プロフィール

yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

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ユッカリーナのヨガ的雑記帳


2015/08/17 11:04 yuccalina

『世界の果ての通学路』に見たサントーシャ(知足)

昨年日本でも公開され話題となったドキュメンタリー映画『世界の果ての通学路』をBSプレミアムで見ました(7月29日(水)放送)。字幕でなく吹き替えだったのは、夏休みで子供が見やすいようにという配慮かもしれませんね。



こちらはフランス版の予告編。全編子供達の歌が使用されています。可愛いですよね。



ケニア、アルゼンチン(パタゴニア)、モロッコ(アトラス山脈)、インドの4ヵ所で、子供達の通学する様子を取材しているのですが、どれも過酷でありながら、兄弟や友人達と力を合わせて、困難を乗り越えていく姿には、心を揺さぶられます。まあ、パタゴニアのカルロス&ミカ兄妹が馬に乗って通学するのだけは、ちょっとカッコよく見えてしまうのは、素人の考えでしょうけどね。実際1時間半も悪路を乗馬するのは、足腰も絶対に疲れるでしょうし、かなりの神経を使っている筈です。

ケニアの少年ジャクソンの父はサバンナで象を避ける方法を息子に授け、子供達の無事を祈りながら送り出す。そして着いた学校でもまた、教師が「無事全員出席出来た事」を神に感謝する。近くの学校に徒歩10分、なんてのが当たり前の環境で育ったワタクシには、全く想像がつかない世界な訳ですが、一番印象的だったのは、どの子供達も親達も、自分達の境遇に不平不満を言うどころか、むしろ感謝してるところ。

私はこのブログで、ことある毎にサントーシャ=知足について書いています。自分に無い物を数えるよりも、持ってものに気付いて、それに感謝しようという、ヨガにおける約束事の一つですが、どうも、恵まれた環境にいる人間の方が、それに気が付かないことが多いのかもしれません。アトラス山脈のベルベル人少女ザヒラは、一族で初めて教育を受けさせてもらい、インドのサミュエルは、歩けなくても学校へ行かせてもらえる、と其々自分は恵まれていると言うのです。

本来、勉強は義務ではなく権利。義務教育の義務とは、国が国民に対しての意味ですよね?1人で生きていくのに必要な教養がないと、誰かに頼るしかなく、ズル賢い人達に騙さてしまう可能性も高くなります。私の息子は自閉症ですが、知的障がいが強い為、喋るだけでなく読み書きも出来ません。なので、能力的に学べる筈なのに、しないってのは凄く勿体ないことなんだな、と今更ながら気が付いたものです。この『世界の果ての通学路』も、学びとは何かを考え直す、とても良い機会となりました。

最後に、私が一番印象的だったのは、ジャクソン少年が「今日は朝礼で国旗を揚げる係だから急がなきゃ」と張り切ってたことです。先のフランス版の予告編2:27あたりに、その朝礼のシーンがチラッと映りますが、その後で国家斉唱もあり、ジャクソンの誇らしい表情が印象的でした。また、パタゴニアの兄妹も、妹のミカエラが国旗掲揚係で、嬉しそうな顔がカメラで捉えられています。

現在の日本では、自国を敬うこと→排他的と単純に結び付ける人がいて、何でそうなるの?と言う論調を目にすることがあります。私が好きな数少ないTV番組の一つ『YOUは何しにニッポンへ』が好調なのを受け「ナショナリスムに繋がらないか警戒するべき」みたいな事書いてる新聞が、どこかにありましたっけね。端から番組を全く理解する気がないのか、それともあれを見てて、本当にそう思うとしたら、凄い妄想力だな、と逆に感心してしまいました。あの番組にヤラセがゼロなのかどうかは、私の知るところではありませんが、少なくとも取材は旅行者YOUの意思を尊重し、製作者の決めた枠に無理矢理はめ込んでる印象は、全くありません。YOU達の視点から見た日本を紹介しているだけで、それが日本賛美でナショナリスムはないっしょ?わざとボケてるのかと疑ったりもして、、。

