プロフィール

yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

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ユッカリーナのヨガ的雑記帳


2016/07/04 09:26 yuccalina

『浦和ミュージックサタデー』の思い出に添えて~Teardrop Explodes, Colour Field, Care, Colin Newman & Tom Verlaine

私にとって、どんな音楽を聴いてきたかは、どんな人と出会ってきたかの歴史でもあります。小6でベイ・シティ・ローラーズ旋風が日本にやってきて、そこからロック&ポップスを中心に、様々な音楽を聴いてきました。少し前に『YOUは何しに日本へ』を見てたら、”タータンチェックを着たおばさん集団が来日したレスリー・マッコーエンに群がる図”が出てきて、シミジミ思った。ローラーズが出発点にしては、私の着地点はかなりズレたもんだなあ、と。

ポストパンク、ニュー・ウェイヴにNYパンク、を経てワールド・ミュージックだの黒人音楽だのと聴くようになるには、様々な”注目すべき人々との出会い”があった訳です。自分の音楽遍歴に深く関わってる人々のことを記録しておこうと思いました。

で、私にとって一番大きな出会いだったのが、NHK浦和放送局のラジオ番組『浦和ミュージックサタデー』(以下”浦サタ”と略)のアシスタントをされていた、大蔵麻美(おおくらまみ)さんという女性です。

何年か前、番組名で検索して、ブログに書かれてる方を発見していました。

今から30年以上前、NHK-FMでは、土曜日の午後は関東の放送局ごとに独自の番組を組んでいました。私の住んでいた埼玉は「浦和ミュージックサタデー」と言う番組を放送していました。

歌謡曲・ニューミュージックの週、ロック・ポップスなど洋楽の週と、

2つの異なるプログラムを組んだ番組構成で、私は洋楽の週ばかりを聴いていました。かなりマニアックな曲をかける点では、水戸放送局の「ロック・タイム」と双璧だったのではないでしょうか?今まで聴いたことのないハードロック、プログレッシヴロックの曲がかかり、随分と勉強になりました・・・・・

浦和ミュージックサタデーの思い出~『パンクフロイドのブログ』より



私は当時東京の東端の町に住んでいて、埼玉県浦和と全く縁はありませんでしたが、購読していたFM雑誌の番組欄には、NHKFMのローカル各局が毎回載っていました。たまたま面白そうな特集があった時、試しに聞いてみたのがキッカケです。元々NHK-FMにローカル局があることすら知らなかった私ですので、運命的な出会いだったと思います。とにかく番組を聞いてみてビックリしました。それまでラジオのチャート番組やメジャーな音楽雑誌からの情報しかなかった高校2年生のユッカリーナにとって、正に未知の領域だった。オンエアーされていた曲の大半は、日本では殆ど紹介されてない、輸入盤からだったと思います。そして、もう一つスタジオが見学自由であるらしい、のにも興味をそそられました。その後、

リクエストハガキを書く→
読まれる→
2回目のリクエストに「スタジオに遊びに行っても良いのですか?」と質問→
「是非遊びに来てください」と返事→
女子高生ユッカリーナが埼玉県浦和に初上陸

と、この間約2ヵ月。行ってみるとバリトンヴォイスが渋い藤野アナウンサーと、ボーイッシュで知的な女性大蔵麻美さんの二人が番組を進めていたのですが、その他にハードロック担当のYさん、プログレ担当Dさん、ユーロポップ担当Kさんという方達(皆20代の男性)が選曲のお手伝いをしていました。彼等はそれぞれ仕事をしてたり、大学生だったりと、素人ではありながら、時々マイクの前に座り、お薦め曲の紹介をしていたのです。番組終了後は、彼等と7インチシングルのサンプル盤(=レコード会社から局に配布されたもの)争奪のジャンケンをしました。それが終わると、大蔵さんはスタッフを引き連れて、近くの喫茶店へ行くので一緒にどうか、と私を誘ってくださいました。ちなみに藤野アナはNHKの社員でしたから、番組後も局でお仕事だったようです。

で、喫茶店では終始音楽談義が展開されました。全く知らないアーティストの名前ばかりがバンバン出てくる。でもそれで、まんまとハマってしまった訳ですね。その後も私は隔週の土曜日、浦和へせっせと通うようになり、それは短大卒業までの4年(1981~1985)ほど続きました。

ここで重要なのは、大蔵さんが担当していたのがジャンルで言えばニューウェイヴだったこと。

それまでチャート番組で紹介される曲や、時々図書館で借りてくる少し古めのロックのレコードくらいしか聴いていなかったワタクシの趣向に大きな影響を与えた訳です。大蔵さんはよく自分で買ってきた輸入盤レコードを貸してくれたりもしましたので。

こんな音楽もあったんか~~?

