プロフィール

yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(14才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

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ユッカリーナのヨガ的雑記帳


2015/09/28 09:40 yuccalina

『Dancing in the Street~R-E-S-P-E-C-T』前編~モータウンのマナー講師、振付師&リズムセクション

かねてより思っていたのですが、イギリス国営放送BBCのドキュメンタリー番組には、秀逸な作品が多く、以前タップダンスの話で引き合いに出したニコラス兄弟『華麗なるタップ人生』(記事はコチラ)もBBCのドキュメンタリーでした。そして、『黄金のメロディ マッスルショールズ』の記事(コチラ)で少し言及した『Dancing in the Street』は、ブルース、ロック、グラム、プログレからパンクまで音楽の歴史を辿るアーカイブで、私が今一番揃えたいシリーズでもあります。

しかし、何と本国イギリスでも、未だにDVD化されてないらしい。私がVHSで持ってたのはソウル、ファンク、パンクの3本だけなのですが、取り合えずDVD化祈願も兼ねて、紹介して行きたいと思います。また、YouTubeではこのシリーズの動画が色々とアップされてますので、いずれはヒアリングのトレーニングも兼ねて、未視聴分を見て紹介できたらなと思っております。

Dancing in the Street "R.E.S.P.E.C.T" - Amazon UK
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と言うわけで、先ずはソウル編『R-E-S-P-E-C-T』ですが、作品自体も大まかに、モータウンとスタックスを中心としたサザンソウルの二つに分かれてますので、記事も前後編に分けたいと思います。



ですから、今回はモータウンのお話。1:50から流れる説教をしているのは、アレサ・フランクリンの父クラレンスで、そこからゴスペルをポップスの世界に持ち込んだレイ・チャールズが登場。ゴスペル~ソウルの流れをざっと紹介した後、話題はモータウンに移ります。上の動画の4:30辺りからになります。60年代の半ばのアメリカで、ビートルズを筆頭に押し寄せてきたブリティッシュ・インヴェージョンに対抗する一大勢力として、自動車産業の町デトロイトに誕生した独立系(インディーズ)のレコード会社がモータウンであります。創始者のベリー・ゴーディーは元々ジャズファンで、ジャズレコード店の経営に失敗後、友人のビリー・ディヴィスと共作した『ロンリー・ティアドロップス』をジャッキー・ウィルソンが歌い、ヒットしたのを切っ掛けとして、レコード会社を設立しました。そして、

スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ
テンプテーテションズ
フォートップス
マーヴェレッツ
スプリームス
マーサ&バンデラス
マーヴィン・ゲイ
スティーヴィー・ワンダー
ジャクソン5

等々全部書き出してたら、また記事が長くなっちゃうよ。ってなくらい数多のスターとヒット曲を世に送り出すのです。

今でこそ、それらがパッパと頭に浮かぶブログ主ですが、このビデオを初めて見た90年代はピッカピカの若葉マークでした。以前紹介したアメリカのドキュメンタリーシリーズ『ヒストリー・オブ・ロックンロール』のソウル編(記事はコチラ)と共に、これが私のソウル入門書となりましたが、当時は全く気がつかなかったことは、結構ありますね。中でも私が注目したのが、やはり公民権運動の問題ともう1つ、モータウンに専属のマナー講師がいた(動画パート2の3:25~)、と言うことなんです。



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これは、先日紹介したばかりの映画『大統領の執事の涙』(記事はコチラ)と非常に密接な関係が、、。

あの映画の中でキング牧師が言った言葉、

「執事は立派な職業だ。彼らは勤勉に働くことで、紋切型の黒人像を変えた。高いモラルと威厳ある振る舞いによって、人種間の壁を崩していった。執事やメイドは従属的と言われるが、彼らは戦士なのだ」

を聞いたとき、私が真っ先に思い浮かべたのが、モータウンのマナー講師マキシーン・パウエルだったのです。ビデオの中で語られることはありませんが、彼女が行儀作法を身に付けたのは、上流の白人家庭かホテル等でメイドをしていたのでは、と想像に難くありません。

モータウンのアーティスト達には、低所得者層の出身で、学校もろくに行ってない若者が多かった。パート1の6:57に、Brewster(ブルースター)と言う道路標識が写りますが、そこは低所得者用の公営住宅がある町で、差別の酷い南部からやってきた黒人が多く住んでいました。スプリームスのメンバーもその公団で育ったそうです。そんな彼女等&彼等に、行儀作法を教えたのがパウエルさんだったのですね。話し方に立ち振舞い、歩き方、マイクの持ち方に感じの良い微笑み方までを、徹底的に仕込んだ。そして白人客が集まる高級なクラブに出しても恥ずかしくないレディ&ジェントルマンに育てたのです。

そうした徹底管理は後に、モータウンは余りにも洗練され過ぎで人工的、と飽きられる原因になったのかもしれませんが、黒人アーティスト達が白人の聴衆にアピールするのに、モータウンが果たした役割は非常に大きかったと思うのです。先のキング牧師の言葉の通り、モータウンのアーティスト達も同様に”紋切型の黒人像を変え”、”高いモラルと威厳ある振る舞いで人種間の壁を崩した”のは、確かではないか。白人社会の価値観に寄り添いながら、自分たちの色を少しでも出して行って、黒人音楽の扉を開いたアーティスト達は、従属的だったのではなく、戦士だったのだ。と私は思ったのであります。

そして今1人、モータウンアーティスト達をスタイリッシュな男女に変えた功労者が、振付師のチョリー・アトキンズで、パート2の5:56に登場。1913年生まれですから、この時既に80歳くらいだった筈ですが、ステップも身体のキレも健在。カッコイイおじいちゃんですね。先の『ヒストリー・オブ・ロックンロール』ソウル編の記事でも話題にしたのですが、チョリーは既に30年代からタップダンサーデュオ”コール&アトキンズ”として、白人聴衆の前でステージを務めていた方ですから、いわゆる白人好みの振付けは、お手の物だったのかもしれません。

一方、公民権運動に関してですが、チトリン・サーキットの話題で出てきたのが、マーサ・リーヴスの「94日のツアーでホテルに泊まれたのはたったの3晩だけ」と言う告白。レコードのチャートを賑わすスターであっても、アメリカ南部へ行けばホテルに宿泊拒否をされ、狭いバスで寝起きしていたと。

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バックミュージシャンだったトーマス・ビーンズ・ボウルズは、フリーダムライダースの話もしてました。

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ライダース達は人種隔離された休憩所を使おうとして、地元住民から袋叩きにあったりしてた訳ですから、モータウンのバスツアーの面々も、酷く警戒をされていたと。本当に大変な時代を過ごしていた訳ですが、そんな風に白人社会に虐げられても尚、威厳を持って白人社会のマナーに従ったアーティスト達は、やはりキング牧師のいう通り、立派な戦士だったんだと思います。