私なら、自国を敬えない人間が、他国を敬えるのか?と、思っちゃいますけどね。それは自分を受け入れられない人間が、他人を大切に出来るかと言うのと、本質的に同じだと思っています。ダライ・ラマ師も

自分に親切でなくては、
他人にそうあることはできません。

他人に愛情と優しさを感じ、
彼らが幸福で苦しまないことを望むには、
同じことをまず
自分自身に願わねばなりません。


と言ってました。

『世界の果ての通学路』に登場した子供達は其々、自分の家族の為に、そして住む地域の為に役立ち立つ仕事がしたいと語っていましたが、その先には、国と言う共同体への思いもあるのではないか、と感じたのでした。



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タグ: ヨガ ホルヘ・ルイス・ボルヘス

テーマ:ドキュメンタリー映画 - ジャンル:映画

2012/12/31 09:00 yuccalina

又吉直樹と今年最後の本「密林の語り部」の話

今年最後のエントリーは、THE MANZAI優勝ハマカーンの話になるだろうと思ってましたが、何か年末の特番って収録が早いのでしょうか、思ったより露出が少な目です。優勝後から出演予定番組をチェックしてたんですが、年内よりも年明けばっかりでした。因みにハマカーンの、新年1発目のお仕事は、元旦未明「3時間生放送スペシャル大フットンダ王決定戦」(日本テレビ 深夜2時30分~)で、その後にフジの「爆笑ヒットパレード」と、生放送が続くので、神田お坊っちゃまの体力が持つんか、少々心配?選挙の影響で優勝明けのワイドショー詣で(=生漫才披露)が3日後の「ZIP」だけで、スタートダッシュ出来なかったのも、まー彼等らしいんかなと思っています。それでもロンドンハーツの特番「付き合いたい女芸人グランプリ」で、鳥居みゆきちゃんを選んだ浜谷(ヤッホーイ!何か嬉しいーぞ)の写真がちょっと紹介されただけで、嬉しくなってしまいました。やはりこれもTHE MANZAI効果なんでしょうか?バイキングの2人も取り上げられててましたっけ。

と相変わらず前置き長くてすみませんが、そのハマカーンの優勝に、ピースが微妙に絡んでたのをご存知でしょうか?この秋に始まったピースの深夜番組 「NexT」の初回ゲストがハマカーンだった話は、このブログでも紹介しました(記事はこちら)。ハマカーンが漫才賞レースで結果を出してもらうための武者修行ロケ企画で、それを見守るピースの2人。これと似たような構図、実はTHE MANZAIの数日前、ピースがレギュラーしている「笑っていいとも」の中でも見られたんです。番宣ゲストのハマカーンにエールを送ったピース綾部とその横で無口な又吉の姿。

こういう縁を感じるエピソードは私の大好物なんですよね。元々ピースも大好きなコンビでしたし。特に又吉への思い入れについては、これまでも度々書いてきました。私は浜谷には男性として見て、とても惹かれるのですが、又吉はちょっと違うな、と気が付きました。多分自分と似た要素があって共感する部分が多いのだと思います。

この話も散々してますが、彼が大好きな本に対して言った「ツマラナイ本なんてない、受け取る側が面白いと思える状態でないだけ」が、まんま自分の音楽への思いと一緒だったこと。また彼の著書「第二図書係補佐」を読みながら共感した事も沢山あるのですが、それについては何れ別の機会にしたいと思います。

第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)
(2011/11/23)
又吉 直樹

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で、今回の話は彼に多大な影響を与えた本、中村文則著「何もかも憂鬱な夜に」です。12月16日付朝日新聞「思い出す本忘れない本」として、紹介していました。勿論「第二図書係補佐」でも取り上げている作品です。

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)
(2012/02/17)
中村 文則

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実を言えば私ははまだこの本を読んでいないのですが、又吉がこの本を忘れえぬ理由と思われる「この考え方を信じよう」というところが、私がヨガから教えられた考え方と同じで、ハッとさせられたのでした。それは、子供時代施設で飛び降り自殺をしようとした主人公を止めた施設長の話。

アメーバから人間まで、生き物はすべて繋がっていて、その長い線がどこかで途切れていたら今のお前はいないんだ。無数の生き物の奇跡の連続は「いいか?全て今のお前のためだけにあった、と考えていい」