といつも唸ってました。丁度ラフトレードや4ADと言ったイギリスのインディーズが日本上陸した頃で、ピッグ・バッグやリップ・リグ&パニック、バウハウスのレコードも大蔵さんに貸してもらったけなあ。まだお小遣いが少ない筈の高校生が、色々と新しい音楽を聴けたのも、すべては浦サタと大蔵さんのお蔭でした。

そして何よりも大きかったのは、高校生活に飽き飽きしてた、っつーか勉強に着いていけずに腐っていた私にとって、浦サタでの時間が唯一の楽しみだったことです。2週間に1度の楽しみの為に、つまらない学校も我慢出来た。まあ、時々は本当に我慢ならなくて、授業をさぼったりしたけど。それまで、学校に行けばお喋りする友達はいましたが、浦和に通うようになってからは、同級生とは殆ど遊ばなくなりました。学校の外に知り合いがいることに、優越感みたいなものがあったかもしれませんぐ。

さて、大蔵さんの影響でニューウェイヴにハマりだしたワタクシは、サウンド・ストリート(火・坂本龍一、金・渋谷陽一)を聴き始めたり、ロッキング・オンやフールズ・メイトを読んだり、御茶ノ水のCISCO=輸入レコード店に通ったりしては、色々と情報を仕入れる様になりました。浦サタの番組が始まる前に、自分が探してきた”良い曲”を大蔵さんに聴いてもらって、キニイッテもらえれば番組内でかけてもらえる様になったからです。

そんな訳で、私が輸入レコードを持参して、採用してもらった曲の中から、思い出深いものをいくつか紹介しますね。

先ずはティアドロップ・エクスプローズの『You Disappear From View』。



私はエコー&ザ・バニーマンを先に好きになったのですが、彼らの兄弟バンドらしい、と雑誌『Zig Zag East』で知った私は、このラストシングルを買ったのですた。で、その後ジュリアン・コープにハマったのは、大蔵さんから”いいね!”と言ってもらえたのと無関係ではないと思います。

で、ジュリアンは勿論のこと、ティアドロップ絡みのバンドも探るようになった中で、一番好きだったんは、イアン・ブロウディとポール・シンプソンのデュオ、ケアーです。



この『Whatever Possessed You』は、後にネオアコ好きからも親しまれたのではないでしょうか?

お次はカラーフィールド。スペシャルズ~ファン・ボーイ・スリーを経たテリー・ホールのバンド。



PVがあったなんて、当時は知らんかったな~~。

一方、コリン・ニューマンは渋谷陽一のサウンド・ストリートで紹介されてて、興味を持ったアーティストです。



意外とポップでビックリしました。その後、社会人になってレコードを沢山買えるようになり、『A-Z』『Commercial Suicide』、ワイヤーのアルバム等も愛聴しておりますたわ。

さてさて、最初はレコード持ってくるだけだったワタクシも、いつしか番組でちょっと喋らせてもらったりしましたが、一度録音したのを聴いて、

なんじゃこりゃ~~?

と頭を抱えますた。スピードワゴンのセカオザよりも酷いボソボソで、「あ~」、だの、「え~と」、ばかりでそれはそれは酷かった。

それでも、大好きなトム・ヴァーレイン特集までさせてもらったっちゃったりして、、。丁度4枚目のアルバム『Cover』が出た少し後でした。特に好きだったのが『Swin』でね、、



冒頭の犬の声をバックに、ボソボソ語るトムに萌え~~だったんですわ。

ところで、先に紹介したパンクフロイドさんの記事にも載ってるのですが、浦サタでは『NOVA』と言うミニコミを作っておりました。リクエストハガキをくれたリスナーで住所氏名のある方々に、一方的に送ってただけなんですが、結構喜ばれていたと記憶しています。

こう言った活動から、私が将来音楽雑誌の仕事をしたい、と思う様になったのは自然の成り行きだったかもしれません。大蔵さんが音楽出版社大手のR社(ロッキング・オンではありませんぐ)で結構重要なポストだったらしい、のも関係しています。しかし、短大2年の時、大蔵さんに「就職どうするの?」と聞かれて、本当は「どこか音楽雑誌で働かせてもらえませんか?」と頼みたかったのに、出来ませんでした。多分、覚悟がなかったんだと思います。もし、頼みを聞いてもらえても、最初はアルバイトからになるでしょう。親を説得してでもやるんだ、という気持ちがなかったと。

以前、宝島でちょっとだけバイトした話(コチラ)を書きましたけど、あそこでの失敗で自信を失くしてたのも、無関係でない気がします。ちなみに宝島を紹介してくれた友人のS君は浦サタと別ルートで知り合いましたが、間接的に関係はありました。私は先述のミニコミ『NOVA』をS君に読んでもらい「文章がポップで面白い」からと、バイトに誘ってもらったからです。

で、話は戻りますが、私は大蔵さんに何も言えずに、何となく憧れてたいくつかのアパレル企業を受けて不採用。たまたま父が新聞で見つけた某コンビニ会社に、何とか合格してそこに入社しました。しかし、週休二日制でなかった為、就職と同時に浦サタともお別れの時が来たのです。

しかし、しばらくしてから、”浦サタのスタッフだったYさんとSさんの二人が、大蔵さんの口利きで某雑誌のアルバイトをしてる”話を耳にした私は、正直心穏やかではありませんでした。

やっぱり頼んでみれば良かったのかな、、、

と、当時はちょっぴり後悔したと。でも、その後の自分の歩みを思えば、全く悔いはないです。

自分にとって、「これだ!」という確信がなかったから、そうしなかった、そうならなかったのだと思うからです。

でも、大蔵さんからの影響は、今でも色んなところで感じています。音楽だけでなく、いつもIssey Miyakeの服を、カッコ良く着こなしていて、「私も大人になったらイッセイの服着たい~~」と思いながら見てました。で、その10数年後、イッセイ本体ではないですけど、その流れであるZuccaやI.S.(後のTsumori Chisato)の服を愛用するようになった訳ですから。、

ともあれ、10代の多感な時期に、「自分もああなりたい」と憧れる女性と出会えたのは、とてもラッキーだったんだな、と思うのです。大蔵さん、今どうしているのかなあ、浦サタと一緒に検索してみましたけど、残念ながらそれらしき情報は見つかりませんでした。結婚して名前が変わっちゃったのかもしれませんね。



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タグ: 80年代 NYパンク ジュリアン・コープ トム・ヴァ―レイン

テーマ:洋楽ロック - ジャンル:音楽

2015/08/31 14:24 yuccalina

『久保みねヒャダのこじらせナイト』を見て仰け反った件~ヒャダイン×テレヴィジョン=?