ところで、このR-E-S-P-E-C-Tを見て、BBCが凄いなと思ったのは、モータウンのリズムセクション、ファンク・ブラザーズに言及していたところ。

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モータウンの快進撃にはアーティスト、ソングライターの力量もさることながら、ファンクブラザーズの力も大きかったと。社長ベリー・ゴーディーは元々ジャズファンでしたから、通っていたジャズクラブで腕利きのミュージシャンをスカウトしていたそうです。

そう言えば、マッスルショールズで「アレサ・フランクリンの代表的ヒット曲、I Never Loved a Man the Way I Love You『貴方だけを愛して』はデモテープを聴いた時は、ゴミみたいな曲だった」とスタジオミュージシャンが語っていたのを思い出しました。モータウンに於いても、曲を活かしたり、生まれ変わらせる名アレンジをしたのは、スタジオミュージシャン達だったのでしょう。テンプテーションズ『マイ・ガール』の超有名なギターイントロは、ファンク・ブラザーズのギタリスト、ロバート・ホワイトが作ったと、今ではウィキペディアにも載っているくらいですが、ファンク・ブラザーズの存在が広く知られるには、まだ時間がかかりました。

本国アメリカのドキュメンタリー『ヒストリー・オブ・ロックンロール』の中では全く名前も出てきませんでしたからね。このDancing in the Streetのビデオが出たのは1996年ですが、後にファンクブラザーズがフィーチャーされたドキュメンタリー映画『永遠のモータウン』が公開されたのはその6年後、2002年になります。この映画については、また別の機会に詳しく紹介するつもりです。

と言ったところで、最後にモータウンとは関係ない話ですが、気になったシーンを1つ。パート1の1:28あたりで映った、ビートルズに熱狂する女子のプラカードが気になりました。

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「Elvis is Dead(エルヴィスは死んだ)」

ってデカデカと書いてるところに、若さゆえの残酷さを感じますたわ。プレスリーまだ死んでないよって、この頃は。いやね、ビートルズが好きなのをアピールするのは別に構わんけど、わざわざエルヴィス下げしてるとこがどうなの?つまり彼女にとってはビートルズ云々よりも、それまでのロックンロールキング・エルヴィスを敵視し、既成の価値観に反抗することの方が重要だった。これが若さであり愚かさでもあるのだわ。

なーんて思ったのです。これは後に、セックス・ピストルズをプロデュースしたマルコム・マクラレーンが作ったLoves and Hates Tシャツと同じコンセプトだな、と気が付いたのですわ。

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パンクスから嫌われてたのが、エマーソン・レイク&パーマー、ミック・ジャガーにブライアン・フェリーかあ。ま、敵として名前を上げられることは、ある意味名誉でもありますけどね。それだけ価値を認められてる、影響力がある裏返しな訳ですから。また、ザ・クラッシュがレゲエやダブに接近する以前に売られてたTシャツだ思いますが、ジャマイカが既にクールなものの代表だったのが興味深いところ。

好きなものだけ言ってれば波風立たないのに、わざわざ批判したり、嫌いだと主張して波風立てたい、ってのは良く言えば若々しく、悪く言えば幼稚、と表裏一体な訳ですね。自分自身も10代の頃は、そういうところがあったかもしれません。

と、話が変な方向に行ってしまいましたが、『R-E-S-P-E-C-T』後編はスタックスレコード及び、マッスルショールズ(FAMEスタジオの方)で録音したアーティスト達のお話になります。上の動画パート2の最後の方で、既にブッカーT&MG'sとウイルソン・ピケットが登場してますが、詳しくは次回ということで。



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2015/08/20 12:20 yuccalina

思い出の『マイ・ガール』~ニッポン歌謡とソウル・ミュージックの関係

最近、音楽ドキュメンタリー『ヒストリー・オブ・ロックンロール』のビデオをちょくちょく見直しています。アメリカのTIME・LIFE誌ワーナーブラザーズの製作で、1995年にVHS全10巻で発売された時に、私はまとめて購入していました。現在ではDVDに落としたものが手元にあるのです。その全10巻の内、頻繁に見ているのがVol.1のロック誕生。ここ数年ブルースにハマってることもあり、ニュー・ポートの舞台で踊りながら歌うマディ・ウォーターズが、超カッコよく見えたり。そして、もう1本がVol.5の『The Sound of SOUL』なんです。

私にとっての90年代は、ワールドミュージックを軸にルーツ音楽にもかなり接近した10年であったのは、このドキュメンタリーを見たのが結構影響していたと思います。その下地として、80年代のポストパンク時代から、ソウルのカバー曲を色々と聴いてた、というのもありますが。例えば(カッコ内はオリジナルのアーティスト)、

ロキシー・ミュージック 『ミッドナイト・アワー』(ウィルソン・ピケット)
ジャパン 『 セカンド・ザット・エモーション』(スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ)
ザ・スリッツ 『悲しいうわさ』(マーヴィン・ゲイ)
ザ・レインコーツ『ランニング・アウェイ』(スライ&ザ・ファミリー・ストーン)


等々、ほんの一例に過ぎませんが、60年代のソウル音楽がどれだけイギリスのアーティスト達に影響を及ぼしていたのか、徐々に分かり始めた頃だったんですね。

そんな時代に見たソウル音楽のドキュメンタリーは、60年代のアメリカでビートルズ及びブリティッシュ・インヴェイジョンに十分対抗出来た一大勢力の魅力を十分に伝えるものでした。フィーチャーされたアーティストは、ジェームス・ブラウン、サム・クック、ジャッキー・ウィルソン、レイ・チャールズ、ウィルソン・ピケット、オーティス・レディング、アレサ・フランクリン。そして、モータウンからシュープリームス、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ、テンプテーションズ、マーヴィン・ゲイ、ジャクソン5等々。最後にフィリーソウルからオージェイズと言ったところ。60年代のモノクロ映像に混じって、90年代当時のアーティスト&関係者へのインタビューも多数。当時は全く気に止めなかったものですが、当然あのジェリー・ウェクスラーも登場。フィリー・ソウルの大御所プロデューサー、ギャンブル&ハフのレオン・ハフが、行列に並んでジェイムス・ブラウンを見に行った、なんてエピソードも。レイス(人種)レコードと呼ばれてたことや、公民権運動との関わりも語られ、ソウル入門編としても、非常に良いビデオだと思います。