ヨガの考え方そのものですよね。又吉は27か28の時にこの本と出会い、「この考え方を信じよう」と人生で初めて思ったそうです。どんな命でも、どんな状況でも生きる意味がある、と。思春期に治らないままだった傷が、かさぶたになったような思いがしたと。

それは、「自分は何のために生まれてきたのか」と言う、思春期の疑問への回答になったのかもしれません。また、これが彼の言う「どんな本でも面白いはず」という考え方のベースにもなっているのでは?と私は思ったのでした。私はヨガを通じてこの考え方を得て、障害児を育てる上でも支えになっているものですが、これが実は情緒的なだけでなく、科学的な考えとも言えるのだと教えてくれたのは、池田清彦先生です。「あなたの命はあなた1人だけのものではない」「子供は両親2人だけで作ったものではない」とどこかのエッセイで書かれていました。それは遺伝子レベルの話でも、人1人の中に人類の歴史、命のリレーが詰まっているからです。その中の1つでも欠けていたら、その命には辿り着かなかったのだと。

因みに私が習っている綿本ヨガスタジオのクラスでも「もし、自分の先祖を20世代前に遡ると、一世代20年で単純計算したら、400年の時の流れと、100万人以上の人間が自分と関わり合っている」というお話を聞いたことがあります。自分の命はそんな奇跡の連続によって生まれて来たわけです。

又吉の作りだす笑いは、悲惨な状況の中から見出だせる可笑しさであり、それは彼の敬愛する太宰治と繋がっていていると思います。そして笑いとは人間が厳しい状況でも生き抜いて行くために受け継がれてきた知恵なんじゃないでしょうか?。最近はピースの漫才を見る機会が減ってきて残念なのですが、ハマカーンの優勝を目の当たりにして、漫才への情熱に火が点いてくれたら良いなと思っています。

さて、今回はいつにもまして長ったらしくなりましたが、もう1つ本の話です。数ヶ月前に読み終えていたんですが、書くタイミングを逸してました。バルガス・リョサの「密林の語り部」は、ペルーのユダヤ人青年が、放浪するアマゾンのマチゲンカ族に魅せられて、その語り部になってしまう話です。

密林の語り部 (岩波文庫)密林の語り部 (岩波文庫)
(2011/10/15)
バルガス=リョサ

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マチゲンカ族が語り継いできた神話的なお話と、語り部の友人である「私」の回想録が交互に出てくる構成で、お伽噺と現実を見ている気がしてきます。私はアマゾンの文化には全く無知なんですが、過去にこんなDMハガキを貰っていました。裏を見れば、1993年、千鳥ヶ淵にあるプティミュゼと言う美術館から届いたもので、「ピュア・アマゾン天然循環の世界」「坂田和人 マチゲンカ・ピュア・アマゾンCD発売記念写真展」とあります。

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そのCDは現在でも購入可能なもよう。洒落じゃないですけど、Amazonで取り扱っていました。下のリンクから試聴も出来ます。アマゾンで収録した自然の音が収録されている様です。

マチゲンカ・ピュアアマゾン

バルガス・リョサはノーベル賞作家(2010年)ですし、ラテンアメリカ文学と言えば、これまでホルヘ・ルイス・ボルヘスとガルシア・マルケスしか読んでなかったので、何となく選んだのですが、これにも妙な縁を感じてしまいました。

誰にでもお薦めできる類の本ではありませんが、日本人にとって一番遠くて全く無縁と思っていたアマゾンの部族が紡ぐ物語の中にも、理解出来るものがあるのが、何だか不思議で面白く感じたのでした。

と言ったところで、今年のエントリーは、これが最後。年末とは全く関係ない話ですが、これで書き残した事はもうないかな?これからも、色んな話を繋いで行きたいと思っております。それでは皆様、良いお年を。


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タグ: 又吉直樹 ハマカーン ヨガ ホルヘ・ルイス・ボルヘス