ことの始まりは、フィギュアスケーター町田樹にハマったという、ある漫画家の存在で、その人の名は久保ミツロウ。お手製の町田樹バナーを掲げた彼女の姿を、どこかのフィギュアブログで見たのです。その後某深夜バラエティで、フィギュアのフリップネタを披露し、また話題になりますた。

その番組こそ、今回紹介する『久保みねヒャダのこじらせナイト』でございます。土曜の深夜のフジテレビ、当然生では見てなくて、毎週録画予約状態になっております。

<この回では羽生結弦くんのイラストを披露>


毎回全部面白い訳でもないのですが、基本、久保ミツロウ、能町みね子、ヒャダインとレギュラー3人のトークは、いつも面白いと思います。特に、能町女史は、時々読んでる週刊文春のコラム同様、鋭い切り口が好きでございます。

そんな番組を敢えて取り上げるキッカケが、これまで全く無かったのですが、少し前に気になることがあったんですね。

その日はなぜか能町女史の弟(=パフェ評論家、左端)が、仮面姿で登場し、パフェの極意を語るという企画。



しかし!私にはそんなもんどーでも良かったよ!
何故って、これが気になって、気になって、
ソワソワ、
ザワザワ、
ヒャダインが着てたTシャツ!

television.jpg

あれは一体何なの~?

ニューヨークパンクのレジェンド的バンド、
テレヴィジョンのセカンドアルバム『アドヴェンチャー』
ジャケットの写真部分をクローズアッブしたデザインのやつがが~!

どこで売ってんの?
誰が作ってんの?
って、そもそも、ヒャダインって、テレヴィジョンのファンだったの~?


とか、様々な思いが駆け巡ったのは言うまでもございませんっ!

当然のことながら、直ぐにネット検索しましたとも。
「ヒャダイン テレヴィジョン Tシャツ」で、エンターキーをターン!
と渾身の力で叩きましたよ!
ってのは言い過ぎですが、
私の疑問に答えてくれる結果はゼロでございました。

それではと、シンプルに「television adventure T-shirts」で、再びけんさーーく!
してみたら、おっ、アッサリと出てきた出てきた、、、

ヒャダイン着用とはデザインが違うのですが、どうやらあの”アンダーカヴァー”で出してるらしさ。しかも、ファーストの『マーキームーン』Tシャツも出ておった。

なるほど、オサレブランドのTシャツだったのね。定価は分かりませんぐが、ネットオークションで新品が約9000円からで取引してるので、もともとは1万円以上しそう。やはり安い品物ではないみたいです。

と言う訳で、残る疑問は、ヒャダインがテレヴィジョンリスペクトなのかどうか、ですな。

彼の作品は知らず知らずのうちに、耳にしてるのかもしれませんが、ワタクシとしてはアニメ日常のテーマくらしか、意識して聴いたことがないのでございます。で、音楽性にテレヴィジョン的要素を全く感じないので、やっぱ、アンダーカヴァーの服だから着てるだけの可能性が高いのかなと。もし何かご存知の方、教えてくださいませ。

以前、どっかで書きましたが、
私は数ある海外アーティストのライヴに足を運びつつも、
唯一出待ちをしたことがあるのが、

トム・ヴァ―レインなんですからっ!

ええ、ええ、確かにワタクシは「最初で最後のアイドルはジュリアン・コープ」と書きましたが、トム・ヴァーレインはそれ以上お慕い申し上げておりますた。と言っても過言ではごさいません。ただ、余りにもトムは大人すぎて(16歳年上)、何かキャーキャーしてはイカンという意識があったんですね。でも、彼の記事の切り抜きも、ジュリアンと同様に取ってありますし、生写真(1985年頃ロンドン)とか、

tomverlaine_convert_20121206122822.jpg

どこの誰が作ったのかも分からんミニコミまで、取ってあるのです。

television2.jpg

彼が来日したのは1987年5月。もしも当時こんなアドヴェンチャーTシャツがあったのなら、22歳のyuccalinaは絶対買って、着て行ったと思います。例え高価な服でも、好きな物食べるのを我慢してでも、きっと買っていたでそ。しかし、50のババアとなった現在、安いとは言えずとも、買えない値段ではない。でも、全然欲しいとは思わない。これが、めぐり合わせってやつなんでしょうね。まあ、このテレヴィジョンTシャツを着てる子達から、少しでもテレヴィジョン及びトム・ヴァ―レインの音楽愛好家として巣立って行っていただけたら、ワタクシは本望でございます。

さて、テレヴィジョンのアドヴェンチャーと言えば、衝撃的だったファーストに比べ、地味な印象がありますけど、勿論大好きなアルバム。グローリーはロイド・コールがカバーしてたっけ。特にファンでもなかったけど、12インチシングルのB面に入ってたから、その為だけにわざわざ買った。




しかし、ぜんぜんっパンクっぽくないっすね。『マーキームーン』もそうですけど、結構長尺の曲も多いですし、3コードで3分以内の曲ばっかのラモーンズをイメージしてたら、絶対に裏切られます。でも、あの引きつり気味な、お世辞にも美声とは言えない、みょーーーなヴォーカルはクセになり、今でもやっぱり良いなあと思うのです。『アドヴェンチャー』では夢のまた夢の、ギターのイントロダクションが大好きでしたわ。