って、、何を隠そう、私はこれでソウルに入門したようなものですから。中でもモータウンサウンドはやはり耳馴染みが良く、直ぐに好きになりました。

んで、90年代中頃、私は職場の洋楽好き仲間で、仕事帰りカラオケに良く行ってました。当時流行りのTKサウンドは全くノーサンキューな面々の中、私はピストルズの『アナーキー・イン・ザ・UK』の後で、シュープリームスを平気で歌ったりしておりますたわ。中でも、一番のお気に入りがテンプテーションズの『マイ・ガール』であったと。



この曲をカラオケで歌って、何が楽しいかっちゅーと、

まいがーる、まいがーる、まいがーる、とーきんばーうと、まーいがーー

のコーラスを皆で順番に歌うんですね。勿論、フリ付きでね。

そう、この曲は振り付けも楽しい。ジャクソン5程激しくも速くもないし、腕を組んだり、広げたり、脚をクロスしたり、がピッタリのタイミングでハマると、素人でも中々カッコ良く決まるんですのよ。

ヒストリーでも紹介されてる、ホール&オーツとのコラボをご覧頂ければ、その楽しさが更に良く分かるかと思います。



気合い入りすぎのダリル・ホールが遅れそうになって笑っちゃったけど~。これは、1985年6月、アポロシアター再開式典でのパフォーマンス。ホール&オーツの二人が矢鱈楽しそうなのが良いですのう。実を言うとワタクシはそれまで、この二人をただの軽薄なポップデュオくらいにしか思ってなくて、大変申し訳なかったと、この時反省したのでした。

更にもう一つYouTubeで拾った動画は、1989年テンプテーションズがロックの殿堂入りした際のパフォーマンス。



一番幅を利かせてるのがリトル・リチャードでしょうか?横ではミック・ジャガーとティナ・ターナーがマイクの取り合いをしてたり、バンドにはスティーヴィー・ワンダー、キース・リチャーズ、ロン・ウッド、ピート・タウンゼントの姿。ベン・E・キングがダンスしてる相手はアニタ・ベイカーかな?リトル・リチャードの左後ろっつーか、ロン・ウッドの左側が、どうにもルー・リードに見えてしまうのですが、どうでしょう?不似合な気がして、、、誰だか気になる。赤いジャケットで目立ってるのは、もしやポール・シェイファーかしら?スティーヴィーの隣でキーボードを弾く姿もあるから、多分そうだと思います。ブルース・ブラザーズ2000ではスキンヘッドにしてたけど、この頃はまだ髪が残ってたのね、と私が確認できたのはこれくらい。その他、お気付きの方は教えてくださいませ。

と、この様に、みんな大好きマイ・ガールは、プロが大人数で歌っても盛り上がるぞ、の証拠VTRとして貼っておきますです。

で、マイガールの後は、『ゲット・レディ』に突入するのですが、このイントロって、クリームの『サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ』みたいですね。そっか、クラプトンもやっぱモータウンをお手本にしてたのか?

さて、テンプテーションズにしろ、ミラクルズにしろ、モータウンのコーラスグループって、歌ってる時の振り付けが、どれもスタイリッシュでカッコいいなー、と当時感じたからこそ、カラオケでマネなぞしてた訳ですが、それと同時に

日本の歌謡曲って、振付も皆モータウンのパクリじゃね?

との疑問が沸いたのは、当然の結果でありましょう。振付も、と敢えて書いたのは音楽的にもパクリが横行してたからでして、フィンガー5『学園天国』のヘーイヘイヘイが、ゲイリー・US・ボンズ、太陽に吠えろのテーマ曲のイントロがシュープリームスだとかコチラで紹介したことがあります。まあ、探せばいくらでもあるんですね。

ですから、昭和歌謡の歌手達の身振り手振りもまた、モータウンを中心とした洋楽のパクリであっても、何ら不思議はないのです。特に4~5人編成のコーラスグループ、と言えばフォーリーブスでしょうか。やっぱテンプテーションズやミラクルズ、フォー・トップス辺りをパクったんでしょかねえ?フィンガー5なんかはグループ自体がジャクソン5を意識してるのがモロですしね。ちなみに、私が振りを練習して、カラオケでマネしたかったジャクソン5の曲がコチラ。



しかし、これには流石に着いてきてくれる人はおりませんですたわ。出来たら絶対楽しいと思うんですが。

ちなみに私はフォーリーブスの踊りをカッコいいとは、余り思ったことがないんですが、似たような動きをしても、モータウンのアーティスト達がやると全然違うもんだなあ、と感心することしきり。

で、これらのかっちょええ振り付けをしたのは、モータウン専属のコリオグラファーにして、往年のタップダンサー、チョリー・アトキンズ。1930年代後半からコール&アトキンズ(背の低い方がチョリーです)というコンビで活躍してるので、ニコラス・ブラザーズと時代はダブってますね。



でも、ニコラス兄弟よりもオサレで洗練された雰囲気がウリだったのかな?黒人タップのワイルドで、ファンキーなとこは極力抑えてるイメージでして、それがモータウンの洗練された振付けと重なるのも、また面白いところ。

とか、書き始めるとまた長くなるので、チョリー・アトキンズについては別の機会に改めて書きますね。

最後は、昭和歌謡の洋楽パクリを牽引してきた偉大なる作曲家について少し書いておきます。それがあの筒美京平先生な訳ですが、1997年作曲家デビュー30周年記念にリリースされた8枚組CDセット(正確には4枚組2セット)を、私はなじぇだか持っているんです。それまで、歌謡曲のCDは1枚も持ってなかったのですが、これは、買っておいた方が良いのでは?と直感的に思ったんですね。

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で、フタを開けてみれば、ブックレットには山下達郎や細野晴臣のインタビュー、矢野顕子のコメント等々、自分の好きなアーティストが沢山、筒美京平先生と関わっていたことが判明しました。こちらも、そろそろ真面目に聴き直してみなくちゃね。で、いつかこのブログにも何か書きたいと思っておりますが、取りあえず今回はイントロがグラディスナイト&ザ・ピップス『イマジネーション』のパクリと言われているリンリンランラン『恋のインディアン人形』だけ紹介して終わりたいと思います。




今ではこういうのを「引用」って言うのかしら?


