が、日本人に必要になっていると思います。



哲学とは真実の追求であり、社会を築く為には哲学的な思考は必要不可欠なのですね。

で、一見自己の世界に埋没していそうなフィギュアスケートにおいて、自分の中のフィギュアスケートだけでなく、フィギュアスケートの中の自分を、理想だけでなく現実を見据えながら追求しているからこそ、町田樹は氷上の哲学者と呼ばれるのだなあ、と気が付いた次第です。

さて、真実の追求とはとても重い言葉ではありますが、この情報社会の中で、私達は常にデマや情報操作に晒されていることは、意識しておいた方が良さそう。ですから、自分の目で確かめられない事には、常に細心の注意を払いたいもの。その為には一方の意見だけで、物事を判断すべきではないと思います。

そう言う意味で、何か問題が起きたとき、様々な意見が平等には情報提供されるべきですが、マスコミはそれを果たしているのかどうか。一方で、ネットには常に怪しげな情報が渦巻き、平気でデマを流す人間もいたりします。そういう環境の中で、自分の頭で思考せずに、簡単に誰かの意見に追従するのはとても危険なのでしょう。

岡野さんは別の記事(『哲学とは何か』最終回 ~ 私たちの日常における<無にして見る思考> ~ )で、哲学的思考をする上で大切なのは、

ドクサ(思い込み)を捨ててエポケー(判断停止)をすること

と書いております。エポケーとは物事の本質を見極めるには、ありのままをただ見つめ結論を急ぐなということで、その為には思い込みを捨てなければいかんのですね。

東北の時にもありましたけど、今般の熊本大分の震災でも、人々を惑わす情報を垂れ流す人間がいることを、とても悲しく思います。また、マスコミは震災報道に絡めて、別の話に誘導する意図がアリアリだったりもします。こう言った非常事の時こそ、本当に必要なことはなんなのかを、利害を抜きにして考えないといけないのでしょうね。

さて、哲学若葉マークの私ではありますが、これまでテーマとしてきたヨガや仏教とも通じる部分がありそう。例えば、ヨガにおいて、

自分を枠にはめずに、今ここにある自分を見つめること

と言われることがよくありますが、そうするためには自分を客観視する工程が必ず必要になります。ヨガのアサナ(ポーズ)をしながら、自分の体の状態や心の状態を外側から観察するのです。今、気が付いたんですけど、先述のドクサ=思い込みを捨てて、エポケー=判断停止する、と非常に近いものを感じます。

で、凝り固まった自分の価値観から離れて物事を見つめるという作業は、日常生活でも行うことが出来ます。私がよくヨガクラスで教えられたのは

買い物をする時等、それが本当に自分の欲しいものなのか、必要なものなのか、一度立ち止まって考えてみましょう。

以前、ファッションの記事で少し書いたことがありますが、私が大々的なバーゲンセールに殆ど行かないのは、雰囲気に煽られて立ち止まって考える時間を与えてもらえないからです。そこでは、”必要だから欲しい”よりも”得をしたい”というヨコシマな考えがふと過ぎって、しょうもないものを掴んでしまうことがが、、、。お店のお姉さん&お兄さん達が「お買い得」を連呼してる訳ですから、見事に煽りに乗ってしまったのでしょう。

とか言う話が哲学的とは、勿論言いませんが、こうした一つの個人的な欲求にしても、まやかしがあると言うことです。本当の欲求とは達成されたときに満足感だけを得られるが、まやかしの欲求には罪悪感だけしか残らないそうですよ。私も色々と身に覚えがありますです(*´~`*)

それと、去年の秋に哲学者ハンナ・アーレントの伝記映画を見ることになったのも(記事はコチラ)、このような出会いがあったからこそと思っています。ここでは詳しくは書きませんが、アーレントの言葉、

私が望むのは考えることで人間が強くなることです。
危機的状況にあっても、考え抜くことで、破滅に至らぬよう。


と言う言葉は、今でも胸に深く刺さっています。

そんな訳で、今後も岡野さんのブログを参照しつつ、日常に繋がるお話を紹介していけたらなと思っております。


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2016/02/22 16:50 yuccalina

ダライ・ラマ『ゆるす言葉』と、グラストンベリーでパティ・スミスと

丁度前のエントリーが、"ブラックマヨネーズのトーク番組でチベット仏教の話をするバービーに"についてだったのですが、やはり同じ番組を発端として、

みうらじゅん
ブラック・マヨネーズ
般若心経
ジョン・レノン

の話『想像してごらん、、、』(記事はコチラ)を書いてから、かれこれ10ヵ月ですか。元々ヨガやアーユルヴェーダを学ぶ者としては、仏教は遅かれ早かれ通る道とは思ってましたが、その後、みうらじゅんの著書『マイ仏教』と、Eテレの番組で紹介されていた仏教関連本を、其々下記のエントリーで紹介して参りました。