とか、つい思い出に浸ってしまいますたがが、最後は話を『久保みねヒャダ』に元に戻しましょうか。間もなくフィギュアスケートの新シーズンが幕を開けます。久保センセーのフィギュア愛はどのように炸裂するのか、とーっても楽しみなんでございます。今シーズンからシニア参戦の宇野昌磨くんとか、どういう風に登場するのかな?とかね。ともあれ、沢山見られるように期待しておりますよ。


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タグ: トム・ヴァ―レイン

テーマ:お笑い/バラエティ 全般 - ジャンル:テレビ・ラジオ

2014/01/14 08:02 yuccalina

ヨ・ラ・テンゴとフィーリーズ~ホーボーケンサウンドの記憶

昨年のクリスマス音楽の記事(こちら)でも書いたのですが、ヨ・ラ・テンゴ(Yo La Tengo)というバンドを知ったのは、The dB'sとクリス・ステイミー絡みで、1988年頃でした。彼等のファーストアルバム「New Wave Hot Dogs」はクリスと同じCoyote Recordsというインディーズから出ており、クリスもギターで参加してましたから。

<CDはセカンドとカップリングでジャケットが違ってました>
プレジデント・ヨ・ラ・テンゴ+ニュー・ウェイヴ・ホット・ドッグスプレジデント・ヨ・ラ・テンゴ+ニュー・ウェイヴ・ホット・ドッグス
(2000/10/25)
ヨ・ラ・テンゴ

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<こちらがヒゲおやじのジャケット>


そこには、見た目に冴えないヒゲおやじのジャケットからは想像もつかない程、新鮮なギターサウンドが詰め込まれていました。ギターのリフと気怠いヴォーカルは、ヴェルヴェッツ・チルドレンなのかなー?とも。明けて1989年、どういう経緯だったのか分かりませんが、日本盤も出てない状態で、ヨ・ラ・テンゴは来日しました。REMあたりと関わりが合って、バーターだったのかな?とも思ったのですが、来日時期は違いますね。

yolatengo_2014011408222319e.jpg

現在もあるのか定かでないですが、渋谷の宮益坂にあった「TVジャンクション」と言う、クラブだかライヴハウスはとても小さかったです。客数は完全に二桁。かなりの至近距離で、しかも一緒に行った友人とテーブル席でビールを飲みつつ、とてもリラックスかつエキサイトしてライヴを楽しんだ記憶があります。更にチケットの半券を見ると、1ドリンク付2060円と格安だったんですね。

しかし、その後90年代私の趣向はロックからワールドミュージックにシフトし、長い間ヨ・ラ・テンゴの名前は忘れていました。それがブログを初めてから、ネット上で彼等の名前を発見。あれからメンバーも殆ど変らずに音楽活動していたのには、ちょっと感動しました。その後何度も来日してて、フジロックにも出てたんだー。んで今年の5月にもまた来日するんですね。

YO LA TENGOの来日ツアーが5月に開催、東名阪を巡る

そんな訳で、例によってYouTubeを漁ってみました。1990年の「フェイクブック」は、秀逸なカヴァー曲とオリジナルが良い具合にサンドイッチされてます。

FakebookFakebook
(1994/01/01)
Yo La Tengo

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1. Can't Forget (Ira Kaplan)
2. Griselda (Antonia)
3. Here Comes My Baby(Cat Stevens)
4. Barnaby, Hardly Working (Georgia Hubley, Kaplan)
5. Yellow Sarong (The Scene is Now)
6. You Tore Me Down (The Flamin' Groovies)
7. Emulsified (Rex Garvin & The Mighty Cravers)
8. Speeding Motorcycle (Daniel Johnston)
9. Tried So Hard (Gene Clark)
10. The Summer (Hubley, Kaplan)
11. Oklahoma, U.S.A. (Ray Davies)
12. What Comes Next (Ira Kaplan)
13. The One to Cry (The Escorts)
14. Andalucia (John Cale)
15. Did I Tell You (Kaplan)
16. What Can I Say (Joey Spampinato)


以前NRBQの「Captian Lou」をカヴァーしてる!と感動した(記事はこちら)のですが、ここにもありますよ。ラストがNRBQのナンバーですね。その他14のジョン・ケイルはいかにもですけど、6(フレーミング・グルーヴィーズ)、7(レックス・ガーヴィン)あたりは、黒っぽいサウンドも好きなんだー、と新鮮でした。ってか、何気に私の趣味と合うじゃないの?どストライクゾーン連発のカヴァー陣ですが、オリジナル曲との距離を感じさせないアレンジがまた良いですね。最近のアルバムも聴いてみて、良かったらまた別途紹介しようかな。今回はもう一つ紹介したアーティストがおります。