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タグ: ソウル 60年代 タップダンス

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2015/07/16 09:19 yuccalina

『グローリー/明日への行進』を見た!と『The 60's 公民権運動』のこと

先週日比谷シャンテにて、遂に『グローリー/明日への行進』を見てまいりました~!マーティン・ルーサー・キングJr.牧師を描く、初めての映画です!と、大興奮なのには理由があります。

マーティン・スコセッシの『The BLUES Movie Project』に始まり、『黄金のメロディ マッスル・ショールズ』『ブルース・ブラザーズ』『オー・ブラザー!』『Ray』『フリーダム・ライターズ』、『コーマン帝国』における『侵入者The Intruder』等々、これまで数々の音楽ドキュメンタリーやノンフィクション&フィクション映画の中で、アメリカ黒人音楽の歴史と公民権運動にまつわる映像を色々と見てきた、私にとっては正に絶妙のタイミングでの日本公開でしたから。こりゃあ久々に来ましたよ。私の脳内ジャニーさんがが、、、

見に行っちゃいなよYOU!

って、囁きではなく、シャウトで幻聴がしてしまったと。

脳内ジャニーさんは頻発しすぎると、タダの言い訳になっちゃうので、最近は自粛しておりましたのよ。

とか言う個人の事情はさておき、映画見に行った後で、CNNのドキュメンタリー『The 60's 公民権運動(A Long March to Freedom)』もまた見直しましたので、合わせてそちらについても書きたいと思います。そして、『グローリー』については、ネタバレがありますので、まだ知りたくない方はご注意の程を。今回はかなーり長ーーい記事になりそうです。



先ずは『グローリー』の原題ですが、Selmaセルマというアラバマ州の町の名前になっております。南部で黒人の投票率が最低の町だった為、抗議デモ行進のスタート地点に選ばれた場所です。そこから、州都のモントゴメリーまで歩いて行く、『セルマ大行進』が映画のハイライトとなっています。時は1965年3月。「私には夢がある(I have a dream)」で有名なワシントン大行進が1963年8月28日ですから、それから約1年半後のお話。映画の最初の方に出てきたバーミングハム(アラバマ州)の教会爆破で、幼い子供が4人死亡する事件は、ワシントン後に公民権法が成立して、間もなくのこと。公民権法に対する、白人至上主義者の報復だったんですね。

ワシントンとセルマの行進、どちらも公民権運動の重要なターニングポイントなんですが、ザックリ言いますと、ワシントンでは黒人の選挙権そのものを認める『公民権法』、セルマではその選挙権が正当に行使出来る体制を整える為の『投票権法』が成立します。最初の公民権法により、法律上では黒人に選挙権は与えられたものの、南部では実際の選挙登録が遅々として進まなかった。それは、

人頭税を支払わなくてはならない
保証人を2人つけなくてはならない

等と言う、黒人にだけ難題を押し付ける州法が、南部にあったりしたからなんですね。さらに、

わざと間違った登録日や時間を教えるとか、絶対に答えられないような質問をして却下とか、役人(勿論すべて白人)が登録を認めないような嫌がらせをするのも、当たり前だったそうな。映画のオープニングは、黒人のおばちゃんアニー・リー・クーパー(オプラ・ウィンフリー)が「裁判官60人の氏名を全部言え」と迫られて、絶句するシーンから始まりました。あと、黒人が選挙権登録すると、「新聞に住所氏名が載せられて、KKKにリンチされた。だから皆怖がって、登録しようとしない」なんて話も出てきました。

そこで黒人が選挙権を行使出来るように、法をちゃんと整備してくれや~!と訴えたのが、この「セルマの大行進」だった訳です。以下の画像はCNNドキュメンタリーから。

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行進は3月7日の日曜日に、エドムンド・ペタス橋において、アラバマ州警と保安官ジム・クラーク(KKKを警察にリクルートしてたとの噂)及び彼の私設警備団(こっちは100パーKKKですよね?)が行く手を阻み、丸腰の運動家達に、催涙ガス巻いて殴る蹴るの悪行三昧。

(右手前に映り込んでいるのは、報道関係者と思われます。)
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これが後に『血の日曜日(Bloody Sunday)』と呼ばれる事件です。全米のTVで放送され、勿論世界中にニュース映像が配信されました。その2日後、9日の火曜日に再び行進を試みるも、キング師の判断で引き返します。人々を危険に晒すことを怖れた為でした。しかし、この引き返した参加者の中から、白人の被害者が出てしまいます。ボストンから参加していた牧師さんが、暴徒に襲われて、亡くなってしまう。自分の責任を痛感しつつも、何とか平和的な行進が出来るよう、政府に保護を求めます。3月15日、セルマでの血の日曜日事件を受けて、ジョンソン大統領は上・下両院合同会議の場で演説をします。

「米国民全員が偏見と不公平というと言う負の遺産を克服すべきだ」と言い、最後に

「We shall over come.我らは打ち勝たん」

と、結びました。裁判所からのデモ行進の許可も下り、17日キング師が行進の再開を宣言。21日には75キロ先のモントゴメリーに無事到着し、25日の演説で映画は幕を閉じます。バックに流れる、ジョン・レジェンド&コモンによるテーマ曲『グローリー』にもグッと来ました。




で、その最後の演説のことなんですが、何と、実際のものとはちょっと違うらしいですね。後で知ったんですが、映画評論家の町山智浩さんが、こちらで詳細を語っておりました。




なるほど、これで合点が行きました。あの有名な「I have a dream」が一切出てこなかったのは、著作権の問題があったからなんですね。演説自体を変えてしまうという、実に意欲的なチャレンジについては、若き女性監督、エイヴァ・デュヴァーネイに拍手です。

主演のデヴィッド・オイェロウォはキング牧師を演じてると言うより、憑依したと感じるくらい。そして、単に偉人としてだけでなく、一人の人間としての苦悩が描かれてたのが良かったです。FBIに浮気現場を盗聴されてたとかゆー話も出てきて、興味深かった。

チラッとだけ出て来たマルコムXも良く似てました。時代的に皆映像や写真が残ってますので、ルックスが似てる人を選んだんでしょう。ただ、一人だけ気になったのが公民権運動家の一人、ダイアン・ナッシュなんです。

彼女は学生時代にミス・イリノイで2位になったこともある、白人女性(多分アイルランド系)なんですが、演じてる女優さんは、アフリカ系が入ってそうなんですよね。最初の動画で0:50に登場し「次なる決戦の場ね」と言ってるのがテッサ・トンプソンが演じるダイアン・ナッシュで、本物はこちら。

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<デモ行進するダイアン・ナッシュ(右端)>
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役者さんと本物の写真を、並べて紹介してるサイトがありましたわ。

The Real Historical Figures Behind the Movie ‘Selma’

左から、

テッサ・トンプソンとダイアン・ナッシュ
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コレット・キング夫人とカルメン・イジョゴ
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ステファン・ジェイムスとジョン・ルイス
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ジェイムス・バヴェルとコモン
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他のキャストが結構似てる方ばかりなんで、ちょっと違和感が、、。まあ、ダイアンさんはご健在ですが、特にクレームもしなかったんでしょう。ただ、『グローリー』では公民権運動における白人の貢献は、勿論ゼロにはしてないものの、極力抑えたかったんかな?と私には思えてしまった。