老いるショック!と50代~その(2)『マイ仏教』とマイ・ヨガ
老いるショック!と50代~その(4)仏教で自己鍛錬『ブッダ最後のことば』

そして、今回はダライ・ラマ師の『ゆるす言葉』です。

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私は以前綿本ヨーガスタジオで行われていた園田先生のセラピーヨガのクラスで、ダライ・ラマ師の言葉を教えていただいていて、ずっと読んでみたいと思っていた本でもありました。

実のところ、同じ仏教でも宗派によって異なる部分はあるのでしょうが、その辺はとっぱらって、いや、そもそもキリスト教や、イスラム教徒であろうとも、相通じるであろう普遍的な平和への祈りと人間の持つ力について書いている気がします。

美しい写真と共に綴られた珠玉の言葉の数々。一度読んだらおしまいではなく、是非とも一家に一冊備えておきたいです。何かに迷ったとき、落ち込んだ時、逆に調子に乗って浮かれ気味の時も、きっと助けになってくれるのではないかと。

ここで沢山紹介してしまうと、”一家に一冊”の妨げになるかもしれないので、ちょこっとだけにしておきますが、以下青字は全て本書より引用。

ゆるしの気持ちを身につければ、
その記憶にまつわる負の感情だけを
心から手放すことができるのです。
ゆるしとは「相手を無罪放免にする手段」ではなく、
「自分を自由にする手段」です。


近年テレビでは、毒親に育てられたと告発する(9割が母娘問題)芸能人が度々登場しますが、いつも見ていて思うのは、親への怒り憎しみを乗り越えた方達は皆スッキリとして、晴れ晴れとしている。逆に引き摺り続けている人は非常に痛々しくて、自己肯定出来ないでいるように見受けられました。やはり怒りや憎しみの感情は、自分自身を縛っているのかもしれません。

怒りと憎しみこそが、私たちの本当の敵なのです。
これこそ私たちが全面的に立ち向かい
克服すべき相手なのであり、
人生に時として現れる一時的な「敵」は
真の敵とはいえないのです。


世界には怒りや憎しみを原動力としている集団(特に宗教絡み)が数多くあったり、国レベルではデマを流してでも憎しみを煽ってきたりの歴史があります。最近NHKの『新・映像の世紀シリーズ』を見ていて、東西冷戦時代のことを色々と知ったのですが、東西ともに、憎しみや怒りの奥には強い恐怖心があったように感じられ、まさにそれが「弱さのしるし」であったんだな、と納得してしましました。それと、怒れる若者たちを利用した文化大革命が、一体どんなものであったのか?を思えば、怒りによる暴走の恐ろしさというのが分かるものですね。憎悪によって纏まった集団や国家は、今も現在進行形で存在している様ですが、そう言ったネガティヴ思考では未来も暗いままなのではないかしら。

ふと思い出したのは、南アフリカ初代大統領ネルソン・マンデラが、白人への憎しみや復讐心を捨てて協力していこうとしたこと。あれは正に、マンデラ氏の強さのしるしだったのかもしれませんね。

と、ここで、矢鱈ちっちゃな話に変ってしまいますけど、怒りに関しては、個人のレベルでよくあるのが、息子が悪さをした時とか、反抗的な態度を取った時とか、憎たらしくて、イライラして

こんにゃろ~~~~っ!

と爆発してしまうことが、私には結構あります。怒りに身を任せて物を投げてしまったりすることもある。

思えばそう言う時って、大抵疲れが溜まってて、心も体も弱ってる時のような気がしますわ。確かに怒りは弱さの証なのかも。怒りに支配されたら、当然子供を叱ることも出来ないし、全く良いことないですね。と反省することしきりなんですわ。

そして、短い一文ながら深く刺さったのが、

私たちは自分の苦しみの多くを自分の手で作っています。

でして、これは『マイ仏教』に出てきた『比較三原則』と関わりがありそうです。つまり、人は他人とか過去とか親と自分を比較しては、勝手に苦しんでることが多いんですね。

そう言えば、前のエントリーでバービーは自分のルックスに関しては「所詮入れ物に過ぎないから、一切コンプレックスは無い」と言うてた話を書きますたがが、正に他人と比較しないからこそのポジティヴパワー全開なんでしょうねえ。