ヨ・ラ・テンゴ聴いてたら、昔「ホーボーケン・サウンド」ってのがあったやん?と記憶を辿ってみて、出てきたのはフィーリーズ(The Feelies)です。実はヨ・ラ・テンゴを初めて聴いた時、何かギターがフィーリーズっぽいなーと思ってたんですよ。同じニュージャージー州出身で1976年結成、1980年レコードデビューですから、ちょっと先輩です。そしてホーボーケンサウンドの聖地とも呼べるライヴハウス、マッスクウェルズ(Maxwell's)で、活動を共にしてた可能性が大きいのですね。このライヴハウスはニューヨークパンクにおけるCBGBやMax's Kansas Cityみたいなものだと思います。90年代に米オルタナティヴロックの代表的なバンドが、数多く出演していたそうです。そして、クリス・ステイミーやヨ・ラ・テンゴのアルバムを出したCoyote Recordsはマックスウェルズのオーナー、スティーヴ・ファロンが作ったレーベルだったのです。要は、ホーボーケンサウンドとは音楽のスタイルではなくて、ライヴハウスに集まってきたアーティスト達によるムーヴメントだったと言うことでしょうか。それがニューヨークパンクにもそのまま当てはまるのが、また面白いところです。同じニューヨークパンクでも、ラモーンズとトーキングヘッズの音楽性は異なってましたもんね。スタイルはなんであれ、若いアーティスト達に「好きにやっちゃいなよYOU!」と、機会と場所を提供していたのがスティーヴ・ファロンってことかな?そー言えばCBGBのオカマのオーナー、ヒリー・クリスタルも、ホントは「カントリー」と「ブルーグラス」と「ブルーズ」(CBGBの頭文字ですね)が好きだったそうですし、要はやる気のありそうな子達を応援してたのですね。

Maxwell's - Wikipedia
<上記WikipediaよりMaxwell'sの外観>
maxwells.jpg



詳しくは上記Wikipedia(英語版)を見て頂くとして、この中からMaxwell'sゆかりのアーティストで、気になった名前を書きだしてみます。
The Replacements
Sonic Youth
Dinosaur Jr.
Mudhoney
The Hole
Nirvana
The Posies
The Smashing Pumpkins
G Love & Special Sauce

等々を見ると、その後のグランジやアメリカのオルタナロックに多大な影響を与えた場所とも言えそうですね。また、

Buzzcocks,
The Fall
Wire
The Pogues
Joe Jackson
Killing Joke
Kevin Ayers
John Cale
Psychedelic Furs
The Slits

等々は、イギリスではポストパンク系アーティストが目立つのも興味深いです。さらに、あのREMRed Hot Chili Peppersというビッグネームも名を連ねている事も、書き添えておきましょう。

と、大分話がズレちゃいましたが、フィーリーズのファーストアルバムは英インディーズのスティッフから出ました。メンバーには後にゴールデン・パロミノスのドラマー、アントン・フィアがいたこととか、ジャケットの写真が後にウィーザーにリスペクトされてた?とかのトリビアもありますが、私的には彼等がトム・ヴァーレイン・リスペクトのバンドらしいとこに、一番惹かれてたと思います。確かテレヴィジョンの曲をカヴァーしてたし。既に何度も書いてますが、自分史上一番入れ込んだアーティストはトム・ヴァーレイン、彼をリスペクトするアーティストは当然ウェルカム、とゆーか積極的に探し回ってましたから。

<The FeeliesとWeezerのジャケット>
Crazy Rhythms (Dlcd) (Dig)Crazy Rhythms (Dlcd) (Dig)
(2009/09/08)
Feelies

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WeezerWeezer
(1994/05/10)
Weezer

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で、そのトム・ヴァーレインに倣ってかどーかは知りませんけど、フィーリーズも寡作でした。ファーストからセカンドまでなんと6年です。Coyote Recordsからリリースされたセカンド「Good Earth」のA1だった曲「Let's Go」、今聴いてみても好きだわー、やっぱこのギターがね。


この曲は2005年、アメリカのインディーズ映画「イカとクジラ」の挿入歌になったそうです。

で、映画と言えばフィーリーズの中心メンバー二人が担当したインディーズ映画「スミザリーンズ」には、ニューヨークパンクのアイコン、リチャード・ヘルが出演してるんですよねー。トレイラーでもフィーリーズのギターサウンドが聴けます。



使用されてるのはファースト「Crazy Rhythms」の1曲目「The Boy With The Perpetual Nervousness Claves」。0:52あたりで、リチャード・ヘルの超絶カッコエエお姿も、チラッと出てきます。当然字幕無しですが、YouTubeで全編見られるようです。

インディーズ映画ばかりではありませんよ。ジョナサン・デミ監督の「サムシング・ワイルド」に出演し、The Willies名義での演奏シーンもあります。デヴィッド・ボウイの「フェイム」のカヴァーなんですけど、見事にフィーリーズサウンドしてると思います。



1992年に解散。残したアルバムは4枚と、やはり少な目ですね。2008年再結成。出世したMaxwell'sの後輩、ソニック・ユースと復活ライヴをしたそーで、 2011年には通算5枚目のアルバムを発表し、現在も活動中とのこと。ガンバ!

そして最後に紹介するのは、フィーリーズの別プロジェクトYung Wuの「Shore Leaves」というアルバムで、こちらもCoyote Recordsから発表されました。水滸伝のキャラクターから名前取ったバンド名は、ユン・ウー?ヤン・ウー?正確な発音は不明。ジャケットが中国の水兵さんらしき絵だし、狙った感がありますけど、これが大好きなんですわー。フィーリーズよりも好きかもよ。カヴァー曲が3つで、いかにもなニール・ヤング(パウダーフィンガー)と、おやっ?と思ったローリング・ストーンズ(チャイルド・オブ・ザ・ムーン)も良いですけど、一番ショーゲキ的だったのは、フィル・マンザネラの「ビッグ・デイ」ですね。オリジナルは「ダイヤモンド・ヘッド」に納められていて、マンザネラとイーノの共作。ハッキリいってオリジナルより断然こっちの方が好きっす!