実はCNNドキュメンタリーでは、結構白人の活動家が画面に良く出てきてまして、特にユダヤ人が果たした役割はとても大きいのではないか?と思ってたんです。ユダヤ系の公民権運動家が、思い出を語るインタビューにも登場してましたし。ウィキペディア英語版のセルマ大行進には、キング牧師と並んで行進するラビ(ユダヤ教の指導者)が写った写真もあります。

Selma to Montgomery Marches - Wikipedia
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前列右から2番目の白いお髭の方が、ラビのアブラハム・ヨシュア・ヘッシェル師です。

また、セルマでの血の日曜日事件で、政府内で真っ先に反応したのも、ユダヤ系の議員のようで、ジョンソン大統領を後押ししたと思われますしね。

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ダイアン・ナッシュのキャスティングにしろ、白人活動家を余り出さないことにしろ、意図的と思わざるを得ないのは、極めつけとして、ジョンソン大統領の描き方が、余りにも可哀想過ぎたからです。それが実際問題視されたことは、ウィキペディアにも載っています。CNNドキュメンタリーによれば、ケネディの下で副大統領をしていた時代から、ジョンソンはキング牧師に協力的で、ケネディ暗殺後、大統領に就任した際も、公民権問題を最重要課題にしてたそうなんです。それが『グローリー』では真逆で、非協力的な上にFBIと一緒にキング師の邪魔してたとも思われかねないシーンもあったりして、何か扱いが酷過ぎやしないかと。監督曰く、「これはドキュメンタリーでも歴史映画でもなくドラマだから」だそうで、なるほど協力的な大統領よりは、厄介者な方がよりドラマティックにはなりますわな。そもそも、著作権問題でキング牧師の演説を書きかえた時点で、既にノンフィクションでは無くなってるとも言えますしね。ただ、私はこう感じてしまった。レーザーラモンRG風に言えば、

『グローリー』あるある早く言いたいよ~

『グローリー』は白人の手柄を出し渋りがち~

となっちゃうな。まあ、だからと言って、この映画が素晴らしいことには変わりないですけど、ツッコミ所を作ってしまったのが、とても残念だったんです。特にユダヤ人に関しては、やはり迫害されてきた人々だけに、黒人差別に同情的だったのは、想像に難くないですから。事実、黒人へのリンチを世に告発したビリー・ホリデイの『奇妙な果実』を作ったのは、ルイス・アレンと言うユダヤ人であり、それは公民権運動から20年も前のことでした。ユダヤ人には黒人と歩んできた歴史があり、もうちょっと描いてあげても良かったんじゃない?的な、気持ちになっちゃったと。それに、公民権運動にとって、差別が倫理的に問題だと気付いた白人の存在は、やっぱり重要だと思うんですよ。直接運動には参加してなくても、マッスルショールズのリック・ホール及びミュージシャン達とか、サン・レコード(メンフィス)のサム・フィリップス、同じくメンフィスにおけるブッカーT&MG'sとか、音楽を通じで人種差別という負の遺産から自由になってた人々が、確かに存在してた訳ですから。CNNドキュメンタリーと『グローリー』を見てから、『黄金のメロディ・マッスルショールズ』(記事はコチラ)での、リック・ホールの言葉の意味を、本当に理解した気がします。彼は

60年代のアラバマでは、黒人の為に食事を買うにも、(殺される)恐怖を感じていた」

また、改めて感じたのがロジャー・コーマンの凄さでした。60年代初頭と言う公民権運動の只中で、『侵入者』と言う南部の黒人差別を告発する映画を作ったこと(公開は1962年)。KKKから脅迫されたりしなかったのかしら?無事で良かったです。

マルコムXは『グローリー』にはちょっとしか出てきませんでしたが、所属してた過激な団体ネイション・オブ・イスラムを抜けて、キングと和解したい、と接触してきました。彼はメッカ巡礼で、肌の色に関係なく一緒に礼拝する人々を見て、考えを改めたんですよね。それまでは、白人に協力を求めるキングを口汚く罵ってたんですけど。やはり人種を問わず価値観を共有できる経験って、非常に大切だと思うんです。

それと、この『グローリー』、1965年のセルマ大行進で終わっているのは、良かったと思います。投票権法成立後には、再び南部で運動家の暗殺事件があったり、武力行使を主張する武闘派ストークリー・カーマイケルが台頭し、キング師の求心力がダダ下がりしてしまうんですね。キング師自身も非暴力運動の限界を感じさせる発言をしてましたから。勿論、暗殺される最期も、映画ではあまり見たくないなと思ってましたし。

で、この作品を契機に、今後またキング師の映画が作られるのなら、私はやはりワシントン大行進の再現を見てみたいです。CNNドキュメンタリーで知ったのですが、I have a dream演説は、予定された原稿にはない、即興だったそうですね。参加していたゴスペル歌手、マヘリア・ジャクソンが

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Tell me about a dream, Martin!
夢について話して、マーティン!


と叫び、それを聞いたキング師は

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と、このくだりを聞いただけで、私はゾクゾクッとしたのです。キング師は親しかった友人のマヘリアに、常日頃から夢について語っていたんでしょうね。何か話ながらアドレナリンが出てそうな感じが、この粗い画面かれでも十分伝わってきたんです。だから、映画で再現出来たら凄いだろうな、って想像してしまうんです。ボブ・ディランとジョーン・バエズが行進してるとこも見たいですしね。

ちなみに、この演説では、

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と、ユダヤ人を白人一般とは別に言及してるところに、配慮が伺えますね。やはり彼等の協力に恩義を感じていたのではないでしょうか。だから、『グローリー』の監督さんも、それに倣って欲しかったなあ、ってしつこくてスミマセンですね。

それと『グローリー』には出てこなかった人物で、紹介したいのがジェームス・ローソン師。キング師が推進した非暴力運動ではありますが、運動家達に実践方法を教えたのはローソン師なんです。彼はインドへ行って、マハトマ・ガンジーの方法論を学んできたのですが、1960年、ナッシュビルで、カフェテリア等の白人用座席への座り込み運動を始める前に、ロールプレイング方式で、対処法を教えたのです。

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罵声を浴びせられたり、小突かれても、平静を保つ訓練をしたのですが、これって、実はヨガにおける集中と似てるのは、さすがマハトマ・ガンジーだな、と思いました。目の前で起きてる現象に対して、気持ちが持って行かれないように、受け流す鍛錬をしていたのですね。