ところで、ダライ・ラマと言えば確か昨年の暮れに、体調不良のニュースがあったと思うのですが、お元気になったのでしょうか?もうご高齢ですから、無理はしないで欲しいですね。去年の80歳のお誕生日は、グランストンベリーのフェスで、パティ・スミスと大観衆の元でのお祝い。



私の敬愛する方々のツーショットが見られただけでも、凄く嬉しかった。また元気なお姿を拝みたいものです。

それにしても、白髪頭のパティ、やっぱ格好いいなー!真っ白でロン毛も良いか?いや、私がやったら内田裕也になりそうで怖いわ。


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タグ: パティ・スミス ヨガ

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2015/08/22 09:44 yuccalina

ジョージ・ハリスンの仏教度チェック~あるある尽くしな『マイ・スウィート・ロード』と万物流転『オール・シングス・マスト・パス』

以前、ジョン・レノンの『ゴッド』を検証してみた「みうらじゅんの『マイ仏教』にあるロック曲は、本当に仏教的なのか?」シリーズの第2弾(で終わりかもしれんけど)は、ジョージ・ハリスンを取り上げてみたいと思います。

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『ジョンの魂』と同じころ1970年に発表されたジョージのソロ・アルバム『オール・シングス・マスト・パス』について、みうら氏はこう書いていました。

ジョージ・ハリスンはインドの影響を強く受けていて、インドの宗教ムーヴメントである「ハレ・クリシュナ運動」の強力な支持者でした。・・・・・ソロになってから作った「マイ・スウィート・ロード」は大ヒットしました。「ハレ・クリシュナ」を讃えるもので、アルバム・タイトルは「オール・シングス・マスト・パス(All Things Must Pass)」。すべてのことは移りゆく、つまり諸行無常です。

と、たったこれだけなのですが、この文章から既にちょっと違和感が、、。ハレ・クリシュナ運動もマイ・スウィート・ロードも仏教は関係ないんじゃないの?これ、ヒンズー教でしょ?と突っ込みたくなるのですが、最後に「諸行無常」で無理やり締め括ってるので、取りあえず『マイ・スウィート・ロード』とアルバムタイトル曲『オール・シングス・マスト・パス』の2曲を検証してみることにしました。

先ずは、『マイ・スウィート・ロード』の歌詞を1番だけ。

My sweet lord
私の愛しき主よ
Hm, my lord
ああ、わが主よ
Hm, my lord
ああ、わが主よ

I really want to see you
本当にあなたに会いたい
Really want to be with you
本当にあなたと一緒にいたい
Really want to see you lord
本当にあなたに会いたい
But it takes so long, my lord
でも、それには時間がかかります




ムムッ?やはりこれは仏教、全然関係ないですね。しつこく繰り返しますが、仏教では神の存在を否定しています。しかし、これはモロに神を讃える歌です。Lordとはクリシュナのことなんでしょうけど、まんまキリストであってもおかしくない内容なんです。最後の方では、クリシュナのみならず、グル(指導者)の名前があれこれ出て来ちゃうし、ハレルヤ~とか歌うてるし、もう、これはジョン・レノンの『ゴッド』とはベクトルが真逆の歌と言って良いんじゃないかしら?「〇〇を信じない」と連呼するナイナイ尽くしなゴッドに対し、「会いたい」「一緒にいたい」はいわばあるある尽くしな印象なんです。

それならば、と気を取り直して、『オール・シングス・マスト・パス』はどうなんでしょうか?こちらも1番の歌詞を紹介しますね。

Sunrise doesn't last all morning
日の出は午前中ずっと続きはしないし
A cloudburst doesn't last all day
夕立だって、一日中振ってるわけじゃない。
Seems my love is up ,
and has left you with no warning
僕の愛も終わりらしい
君に何も告げずに去ってしまった
But it's not always going to be this grey
でも、この灰色の状態も続きはしない

All things must pass
すべては過ぎ去る
All things must pass away
すべてのものは過ぎ去って行く




んーー、何つーか、変化することを歌ってるけど、私にはどこか無常感に欠ける気がする。去って行ったり、変化しているのを受け入れてはいるが、だから全てのものに実体はないのだと言う、空(くう)の世界観と結びついてない感じ、とでも言いましょうか。

そこで、思ったんですね。オール・シングス・マスト・パスとは、もしや諸行無常でなくて、万物流転なのではないか?と。

この二つの四文字熟語は一見とても似ていますが、ギリシャ哲学(万物流転)とインド哲学(諸行無常)における決定的な違いがあるというのです。この世の様々な事象を現わす前半部分、万物と諸行はほぼイコールで良いと思うのですが、後半が全く違う。流転とは流れてるもの、変化するものの存在を大前提としていますが、無常は一定の状態が無いこと自体を重要視してるのです。つまり、万物流転には有、諸行無常には無が、それぞれの考え方の基礎にあると。無=空に価値を見出したのは、やはりゼロを発見したインドならではなのでしょうか。このあたりは非常に面白いですね。