そしてタイトル曲の「Shore Leave」もね。(頭髪の具合から)結構最近のものと思えるライヴ映像がありましたわ。



このアルバム、現在入手困難みたいですね。再結成フィーリーズがもうちょっと盛り上がったら、再発してくれるのでしょうか?早くリイシューして欲しいものです。



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タグ: NYパンク トム・ヴァ―レイン

テーマ:洋楽ロック - ジャンル:音楽

2013/05/28 08:45 yuccalina

ロックとファッション~ニューヨークパンクとジョニー・サンダースに纏わるエピソード

ほぼ毎週金曜日に入ってくるユニクロの折り込みチラシを見ながら、ロックTシャツがこんなに安く簡単に手に入るなんて良い時代だな、とか思ってるブログ主です。そう言えば前にもファッションの話で、昔原宿の裏通りの店とかでしか買えなかったモッズコートも今じゃ近所のRight-onで買える、なんて話を書きましたっけ。ただ、それがロック音楽でなく単にロック風ファッションが浸透してるだけで、別に根性入れて着てなかったら、ちょっと寂しい気もします。私にとってファッションは、生き方と結び付いていて、それがロックとも深く関わってきたものですから。今現在も、「Dream of Life」の頃のパティ・スミスと同じ髪型にすべく、髪を伸ばしてる懲りない人間なのさっ。

ってな訳で、ジョニー・サンダースの事を書こうかと思い立ったのは、こんなファッションアイテムがきっかけ。先日私物を整理していて出てきたのが、このシャツの襟につけるカラーチップスです。子供の頃から物を捨てるのに余り躊躇いが無い私が、態々取っておいた物には、大抵深い思い入れがあったりします。このウエスタン・ファッションのアイテムの影にあるのは、多分、ジョニーだったのではないかと思ったのです。特にウエスタンに凝った記憶は全然ないのですが、彼がこの手のスタイルをしてたなーと。ジョニーが実際にカラーチップスをつけてる写真は、残念ながら見つからなかったのですが、大きなバックルのウエスタン調のベルトとか、愛用してましたよね。そう、私にとってカラーチップスは、ウエスタンアイテムでなく、ロックアイテムなのでありました。

fashion11.jpg

ちなみに、左下のは旅先のロンドンで買ったもの、右下はどこかのアパレルブランドのもの、そして、上段の2品はどこか裏原宿(私の時代にはそんな呼び方なかったけどね)の店で購入しました。ただし、それはピンクドラゴンではなかったと思います。

しかし、私はこのカラーチップスを買ったものの、あまり頻繁には身に着けた記憶がありません。それは多分ジョニーの音楽と自分との距離感に関係していそう。私はこのブログの中で、パティ・スミストム・ヴァ―レイン、リチャード・ヘルについて書いてきましたが、私にとってジョニー・サンダースって、やはり“トム・ヴァ―レインが率いたテレヴィジョンの元メンバーだったリチャード・ヘルと一緒にハートブレイカーズを結成した人”でした。先ずはトム・ヴァ―レインありきで、彼の音楽にドップリ浸かったしていた訳ではなかったのでしょう。それでいて、どこか不良に憧れるように、ファッションは真似してみたかったのかしら?トムはいつもヨレヨレのTシャツにジーンズだったから、真似しようがなかったのも事実。対照的にジョニーはいつも襟の付いたシャツを着て、首もとにスカーフ巻いたりしてましたっけ。

等と思い出に浸りつつ、さらに持ち物チェック。ROIRというNYパンクのカセットをリリースしていたレーベルがあったのですが、私が所有してるのは下の3本でした。

roir.jpg

左から、現在ではCD化されているテレヴィジョンのライヴ、NYパンクのシングルを集めたコンピレーション、そしてリチャード・ヘルの未発表曲集。やっぱニューヨークドールズも、ソロになってからのジョニーのカセットも持っておりませーん。同時代に同じ場所(CBGBやMax's Kansas Cityとか)で活動していましたけど、トムとジョニーではファッションだけでなく、音楽性も何気に違ってましたよね。

、、てな具合に、魅かれつつも浸りきれなかったジョニー・サンダースではありますが、私が一番ハマったアルバムは全編アコースティックの「Hurt Me」でした。タイトル曲がリチャード・へルとの共作、というのも大きなポイント。ここでも、私にとってのジョニーはやはりテレヴィジョン繋がりだったんですよね。シド・ヴィシャスに捧げた「Sad Vacation」やP.F.スローンのカヴァー、「Eve of Destruction」も大好きでした。原曲が聴きたくて、スローンのアルバムまで買いましたから。全体を通して、物悲しいメロディと歌声にグッときたのです。その次によく聴いたのが、同時期リリースの「In Cold Blood」だったでしょうか。ブッカ―T&MG'sのカヴァー「Green Onion」が格好良いなーと好きになり、何年か後に映画「ブルースブラザーズ」を見て、作者のスティーヴ・クロッパーの事を知ることになりました。という意味でも、ブルーズの入り口になった結構重要なアルバムであったかもしれません。

<この動画ではカラーチップス付けてますね!>




さて、私がたった一度だけ見たジョニーのコンサートは、1986年7月7日の日本青年館ホール。記憶にずっと残っていたのが、会場に流れるコーザノストラのBGMとともに、メンバーが登場したオープニングと、バンドメンバーを下げて、ジョニーが一人アコースティックセットで弾き語りしてくれた場面です。