で、このナッシュヴィルの座り込みは、先述のダイアン・ナッシュが運動のリーダー的存在でした。

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ナッシュを含め、座り込みにより逮捕された学生運動家達は、特に女性達が中心となって、獄中で不買運動を組織します。「人種隔離をしてる店では買わないぞ」とキャンペーンするんですね。人口の半分以上を占める黒人客を失うのは、商店にっとって結構な打撃だったのです。そのお蔭で、ナッシュビルでは、南部で一番早く、店舗での人種融合が実現するのです。彼女の左側にいる黒人青年がジェームス・バヴェルで、先に写真を紹介しましたが、『グローリー』ではラッパーのコモンが演じてました。二人は後に結婚して、子供を二人もうけたそうです。

ダイアン・ナッシュ、ジェームス・パヴェル達のグループは、北部から始まった、Freedom Ride=自由の為の乗車にも勿論参加しました。以前、映画『フリーダム・ライターズ』の話(コチラ)でも、少し書きましたが、黒人と白人の運動家が力を合わせた南部への長距離バス旅です。旅の途中で立ち寄った町々で、人種に関係なく、休憩所やトイレを使用するという抗議行動。ワシントンDCからスタートしたのですが、アラバマ州のバーミングハムでは、怒った地元民がライダーを殴る蹴るの暴動となりました。

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重症のライダーは旅を続けられないからと、ダイアン・ナッシュ達のグループが引き継いで参加していったのです。『グローリー』の中でも、ジョン・ルイスが当時の体験を語るシーンがありました。「幼い女の子までが父親と一緒に殴ってきた」とのセリフには、私も愕然としたものですが、ドキュメンタリー映像に残るレイシスト達の子孫は、やっぱり同じようになっておるのかしら?とか心配してしまいます。マッスルショールズにも登場してたアラバマ州のジョージ・ウォレス知事(演じたのはティム・ロス)は、当然、『グローリー』でも大活躍でしたわ。

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「最高の国民」とは、勿論白人(ユダヤ人は除く)のことで、自分達が絶対的に優れてるから、差別するのは当然、と思ってるのです。

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何の疑問も無く、差別は当然!と言えるのは、単なる無知だからなのでしょうか?そして、ウォレス知事の後ろで拍手してる皆様は、バッチリ記録されちゃってますが、その子供達が、負の遺産を受け継いでないことを祈るばかりです。『フリーダム・ライターズ』で書きましたが、主人公のミスGが公立高校での人種対立を乗り越えた土台として、公民権運動に参加してた父親の存在は大きかった様でしたから。やはり倫理観は、親から子へ受け継がれるものだと思います。

という訳で、宣言通りかなりの長さになってしまいましたが、公民権運動を語るとしたら、これでもまだほんの一部ですし、私もまだまだ知らないことが山ほどあります。現代アメリカの人種差別は、法律上の差別で無くなった分、より複雑化しているのでしょうけど、これまでに奪われてきた多くの命を無駄にしない方向に、進んで行って欲しいものです。


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2015/07/11 07:40 yuccalina

『ブルース・ブラザーズ2000』を見直してみた2015

これまで、ブルースやソウル、ロック等、音楽が楽しめる映画やドキュメンタリーを順次紹介してきましたが、あの名作の続編、『ブルース・ブラザーズ2000』も見直してみました。



『ブルース・ブラザーズ』(記事はコチラ)の18年後を描いているのですが、当時(公開は1998年)健在だった俳優&アーティスト達の殆どが、再び出演しています。エルウッド(ダン・エルクロイド)及びブルースブラザーズバンドの面々は勿論のこと、ジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリン、刑務所のフランク・オズはやはりオープニングで登場し、カントリーのライヴハウスオーナーのジェフ・モリスは、レストランに鞍替えしておったわ。

この手の続編が前作を上回れないのは、ありがちですけど、その辺は出演アーティストの豪華さで十分カバーかしら。ブルース、ソウル、ロックの重鎮が勢ぞろいです。先述のアレサ&JBに加えて、サム・ムーア(JBとのデュエット有!)、ウィルソン・ピケット、エディ・フロイド、タージ・マハール、ジュニア・ウェルズ、ロニー・ブルックス等が登場。さらに、ブルース・ブラザーズとバンド対決するルイジアナ・ゲイターボーイズが凄すぎる。リーダーのガスペロン役B・B・キングは、元中古車屋で、エルウッドにブルースモービル(=払い下げのパトカー)を売るくだりも。

メンバーは、ボ・ディドリー、エリック・クラプトン、ジミー・ヴォーン、ジェフ・バクスター、ココ・テイラー、ゲイリー・US・ボンズ、ビリー・プレストン、スティーヴ・ウインウッド、ドクター・ジョン、アイザック・ヘイズ他。BBを中心に向かって右にクラプトン、左がディドリー、ってのはやはり序列があるんかな?と思いつつも、演奏はもう皆ノリノリで、楽しいのが伝わってきました。

残念ながらBBの『How Blue Can You Get』の動画が無くて、代わりにブルースブラザーズバンドとジャムった『New Orleans』を貼っておきますが、ここでのソロ・ヴォーカルの順番は以下の通り。

ゲイリー・US・ボンズ(元々彼の曲だから?ちょっと長め)
エルウッド
マイティ・マック
バスター
トミー・マクドネル
ドクター・ジョン
トラヴィス・トリット
ポール・シェイファー
ジミー・ヴォーン
ビリー・プレストン
アイザック・ヘイズ
チャーリー・マッセルホワイト




ちなみに『How Blue Can You Get』でのヴォーカルソロ担当の順番が

B・B・キング
ココ・テイラー
スティーヴ・ウインウッド
ルー・ロウルズ
エリック・クラプトン
ボ・ディドリー
ドクター・ジョン


となってたので、ドクター・ジョン以外は被ってない。一応平等に割り当てた感じがしましたね。

で、話を『New Orleans』に戻すと、実はこの曲はエンドクレジットまで続いて、前作の『Jailhouse Rock』同様に、出演者がワンフレーズずつ歌ってくれるんですが、上の動画では残念ながら切れてます。ロシアンマフィアがロシア語で歌うのが面白いのと、踊りながら歌うBBがチャーミングでした。一番最初のトレイラー動画にその場面(1:17あたり)が出てますので、良かったらチェックしてみて下さいませ。

で、そのエンドクレジットで、ポール・シェイファーが以下の通り、ブルースブラザーズバンドのメンバーの間に入り込んでいて、おおっ?となったんです。(*印は前作も出演してるキャスト)

エルウッド*
バスター
マイティ・マック
キャブ
トム・マローン*
アラン・ルービン*
ルー・マリーニ*
マーフィー・デューン*
ポール・シェイファー
マット・マーフィー*
スティーヴ・クロッパー*
ドナルド・ダン*
ウィリー・ホール*