テーマ:心の持ち方 - ジャンル:心と身体

2012/07/08 13:20 yuccalina

ヒロシと原田真二と仏教と‐「サタネプ」を見ていたら

昨夜は珍しくテレビを見る余裕があった。「サタネプ」とかゆー番組を半分くらい見た。

ヒロシのネタが秀逸。少し前、ロンドンハーツで子供相手にネタ披露してた時は完全アウェイだったけど、昨夜はホームでのびのび出来たって感じ?やはりあの切ない笑いは大人だけのものだと思う。自虐漫談は、ゆってぃにしろ、いとうあさこにしろ、彼を越える芸人は現れてない気がする。

同番組で懐かしかったのは原田真二なのだが、と同時に疑惑の念も再燃してしまった。90年代オウム真理教とともに台頭していた教団KKと教祖ORを彼がテレビで絶賛する姿を見て、どれだけショックであったことか。「てぃーんずぶるーす」「キャンディ」「シャドーボクサー」と 立て続けにヒットさせた70年代後半、私は既にイギリスやアメリカのロックを聴き始めてはいたが、原田真二はテレビに出てる歌手の中では、かなりカッコイイと思える存在だった。

番組で披露していたのは「キャンディ」だったが、私が一番好きだったのは「てぃーんずぶるーす」。レコードよりも、テレビで生演奏した時の、ピアノソロのイントロダクションが断然カッコイイ。ピアノソロのイントロと言えば、以前紹介したロキシー・ミュージックの「シー・セルズ」なぞも大好きな私だが、この「てぃーんずぶるーす」のソロはシカゴの「サタデー・イン・ザ・パーク」を思わせる。





で、原田真二が急に気になって、ウィキペディってみたら現在では「特定の宗教は信仰していない。」と明言してるらしく、少しホッとしたが、やはりあの時の衝撃を払拭するのは中々難しいものだ。

といったところで、ちょっとだけ仏教の話。オウムの指名手配者で最後に逮捕された高橋克也容疑者が、ロッカーに預けた教祖の説法書等が諦められずに、離れた場所へ移ることが出来なかったとか。この話を聞き、マインドコントロールとは正にこういう事なんだと思った。

「マツ☆キヨ」にもあったけど、自分で考えたり悩んだりするのが辛いから、教祖に帰依して身を任せた。その方が楽だったから、その信じてたものを失ったら、苦しいのは当たり前。でも、その苦しさを「苦行」と思って受け入れる智恵を持ってなかったのは残念な事だ。いや、元々そんな智恵があれば、カルトにハマったりしないか。結局は、「マインドコントロールされたい気持ち」ありきだよな。私は笑い飯哲夫さんの般若心経と、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの本でしか、仏教を学んでいないけど(詳しくはこちら)、仏教って神様も教祖もいらない哲学だと思う。仏教はブッダの存在を疑っても良いくらい寛容なもので、大切なのは自らを律する方法(それをヨガ=軛と呼ぶ)を見つける事。誰かを妄信することではない。だから、仏教の名を借りたカルト教団は、仏教と全くの別物だと思う。

オウム真理教のお陰で、「aum=オーム」という言葉のイメージが大暴落し、ヨガ関係者は相当な迷惑を被った筈だ。私がレッスンに通う綿本スタジオでは、殆どのクラスでアーサナ(ポーズ)に入る前に「aum」の唱和をする。aumはキリスト教のアーメンや仏教の阿吽(あうん)と同じであり、不変の宇宙を現す聖言だが、ヨガのプラクティスにおいては、aの音はお腹に、uは胸、mは眉間にそれぞれ響かせる作用があり、実際、声に出してみれば、大抵の人が実感出来る筈だ。心と体を整えてる為にも、aumはヨガに欠かせないと思うが、残念ながら私が教えてる教室では、唱えたことは一度もない。やはりオウム真理教の存在による、言葉への抵抗感が抜けきれていないのも事実。それは、私が原田真二を見てカルト教団KKを思い浮かべたのと、同じことなんだろう。自分が教える立場で抵抗なく行うには、まだ暫く時間がかかりそうだ。



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タグ: ヨガ ホルヘ・ルイス・ボルヘス

テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

2012/06/06 09:03 yuccalina

ヨガに役立つかもしれない?「えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳般若心経」

以前「アメトーーク・読書芸人」の話題でちょっと取り上げた、「えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳般若心経」を読み終えたので、早速紹介しまーす。

えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳 般若心経 (ヨシモトブックス)えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳 般若心経 (ヨシモトブックス)
(2009/01/31)
笑い飯 哲夫

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最初に私が言いたいは、「ヨガをしていて、仏教に興味はあるけど、何か難しそうだし、怖そうだなー」と思っている(た)私の様な人には、とーってもオススメの本です。自分もそうなのですが、仏教と言うとどうしても「怪しいカルト集団」と結びついて身構えてしまったり、学問としても敷居が高そうと思って、中々手が出せない人は少なくないんじゃないでしょうか。

タイトルの「えてこ=猿でもわかる」が、いきなりハードル高くて、分からんかったらわたしゃー猿以下か?というプレッシャーがありましたが、哲夫さんは普段使いの言葉で分かりやすく噛み砕き、一言一句教えてくださいます。但し、数学の方程式やら必要十分条件やらの例えに、数学嫌いな私はちょっとオエッとなりましたが、そこんとこをスルーしても、最後には合点がいきました。なので、ちょっと苦手分野の表現が出てきても、直ぐに本を閉じないで下さいね。

流石に秀才芸人の哲夫さん。関西学院大学の哲学科を卒業し、東京大学で仏教の講義をされたのは、伊達じゃないです。哲夫の哲は哲学の哲ですもんね。一方、お笑い芸人としての本分で「面白い文にしなくちゃ」と、「苦」とは臭いウンコの事と言ったり、ワザと汚い言葉や下ネタを使ったりされてますが、それは哲夫さんが「仏教の本質は寛容」だと理解されてるからかもしれません。とにかく真面目さとボケのバランスが素晴らしい。これぞ「中道」かもしれません。本編の中で、中道については、「自分を苦しめることばっかりやってもあかんし、かといって楽しいことばっかりやってもあかん、そしたらその真ん中をやろう、という考えです」と言い、結婚式のスピーチを引き合いに出しました。「ちゃんとしたこととアホなことのちょうど真ん中を言ったら、最高なんですよね。中道はセンスのかたまりみたいなもんやと思います」と解説しております。分かりやすいですね。ちなみに、哲夫さんはマジメな事もアホな事も極めつつある人だからこそのセンスがあるんだと、私は思います。そう、どちらも知ってないと、エエ感じの真ん中は中々見つからないもんじゃないでしょうか。

全編を通じ、哲夫さんは「空=くう」の概念、即ち「この世のすべてには実体がないこと」の解説に注力していると思うのですが、この本の私的ハイライトの1つが、「慈悲の心の作り方」です。哲夫さんは煮えたぎるお鍋に、一切合切投入して煮込んでみたら?と書いています。自我から解放される為の考え方にもなっていますが、こちらは詳しく書くとネタバレになっちゃうんで、これくらいにしておきましょう。是非読んでみてください。

さて、この本を読んで、俄然興味が湧いてきた懐かしのテレビ番組があります。私が育った家庭には男子は父親だけでしたので、当時この番組を見た記憶が全くないのですが、「愛の戦士レインボーマン」と言い、あの故・川内康範先生の作品です。テーマ曲の替え歌はよく覚えています。「インドの山奥出っ歯のオジサン骸骨見つけて気絶した」地域によって若干差があるかもしれませんが、私はこう歌ってました。で、そのレインボーマンが、インドの山奥で修行を積んだヨガ行者ヒーローであったと、哲夫さんの本で初めて知ったのです。レインボーマンは変身する時に「阿耨多羅三藐三菩提=あーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい」と唱えていたそうです。意味は「この上なく正しい悟り」、凄いすねレインボーマン。



そういえば、虹ってチャクラの色と並びが一緒じゃなかったでしょうか?中々奥が深そうです。今の時代に是非リメイクして欲しいところですが、「死ね死ね団」とかの名称にはPTAからクレーム必至でしょうね。

ところで、私は今まで仏教の本なぞ、読んだことがないのですが、唯一引き合いに出せるのが、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの講演集「七つの夜」の第4夜「仏教」です。般若心経を解説してる訳ではありませんが、ヨガを学ぶ者として為になる文章が沢山あるので、この機会に合わせて紹介したいと思います。