<半券が残ってるので行ったのは間違いない>
IMG.jpg

きっと「Hurt Me」 への入れ込みが強すぎたのでありましょう。私は自分の好きな「Hurt Me」「Eve of Destruction」と「Sad Vacation」の3曲を、そのライヴで聴いたとずっと思い込んでいました。今回のエントリを書くにあたり、そのライヴについてブログで書かれてる方を見つけ、ライヴ音源をお持ちということなので、コメント欄で質問してみたことろ、何とどれも演奏してなかったんですよね。人は忘れる生き物ですなー。このように記憶がかなり曖昧なのも、正直なところ、ジョニーの入れ込み方が半端だったからでしょうね。信奉者の皆様ごめんなさい。

この勘違いの裏には、アルバム「Hurt Me」が好き過ぎたことと、もう1つ原因がありそうです。ジョニー来日の86年から88年の間に見た、NYパンク絡みのコンサートを下に揚げてみますね。

87年3月 スーサイド(ライブイン)
87年5月 トム・ヴァ―レイン(よみうりホール)
88年3月 ジョン・ケイル(PARCO劇場)
88年5月 レニー・ケイ(六本木インクスティック)
88年9月 ジョナサン・リッチマン(クラブクアトロ)

トム・ヴァーレインに関しては、元々扱いが別格でした。出待ちして握手してもらったり、雑誌の記事等の記録もちゃんと残っています。その他では、ジョン・ケイル、レニー・ケイ、ジョナサン・リッチマンの3組には共通点があります。それは、会場が小さかったことと、皆サポートなしの完全に単独のパフォーマンスだったことです。唯一、レニー・ケイのライヴでは、アンコールで客席にいた鮎川誠が飛び入りする場面がありましたけど。兎に角、たった一人の舞台で、生身の人間が作り出す各々の音と歌に、心が揺すぶられたのでした。ジョニーの公演でも、一人でやった部分が強く印象に残ったのは、多分この3アーティストのパフォーマンスに引き摺られたところがあったのだと思います。上の半券を見るとジョニーのライヴん時の席はJで前から10列目。結構近くで見たのは確かですが、日本青年館は結構な広さのハコだったのにも関わらず、私の記憶では何だかどっかのライヴハウスで見てた感じになっちゃってました。

とか何とか、色々と言い訳を書きつつも、久しぶりに「LAMF」なぞ聴いてみましたよ。きっと「Born Too Lose」や「Chinese Rock」でノリノリだった筈でしょー?とばかりに、記憶を辿ってみよーかと。んー、しかし、私がやっぱ一番好きな曲は「I Wanna Be Loved」だなー!何故って、NYパンクのドキュメンタリー「Blank Generation」のエンディングで鳴り響いてたのがこの曲なんだもーーん。ってやっぱりここでもトム・ヴァ―レインとテレヴィジョンありきの思い出みたいになっちゃって、ジョニー信奉者の皆様、重ね重ねすみませーーん。



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しかし、このタイミングで知ったのですが、「Hurt Me」の国内リマスター盤が6月15日発売だそうですね。1983年にロンドンで行われたプロモーションライヴのCDがオマケで付いてて、そこには私が勝手に想像してた曲「Eve of Destruction」なぞも入ってる模様。買おうかしらー、悩むわーー。ついこの間、あのカラーチップスを見るまでは、ジョニーのことなんてすっかり忘れていたのに。余りにタイミング良すぎて怖いです。

ハート・ミーハート・ミー
(2013/06/15)
ジョニー・サンダース

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ところで、カラーチップスって、一応ファッションアイテムとしてはまだ生き残ってるみたいですね?取扱いしてるネットショップもあるようで、、。折角なんで、手持ちのシャツに付けてみましたよ。

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前立ての両サイドに付いた、断ちっぱなしの布を重ねたモチーフが、ワイルドでちょっとジョニーっぽくなくなくない?流石にピッタリのパンツとかでロッカー風着こなしは厳しいですが、逆にスカートと合わせたらまだイケるかも?と、勝手に喜んだところでおしまいにしたいと思います。


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タグ: トム・ヴァ―レイン NYパンク 80年代 60年代

テーマ:洋楽ロック - ジャンル:音楽

2013/03/15 08:05 yuccalina

70年代ロックの話その(1)~フォーエヴァー・ニール・ヤング

久々に音楽の話題を。1970年代のロック話は、ニール・ヤングから始めることにしました。バッファロー・スプリングフィールドやファーストソロなど、彼の音楽活動は既に60年代から始まっていますが、やっぱりニール・ヤング70年代のアルバムが好きです。70年代限定のディスコグラフィー及び私が現在所有してるCDは下記の通り。

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1970年 アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ After The Gold Rush
1972年 ハーヴェスト Harvest

1972年 過去への旅路 Journey Through the Past
1973年 時は消え去りて Time Fades Away
1974年 渚にて On The Beach
1975年 今宵その夜 Tonight's The Night
1975年 ズマ Zuma

1977年 アメリカン・スターズン・バーズ American Stars N' Bars
1978年 カムズ・ア・タイム Comes A Time
1979年 ラスト・ネヴァー・スリープス Rust Never Sleeps
1979年 ライヴ・ラスト Live Rust

(赤字が私の所有してるCD)

「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」が1970年発表なので、厳密には70年代に入らないのかもしれませんが、その辺の細かいとこはスルー。1989年4月に来日(アルバム「フリーダム」の発売に合わせたツアーだったかも)した時は、私もNHKホールで見ましたよ。その時も盛り上がったのは、やはり70年代の曲だったと記憶しています。