キャサリン・フリーマン*
スティーヴ・ローレンス*
アレサ・フランクリン*
ザ・リッジウェイ・シスターズ*
ウィルソン・ピケット
エディ・フロイド
ジョニー・ラング
ブルース・トラヴェラー
ロニー・ブルックス
ジュニア・ウェルズ
シャーン・ジョンソン
ジェフ・モリス*
サム・ムーア
ジェームス・ブラウン*
タージ・マハール
エリカ・バドゥ
シャロン・ライリー&聖歌隊
フランク・オズ*
B・B・キング
ニア・ピープルズ
イゴール&ヴィクトル(ロシアンマフィア)
ダレル・ハモンド
ミハエル&スラヴコ(ロシアンマフィア)


と、ここで『New Orleans』はおしまい。ウィリー・ホールでブレイクが入るのは、ここまでがブルースブラザーズバンドと言う意味に取れます。でロシアンマフィアが最後のフレーズを歌った後、曲は『Looking for a Fox』に変わり、クレジットはルイジアナ・ゲイター・ボーイズのメンバーになるのですが、ここはABC順になってました。

つまり、ボール・シェイファーはバンド合戦のシーンではルイジアナ・ゲイター・ボーイズに混じってるのに、クレジットではブルースブラザーズバンドの扱いで紹介されてるんだと。理由はボーナス映像のインタヴューで分かったんですが、シェイファーは元々サタデーナイトライヴ時代からの馴染みで、前作にも出演オファーがあったのに、都合がつかなくて叶わなかった幻のメンバーだったとか。今回はクイーン・ムセットの召使役もしてますが、ルイジアナ・ゲイター・ボーイズの演奏に混じってるのは、どうも重要な役割を果たしていたようです。ワイン色のスーツに身を包んだスキンヘッド&サングラスの彼が、BBキングの後ろで舞台に背を向けながら、メンバーに指示を送っているように見えます。これだけ大所帯ですから、全体を把握した指揮者が必要なのも当然ですよね。そして、後で知ったのですが、シェイファーは映画の音楽監督でもありました。そっかー、あの場を仕切ってて当然のポジションだったって訳です。

さて、以前よりはちょっとブルース通になったワタクシが、今回気になったところは、『John The Revelator』か。このゴスペル曲をアレンジしたのはサンハウスで、マーティン・スコセッシの『The Blues Movie Project』にも、勿論収録されておりました。教会でのコーラス版はサム・ムーアがメインヴォーカル。最初の方に出てくるアカペラ版はタージ・マハールが歌っています。



それから、先日マッスルショールズの話でも登場したウィルソン・ピケットも、この頃はまだ元気だったんですね。エドの恋愛交換台社長エディ・フロイドのボディガード役でした。



ちょっと擦れた高音が良いです。それと、途中でギター・ソロを披露し、しゃがれた歌声も聴かせるジョニー・ラングも気になります。見た目は全然子供なんですけど、歌もギターもベテランみたいなんですもん。

また、エルウッドがやる気を無くしたバンドメンバーを叱咤激励する時の言葉は、まるで『The BLUES Movie Project』のコンセプトみたいで良かった。アメリカのルーツ音楽を次世代へ伝えるのが、我々のミッションなのだ!とエルウッドが熱く語った時、出てきた名前は、、、、

ロバート・ジョンソン
マディ・ウォーターズ
ウィリー・ディクソン
ジミー・リード
メンフィス・スリム
ブラインド・ボーイ・フラー
ルイ・ジョーダン
リトル・ウォルター
ビッグ・ウォルター
サニー・ボーイ・ウィリアムソン1&2
オーティス・レディング
ジャッキー・ウィルソン
エルヴィス・プレスリー
ロバート・K・ワイズ


最後のKワイズって誰?それはブルース・ブラザーズのプロデューサーでしたwともあれ、この映画が公開された数年後に、スコセッシのブルースプロジェクトがスタートしたんですよね。

ってな感じで、以前見た時の何倍も楽しむことが出来ました。『ブルース・ブラザーズ』よりストーリーが弱いとか、「タバコは糞だ」発言、シートベルト絞めてるのが時代&権力に迎合しとるとか、文句言ってる人もいるそうですが、私は単純に、BBキングのあんな姿を録っておけて、本当に良かったんじゃないかと思っております。

と言ったところで、最後にもう一曲。これはブルースでなくカリビアン。エリカ・バドゥ演じるクイーン・ムセットのリクエストで演奏するくだり。



何が良いかって、ファンキーなサウンドだけでなく、このセットがむちゃくちゃ好き。エリカのファッションやお部屋のインテリアとか、なんかね、フレンチカリビアンの雰囲気が今見ても素敵だなーと思いました。


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2015/06/29 08:05 yuccalina

『Ray』を見直してみた2015

クリント・イーストウッドの『ピアノ・ブルース』(記事はコチラ)について書いた時から、ずーっと見直したいと思っていたが、レイ・チャールズの伝記映画『Ray』。有り難いことに、NHK BSプレミアムで放送がありました。



レイがジャズピアノからゴスペル、ブルーズにカントリーと言ったアメリカのルーツ音楽に親しみながら、自らの音楽を生み出した記録です。ハックフォード監督の作品は『ホワイトナイツ』以来ですが、作家性を感じる云々よりも、レイの音楽の背景を丁寧に描いているところに好感を持ちました。この映画を最初に見たのは10年前でしたが、まだ息子に手がかかる時期で、映画に集中出来てなかった上に、ブルースやソウル音楽の知識も浅かったので、見過ごしてた事が多かったなあと思います。

先述の『ピアノ・ブルース』で、レイ本人がイーストウッドに語っていた通り、

幼い頃に近所の店にいたピアニスト(ワイリー・ピットマン)からピアノを教わったこと
カントリーが好きだった(→下積み時代にカントリーバンドでピアノを弾いてた)
アート・テイタム、ナット・キング・コール(母親のお気に入りでもあったらしい)に憧れていた


等が分かるシーンが出てきたり、その他の『The BLUES Movie Project』で知った話もチラホラ。『ロード・トゥ・メンフィス』(記事はコチラ)でBBキングも参加してた地方クラブのドサ回り「チトリン・サーキット」は、レイの下積み時代にもあったのね、と頷いたり。そして『黄金のメロディ マッスル・ショールズ』(記事はコチラ)のいじわる爺さん、ジェリー・ウェクスラーの若かりし頃(1950年代)が出てきましたよ。ウェクスラー同様、後に名プロデューサーとなる、トム・ダウドもいたなあ。どちらも、アトランティックレコードの創成期を支えたメンバーであり、当時はより良い音楽を作ろうと目を輝かせた若者達だったのね。んで、それをまとめていたのがトルコ系(外交官の息子だったそうな)のアーメット・アーティガン。彼はロック世代においても重要人物ですが、それまで盲目のせいで周りから食い物にされていたレイに、評価に見合った報酬を提供しただけでなく、処世術も教えてくれたし、薬物依存のレイをとても心配してくれてた様です。