そんで、ジョージの歌の土台には、どうも無よりも有を感じてしまった訳ですが、ここで、ジョン・レノンのナイナイ尽くしがまた効いてくるんですね。やはりジョンは仏教的思考の持ち主だったんだな、とジョージのお蔭で再確認できましたわ。実は前回の記事の後で調べてみたんですが、『イマジン』の「想像してごらん」も、禅僧の修行と同じ意味合いがあったらしいです。元ネタはヨーコの『グレープフルーツ』という本で、「〇〇しなさい」の修行の後で、「この本を燃やしなさい」と、最後は空を示して終わっているらしい、、、。また、ジョンの楽曲は、演奏も必要最低限に抑えたシンプルな構成、引き算な音楽であるのも、禅との関わりを感じさせますが、ジョージはゴチャゴチャはしていないものの、ジョンほどシンプルを求めてる印象はありません。

ジョージは、『マイ・スウィート・ロード』でクリシュナ神を讃え、グル達を讃えていました。Wikipediaでクリシュナ意識国際協会を調べてみたら、こんな事が書いてありましたよ。

Wikipedia クリシュナ意識国際協会より
・・・・・ジョージ・ハリスンは出版のために資金援助を行い、『主バガヴァーン クリシュナ』のまえがきで「神は無限です。神は多くの名をお持ちです。アラー、ブッダ、エホバ、ラーマ、全てがクリシュナです。全ては一つです」と書いている。・・・



因みに、こちらはYouTubeで拾ったハレ・クリシュナ運動の動画で、1967年サンフランシスコとあります。



世はヒッピー・ムーヴメントの真っ只中。音楽に合わせて歌い踊る、トランス状態の人々を見ると、黒人教会のゴスペルみたいだから不思議。ゴスペルもインド音楽も、音楽を使って神を感じることで人々を熱狂させてた、という意味では似ていたのかもしれませんね。

それにしても、
何も信じへんわ~!というジョンとは真逆のジョージ!

という訳で、ビートルズ時代一緒にインドと出会った二人ですが、入口は一緒でも、出口は全く違ってた様です。まあ、ジョンの仏教的な部分はインドからではなく、ヨーコからの影響が大きかったってことかもしれませんが。

ところで、『マイ仏教』にはジョン・レノン、ジョージ・ハリスンの他にもう1人、ボブ・ディランが登場していました。『ライク・ア・ローリング・ストーン』や『ウォッチング・ザ・リヴァー・フロウ』も諸行無常、と書かれていたよなあと思って、よくよく読み返してみると、そこには、

万物流転に諸行無常

ってバッチリ書かれてたんです。つまり「諸行無常と万物流転の違いについてはあんま考えないどこうのスタンス」を、みうらじゅんは既に明らかにしていたと。正直な話、私はここでガックリ膝折れますたわ。諸行無常と万物流転の違いを切々と語ってしまって馬鹿みたいじゃーん!なので、ボブ・ディランに関しては、これ以上掘り下げる意味ないかなー、と思ってしまいました。多分、ボブ・ディランも、私には仏教よりギリシャ哲学の色が強く感じられることは、明らかなような気がしまして、、。まあ、もう一度読み直し&聴き直しして、何か発見があれば、第3弾としてディランを取り上げるかもしれませんが、あまり期待しないでおいてください。

勿論、私はここでみうらじゅんを批判するつもりは毛頭ございません。彼の中学時代の思い出として登場したビートルズのジョージについて、インドとの結びつきをもって仏教的だと思い込んだとしても、何ら不思議はないですし、仏教とヒンズー教にしても、全くの無関係ではありませんから。諸行無常と万物流転を同列にして、馴染みやすくしたのも、みうら氏の本の性質上、突っつき回すべき点でないと思います。

要するに、『オール・シングス・マスト・パス』は諸行無常よりも万物流転、となったのは、あくまでも私の感じ方、受け取り方の問題。こうして、ジョージ・ハリスンの歌はあまり仏教的ではない、という結論に達した、というだけのお話でした。

最後に、この記事を書くにあたり、ブログ友達のArianeさんから、万物流転についてのご教示をいただきました。感謝の意を評して話を閉じたいと思います。


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2015/08/17 11:04 yuccalina

『世界の果ての通学路』に見たサントーシャ(知足)