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また、1993年「ミュージックマガジン」の投稿欄で採用の謝礼に貰ったテレフォンカード(上の画像)も大切に取ってあるし、ニール・ヤングへの思いは一過性のものでは終わりませんでした。今でも彼の曲を聴くことは多いです。実はつい最近も鈴木常吉さんの音楽を聴いて後で、急にニール・ヤングも聴きたくなりました。何故なんでしょうか?声が裏返ったり音程が不安定な歌唱がやけに心に残るこの感じ、似てなくもないのかしら?いや、多分それはどこか人間が透けて見えるような、飾らない剥き出しの音楽に、ブルーズやソウルと通じる何かを感じたのかもしれません。以前、ブラックマヨネーズ、吉田敬の話で引き合いに出したことがあるのですが、早川義夫の本に書かれた言葉が、頭を過ってきました。

「音楽は、うまさやへたさを伝えたいわけではない。」
早川義夫「たましいの場所」とブラックマヨネーズ吉田敬

詳しく知りたい方は是非上記エントリーをご覧頂くとして、私はそこで、お笑いの世界でも上手さしか感じられないのでは、物足りないと書きました。そして、ブラマヨ吉田が「漫才でもトークでも出したいのは自分の人間性」と言ってたのが、早川義夫みたいだなと思ったのでした。油断すると、直ぐに話がお笑いに逸れてすみません。それで、話はニール・ヤングでしたね。

そのヨレヨレな歌唱が頂点に達した「今宵その夜」から「メロウ・マイ・マインド」。酔っぱらって泣き崩れてるんか?とも思えるこの歌を白けて聴くも、涙腺崩壊で聴くもアナタ次第な訳ですが、私は勿論後者。



思えば、私が初めて聴いたニール・ヤングの曲は、ロキシーミュージックがカバーした「ライク・ア・ハリケーン」。ロキシーが1983年の来日公演でも演奏してました。当時は英国ロック至上主義っぽかった私でも、ニール・ヤングってアメリカ(本当はカナダ出身)のくせにカッコ良くね?と思う一方で、私が唯一認めてたアメリカもの、ニューヨークパンクのトム・ヴァーレインともどっか似てなくない?と言う取っ掛かりで、いつの間にかスッカリ虜になっていたのです。

因みに「ライク・ア・ハリケーン」のスタジオ版が入った「アメリカン・スターズン・バーズ」は、レコードで持ってましたが、CDで買い直すの忘れていた模様。多分「ライヴ・ラスト」にライヴバージョンが入ってるんで、もういいやも思ったのかもしれません。あともう一枚買い足すならば、断然「Time Fades Away」なのですが、何故か現在は入手困難になっている模様。Amazonでは、約3万円の高値で出品されています。



このアルバム冒頭のタイトル曲は、カセットに落としては、テープが伸びちゃうくらいリピートして聴いたものです。今じゃYouTubeで簡単に聴けちゃいますけど、何故かこれはCDで欲しいんですよね。

「テル・ミー・ホワイ」「ハート・オブ・ゴールド」「カムズ・ア・タイム」等といったアコースティック曲は、私も密かにギターでコピーして、歌ってたりしてました。後にトム・ヴァーレインと同じエレキ、フェンダー社のジャズマスターを買った時は、「マーキー・ムーン」とかと一緒に、アルバム「ズマ」の曲をコピー。A面一曲目の「ドント・クライ・ノー・ティアーズ」がお気に入りでした。



こうしてみると、やっぱりニール・ヤングの音楽とは、昔からずーっと仲良しだった気がします。マーティン・スコセッシ監督の「ラスト・ワルツ」も見たし、ビデオ版「ラスト・ネヴァー・スリープス」も見ました。

<映画「ラスト・ワルツ」より「ヘルプレス」>


人と視線を合わせられない彼は、やはり発達障害傾向の御仁だと思うのですが、自身がてんかんを持っていること公表しています。また、障害のある子供がいて、義援活動をしていることは後になって知りました。ですから、私自身が自閉症児の母となった時には、妙な縁を感じてし待ったものです。やはり、元々何か自分と通じるものを感じて、惹かれたのかもしれません。因みにバッファロー・スプリングフィールド、CSN&Yの仲間であったスティーヴン・スティルスにはアスペルガー症候群の息子がいて、ビデオドキュメンタリーに親子で出演してるそうです。

ところで、私より下の世代になると、グランジのアーティスト達がリスペクトしてることで、ニール・ヤングに興味を持った人達が多いみたいですね。私はその真逆でニール・ヤングを通してグランジを知ったパターンです。ソニック・ユース等が参加したトリビュートアルバム「Bridge」も聴きましたが、残念ながら、ニール・ヤング程夢中になったアーティストは見つかりませんでした。

Bridge: Tribute Neil YoungBridge: Tribute Neil Young
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私にとってはいつまでも「ハート・オブ・ゴールド」を探し続けるニール・ヤングの歌が、心から離れていく事はないと思っています。この歌の歌詞は、今や私の人生のテーマソングと言って良いかもしれませんわ。



金色に輝く心を探し続けて、年を重ねていく

と歌っています。上の動画は1971年の映像ですが、ポケットからブルースハープを何本も取り出して確認する姿も、何だか和みますわ。20代のニールにとっては、若しかしたら愛する人に捧げた歌ラヴソングだったかもしれませんが、受け取る人によって様々な深い意味をもたらす素敵な歌だと思います。彼は今も現役ですが、私にとってはやはりこの頃のニールが一番好きなんですよね。んな訳でタイトルも、Forever Youngにしてみた次第です。


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タグ: ニール・ヤング トム・ヴァ―レイン 60年代 70年代

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