「私は小さい要求には小さい額、大きな要求には大きな額で答える」

の一言には、「だから自分から安売りするなよ」という思いが込められてた訳ですね。しかし、いざレコーディングとなった時、レイはそれまで誰かのモノマネ芸だけで食べてきたので、自分のスタイルというのが分からない。「別にナットに似てるから君と契約したんじゃない」と言うアーティガンの言葉に、「俺の音楽が嫌いなんだな」と反応してしまうレイ。これまで、自分の音楽を意識してこなかったレイには、何のことか分からないんです。思いが伝わらず「そうじゃないんだよ」と困ったアーティガンは、レイにある曲を演奏させます。それが『メス・アラウンド』。

アーティガンはレイに、コードと歌詞をワンコーラス歌って教えると、後は自由にアレンジさせ、歌わせてみた。これはレイの音楽人生にとって、重要なターニングポイントの一つだったしょう。そして驚いたのは、『メス・アラウンド』の作者がアーティガンだったこと。この曲はドクター・ジョン版で知ってた私ですが、まさかアトランティックのしゃーちょさんが作った曲だったとは、全く知らなんだ。



と、ビックリした訳です。その後もアトランティックでヒットを飛ばし順風満帆でしたが、契約切れの際、レイはABCレコードの高額提示を受け入れ、移籍を決めてしまいます。「ABCは金はあっても音楽を分かってない奴等だから、レイは残ってくれるだろう」と思っていたのか、「裏切られた」と傷つくウェクスラーを見て、私は『マッスル・ショールズ』での、「意地悪な糞ジジイ」発言を撤回しようかなと思いました。そう言えば、レイと初めて会った時は「演奏には口を出さない見習いプロデューサー」とか言ってたしなあ、と言うのは、上記動画の最後の方に出てきます。あの偉そうなウェクスラーにもこんな時代があったのね、と思ったのと同時に、レイとの経験で知ったビジネスの厳しさを、そのままリック・ホール授けたのかも?という考えは、余りに都合が良すぎるかしら?

でも、ウェクスラーが落ち込んでるのを察したレイがアーティガンに「ジェリーはきっと大丈夫だよ」(=僕がいなくなってもウェクスラーは良い仕事をするだろうって意味か?)と語るシーンに、私は「そうそう、全然大丈夫だったし、後でリック・ホールに酷い仕打ちするんだかんね~!」と突っ込みながら見てしまいました。

さて、アーティガンを始め、奥様のデラ・ビー、チトリンサーキットからの仲間でマネージャーになるジェフとか、少年時代から可愛がっていたクインシー・ジョーンズ等、回りには親身になってくれる人々が複数いたけれど、いつもレイの方が心を開いてなかった印象でした。それは少年時代のトラウマと関係がありそうです。6歳の時レイの目の前で、弟が大きな洗濯用バケツに落ちて溺死していたんです。彼は生まれつきの盲目ではなく、弟の死後に緑内障になり、7歳で失明。レイの視覚的記憶は7歳迄で、その中でも弟の死が与えたショックの大きさは相当なものでしょう。勿論、病気によって徐々に視力が失われていく恐怖も、大きかったでしょうが、もしかしたら、弟の死に責任を感じていて、失明したのはその罰ではないか、と思ってたような描写がありました。レイは何か不安に襲われた時、溺死した弟の幻覚を見ていて、薬物依存も女癖の悪さも、不安感を埋める為のものだったようです。しかし、当然のことながら、幻覚が消える事なく、むしろ増えていきました。

レイはロックンローラーじゃないけど、正にセックス&ドラッグ塗れな生活だったみたい。手首を触って美女か判断する裏ワザが出てきますが、女性コーラスのオーディションしたら、最後に手首を確認しておったわ。んで、女性トラブルをネタに歌を作ってヒットさせたりと。



上記動画はオリジナルの映像ですが、女性コーラスの左から2番目が、多分愛人だったマージーでしょうね。ちょっとだけ、レイと掛け合いをしています。愛人はその前に、メアリー・アン・フィッシャーと言う女性が出てきますが、本人または遺族から実名オーケーが出たのが2人だけで、本当はもっと沢山いたのでしょうねえ。

しかし、いくら女をとっかえひっかえしても、商業的に成功しても心が満たされず、薬に頼っていた。最終的には更正施設に入り、薬物地獄から帰還することが出来たのは、勿論妻の献身もあったでしょうが、母からの教えを守る為、という意識が強かったのかもしれません。何かを判断する時に、母の言ってたことが頭をよぎるんですね。

嘘つきは泥棒の始まりよ!
神様に恥ずかしくない生き方をしてる?


視力を失ってからのレイを、厳しく育てる彼女の姿は、涙無くしては見られませんでしたが、音楽以外の子供時代の回想シーンも凄く良いなと思いました。

と言ったところで、最後に言及しておきたいのが、1965年にジョージア州から永久追放された話。『我が心のジョージア』が大ヒットして、南部ツアーがドル箱だった頃に、コンサート会場に黒人が入れないことを知ったレイは、抗議の為にキャンセルしてしまった。その前に再会したクインシー・ジョーンズから「南部は酷い、監獄にいるようだ」と言われてたのも、間接的要因でしょうが、公民権運動で、コンサート会場前でデモをする黒人青年に、レイは共感したのでした。結果、裁判に訴えられ、コンサートの賠償をすることになるのですが、さらにジョージア州にはもう来るな!と出禁になっちゃった。65年と言えば、既に63年のワシントン大行進にボブ・ディランやジョーン・バエズが参加してた後ですから、レイが公民権運動を意識したのは、結構遅めだった。多分、レイは黒人差別以前に障害者差別を受けてて、世間に物申すという意識には、中々なれなかったのかもしれませんね。映画は1979年、ジョージア州が永久追放を撤廃し、『我が心のジョージア』を州歌に制定するところで幕を閉じます。作曲者はジャズピアニストのホーギー・カーマイケルですが、やはりこの曲で思い浮かぶのはレイ・チャールズであり、彼が歌ったからこそ曲に南部のテイストをもたらしたのでしょうね。


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テーマ:ゴスペル/ブルース/R&B/ソウル/ファンク - ジャンル:音楽

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