昨年日本でも公開され話題となったドキュメンタリー映画『世界の果ての通学路』をBSプレミアムで見ました(7月29日(水)放送)。字幕でなく吹き替えだったのは、夏休みで子供が見やすいようにという配慮かもしれませんね。



こちらはフランス版の予告編。全編子供達の歌が使用されています。可愛いですよね。



ケニア、アルゼンチン(パタゴニア)、モロッコ(アトラス山脈)、インドの4ヵ所で、子供達の通学する様子を取材しているのですが、どれも過酷でありながら、兄弟や友人達と力を合わせて、困難を乗り越えていく姿には、心を揺さぶられます。まあ、パタゴニアのカルロス&ミカ兄妹が馬に乗って通学するのだけは、ちょっとカッコよく見えてしまうのは、素人の考えでしょうけどね。実際1時間半も悪路を乗馬するのは、足腰も絶対に疲れるでしょうし、かなりの神経を使っている筈です。

ケニアの少年ジャクソンの父はサバンナで象を避ける方法を息子に授け、子供達の無事を祈りながら送り出す。そして着いた学校でもまた、教師が「無事全員出席出来た事」を神に感謝する。近くの学校に徒歩10分、なんてのが当たり前の環境で育ったワタクシには、全く想像がつかない世界な訳ですが、一番印象的だったのは、どの子供達も親達も、自分達の境遇に不平不満を言うどころか、むしろ感謝してるところ。

私はこのブログで、ことある毎にサントーシャ=知足について書いています。自分に無い物を数えるよりも、持ってものに気付いて、それに感謝しようという、ヨガにおける約束事の一つですが、どうも、恵まれた環境にいる人間の方が、それに気が付かないことが多いのかもしれません。アトラス山脈のベルベル人少女ザヒラは、一族で初めて教育を受けさせてもらい、インドのサミュエルは、歩けなくても学校へ行かせてもらえる、と其々自分は恵まれていると言うのです。

本来、勉強は義務ではなく権利。義務教育の義務とは、国が国民に対しての意味ですよね?1人で生きていくのに必要な教養がないと、誰かに頼るしかなく、ズル賢い人達に騙さてしまう可能性も高くなります。私の息子は自閉症ですが、知的障がいが強い為、喋るだけでなく読み書きも出来ません。なので、能力的に学べる筈なのに、しないってのは凄く勿体ないことなんだな、と今更ながら気が付いたものです。この『世界の果ての通学路』も、学びとは何かを考え直す、とても良い機会となりました。

最後に、私が一番印象的だったのは、ジャクソン少年が「今日は朝礼で国旗を揚げる係だから急がなきゃ」と張り切ってたことです。先のフランス版の予告編2:27あたりに、その朝礼のシーンがチラッと映りますが、その後で国家斉唱もあり、ジャクソンの誇らしい表情が印象的でした。また、パタゴニアの兄妹も、妹のミカエラが国旗掲揚係で、嬉しそうな顔がカメラで捉えられています。

現在の日本では、自国を敬うこと→排他的と単純に結び付ける人がいて、何でそうなるの?と言う論調を目にすることがあります。私が好きな数少ないTV番組の一つ『YOUは何しにニッポンへ』が好調なのを受け「ナショナリスムに繋がらないか警戒するべき」みたいな事書いてる新聞が、どこかにありましたっけね。端から番組を全く理解する気がないのか、それともあれを見てて、本当にそう思うとしたら、凄い妄想力だな、と逆に感心してしまいました。あの番組にヤラセがゼロなのかどうかは、私の知るところではありませんが、少なくとも取材は旅行者YOUの意思を尊重し、製作者の決めた枠に無理矢理はめ込んでる印象は、全くありません。YOU達の視点から見た日本を紹介しているだけで、それが日本賛美でナショナリスムはないっしょ?わざとボケてるのかと疑ったりもして、、。

私なら、自国を敬えない人間が、他国を敬えるのか?と、思っちゃいますけどね。それは自分を受け入れられない人間が、他人を大切に出来るかと言うのと、本質的に同じだと思っています。ダライ・ラマ師も

自分に親切でなくては、
他人にそうあることはできません。

他人に愛情と優しさを感じ、
彼らが幸福で苦しまないことを望むには、
同じことをまず
自分自身に願わねばなりません。


と言ってました。

『世界の果ての通学路』に登場した子供達は其々、自分の家族の為に、そして住む地域の為に役立ち立つ仕事がしたいと語っていましたが、その先には、国と言う共同体への思いもあるのではないか、と感じたのでした。



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