仏教とは何よりもまず、ヨガと呼びうるものでした。ヨガとは何でしょうか。それは私たちが軛=ユゴ(スペイン語)と言うときに使うのと同じ言葉で、ラテン語のユグyuguが語源です。軛(くびき)、人が自らに課す規律です。

仏教徒であるとは、理解することではない。・・・・・・四つの崇高な真理と八つの道を感じることなのです。

大事なのは、仏教を一組の伝説としてではなく、ひとつの規律として生きることだと思います。その規律は私たちに可能であり、私たちに苦行を要求したりしません。それは放縦な肉欲生活に溺れることも許しません。私たちに要求するのは黙想です。

仏教の僧院における修行のひとつにこんなのがあります。新たなる弟子は自分の人生の一瞬一瞬を十分に経験しながら生きなければならないというものです。彼はこう思わなければならない。「今は正午だ、今私は中庭を横切っている、今私は僧院長に出くわした」と。それと同時に、こうも思わなければならない。すなわち、正午も中庭も僧院長も非現実的である。それらは彼や彼の考えと同じくらい非現実的であると。なぜなら、仏教は自我を否定するからです。主要な幻想のひとつに自我があります。仏教はそれを否定する点で、ヒューム、ショーペンハウアーそして、我が国のマセドニオ・フェルナンデス*と一致します。

*アルゼンチンの作家(1874~1952)

以上、「七つの夜」“第四夜・仏教”より

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ボルヘスも「中道」について書いています。そして「空」という言葉は用いなくとも、その概念については「非現実的」という言葉を使って説いています。

ボルヘスはアルゼンチン人でキリスト教徒ですが、この講演は1977年に故郷のブエノスアイレスで行われたそうなので、聴講者の大半もキリスト教徒とみて良いでしょう。そのためか、話の裾野を広くして、ブッダ伝説からボディダルマの話、ギリシャ哲学との関わりや、ショーペンハウアー、ベルグソンの名前まで出てきます。ボルヘスは「仏教の許容性」を讃え、「ブッダは唯一神でなく大切なのは教義であること」を強調しています。哲夫さんも「仏教には神様はいないこと」をちゃんと書いてます。してみると、教祖様を崇め奉ってる、仏教系のカルト宗教ってのは、かなり怪しいですね。ま、信じるのは自由ですけど。

と、話がそれましたが、ボルヘスは仏教はその「寛容さ」ゆえに、例え他の宗教を信仰している人間であっても、非常に意義深く「救済に至る道」と言っているのです。なぜなら仏教は神を信じることでないからであり、教義を頭で理解するのでなく、心で感じればよいからだ、というのです。

あ、ここでまた1つ答えが出てきたようです。そう、頭で理解できなくても、いーんです!(川平慈英キター?)なーんとなく感じるだけでもOKよっ!「えてこでもわかる般若心経」もきっと、別に頭で分かろうと頑張らなくて良いんだと思います。そう、哲夫さんも般若心経を頭で理解させるのではなく、なんとなーく感じてもらいたいがために、学術的ではない、身近なものに例えて語ってくれているんだと思います。もっと生活の中で身近に感じられるように、との思いがあるのかもしれません。という訳で、私はヨガをしてない人でも、仏教徒じゃない人でも、万人に哲夫さんの本をオススメしたいと思います。ただし、えてこには勧めませんけどね。


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タグ: ヨガ ホルヘ・ルイス・ボルヘス

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2012/03/21 08:15 yuccalina

「楽しく生きるのに準備はいらない」 - 池田清彦先生の 元気になるお言葉集

私は「ホンマでっかTV」に出演している生物学者で社会学者の池田清彦先生が大好き!という話は既に何回も書いたが、最近、テレビだけでは飽き足らず、著書(全てエッセイ)を3冊ほど購入したよー。

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楽しく生きるのに準備はいらない (青春文庫 い-)楽しく生きるのに準備はいらない (青春文庫 い-)
(2010/03/10)
池田 清彦

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その中でも一番読みやすそうな、「楽しく生きるのに準備はいらない」を紹介したい。楽しく生きるためのアドバイス集って感じなんだが、2部形式になっており各々25、全部で50項目で構成されている。ちょいとばかしタイトルだけ拾ってみると、、。

・人は中途半端に生きて、それで楽しい
・恋愛がビョーキなら、セックスは運動だ
・楽しく生きられるのが、一番重要な才能である
(以上、第1部「自分を知る25のヒント」より)

・結婚とは1プラス1を2以上にしよう!という契約
・陰口を言われたら、まず相手をほめる
(以上、第2部「他人と生きる25のヒント」より)


等々あるが、50の内1つでも「こんな考え方もあるか」と思えたらOKだと思う。そこから、ちょっとでもものの見方を変えるキッカケになれば素敵だなと思う。そして、50項目を読む前の大前提として、まえがきに書かれていた言葉に、私はかなり共感したよ。

池田先生曰く、楽しく生きる為には「唯一無二の自分」と、「社会の皆の中の一人に過ぎない自分」の両方を明晰に意識せよ、と言うのだ。先生は前者を「かけがえのない自分」、後者を「かけがえのある自分」と呼ぶ。自分とはその両方で成り立ってるのだと。

私はここで、ホルへ・ルイス・ボルヘスの言葉を思い出したので、ついでに紹介しておこ。

「われわれにとって自我というのは取るに足らないものであり、自我心など抱いてみたところでなにもなりはしない。~中略~ そうした自我はあらゆる人間のうちになんらかの形で内在しているものであり、その意味ではわれわれの共有物であるといってもよい。」(「ボルヘス、オラル」より)

という考え方と、近いんじゃないかしら?「それぞれ違った自分を持っている」と言う意味では皆同じ、って事なのだ。そこを踏まえていれば、例え自分の意見が受け入れられなくても変に敗北感を持ったり、余計な事考えずにすむと思う。先生が言うには、人から親切にされたりちやほやされてないと不安な人は、「かけがえのない自分」ばかりが肥大して、「かけがえのある自分」を忘れている、ってことになるのだ。

また、池田先生はヨガのヨの字も出してはいないが、「自分を知ること」と「(他人との)関係性の中での自分を意識すること」はヨガが説く精神に通じるものがあるかも。私にとってかなり興味深いお言葉集でもあるのだな。「中途半端」が「中庸」とイコールとは言わないが、かけ離れたものではない気がするのだ。

私自身も、この本の全てに同意はしないが、各々に違った自分を持った人がどう思おうと勝手である、というスタンスで書かれているから、共感できない部分でも嫌な気持ちにならず、読んでいて非常に楽しかった。ま、このブログを見れば瞭然かもしれんが、私は元々「中途半端は楽しい」と思ってる。アーユルヴェーダで言うところのヴァータ・タイプ人間なんで、当然なのかもしれないな。そういう意味では、何事も白黒ハッキリつけたい完璧主義なピッタ・タイプの人が読むとどう思うのか、興味があるなあ。読みながら「どっちがただしいのかハッキリしろ」と突っ込むかもしれないな。池田先生は決して「〇〇が正しい」という言い方はしないからね。ちなみに、アーユルヴェーダの体質&性格診断であるドーシャ(=ヴァータ・ピッタ・カパ)のチェックに興味ある人は、下のページへどうぞ。

アーユルヴェーダ診断‐トリドーシャ(=ヴァータ・ピッタ・カパ)チェック

しかし、ボルヘスだのアーユルヴェーダだのややこしい話を抜きにしても、この本は楽しいよ。10年以上前に書かれたらしいけど、全然古さを感じさせないし、中学生からご高齢の方まで、老若男女問わずオススメしたいわ。そして、今購入しようか迷ってるのがこちら、

マツ☆キヨマツ☆キヨ
(2011/08)
マツコ・デラックス、池田 清彦 他

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マツコ・デラックスとの対談集だが、「ホンマでっかTV」での共演がキッカケなんだろうなあ。番組見てても、マツコが池田先生をリスペクトしてる感じが伝わってくるし、どんな話してるんだか興味津々だ。

タグ: ホンマでっかTV ヨガ アーユルヴェーダ ホルヘ・ルイス・ボルヘス

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