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プロフィール

yuccalina

Author:yuccalina
自閉症の息子(16才)と、エンジニアの夫との3人暮らしのアラフィー主婦です。45才でヨガ指導者スクールを卒業し、現在地元で極々細やかな教室を開催。

一方、トランシルヴァニア(カロタセグ地方)の伝統刺繍、イーラーショシュのステッチを用いた雑貨『Yuccalina Erdő=ユッカリーナ・エルドゥ』の制作も行っています。

ミンネ・ギャラリーにて作品展示中。

ブログでは主にハンドメイド、ガーデニングに加え、10代から親しんできたロック音楽に、映画、本等について綴っています。

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ユッカリーナのヨガ的雑記帳


2019/03/20 08:47 yuccalina

坂本慎太郎と、ゆらゆら帝国と、失われた20年?を求めて~その6

なんか気を抜くと直ぐにスポンサー広告でちゃうなあ(^_^;)と思いつつ、大した話題ないけど更新するだすよ。



インスタでも書いたのですが、1998年のファースト『3×3×3』と2007年ラストの『空洞です』を交互に聴くことが多いです。それぞれのオープニング曲、『わかってほしい』



は、ギターがキンクスのAll Day and All of the Nightみたいでカッコいいよね。

それが約10年後の『おはようまたやろう』では、マーヴィン・ゲイのWhat's Goin' Onみたな、ちょっと洗練された音作りになっておった。

しかし、YouTube動画探したけど見つからず。どうしかもんかと思ったが、爽やかなブルーというバンド?のカバーが中々良かったんで、貼っておきます。マーヴィン・ゲイ感は薄めですが、イギリスのポストパンク系バンドがファンキーな曲やってるよな感じ出てるかと思います。



そんで、『空洞です』は、アルバム全体としては、ソウル・ファンクと言うよりはマニマル・ミュージック色が強くて、全部で一つの長い曲とも受け取れるような、曲のつなぎの部分にも拘りを感じますです。

ところで、『3×3×3』の中で、私が一番衝撃を受けたのは、タイトル曲でした。



なんかこれTeardrop Explodesの『Brave Boys Keep Their Promises』っぽいよね。坂本慎太郎ジュリアン・コープ好きなのだらうか?まあ、Brave Boys~自体がどこぞのサイケバンドの影響受けてる可能性強いんで、元ネタは別にあるかもしらんね。



と言う訳で、いつかその7へ続く。





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タグ: 坂本慎太郎 ゆらゆら帝国 サイケデリックロック ジュリアン・コープ

テーマ:サイケデリック - ジャンル:音楽

2017/01/12 09:30 yuccalina

シド・バレット評伝とディスりたい人達の話

去年読んで、ブログにどう書こうか、ずっと迷っていた本がこれ。

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Amazonで中古が安かったんで買っちゃった。DVD『シド・バレット・ストーリー』を先に見てたし、ナルホドナルホド、とすらすらと読めた感じですが、ショックな話も多いです。

情緒不安定からか、シドは歴代の彼女を殴ってたらしい。暴力はいかんよねえ。

それと、気になったんが、ケヴィン・エアーズが『O Wot A Dream』(1973年Bananamour収録)を歌った時の話として、

「シドとは会ったことないが、、」

と話したというくだりは、おやおや?

では1969年『Joy Of A Toy』時にあったとされるセッションは偽物なのかい?まあ、多分本にある発言が間違いか、ケヴィンの記憶違いってことすかね?

しかしですねっ!一番びっくらこいたのは、序文をこの人が書いてたことですっ!

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ジュリアン・コープ

また、お会いしましたわね。そういや、ジュリアンの自叙伝、まだ、じぇんじぇん読んでませんわあ。

とか思ってるそばから、最近、パティ・スミスの『M Train』も買っちゃったのよね。



そう言う訳で、

今年の抱負は、溜まってる本を読む

です。

最後にまたシド・バレット評伝に話を戻します。シドとは関係ない話ですがが、ロジャー・ウォーターズの父親がイタリアで戦死したという記述にも、おやおや?

「俺の父親は日本兵に殺された」

初来日のインタビューでの開口一番がこれ!

と言うのは渋谷陽一がラジオで言っとった。以来、

ロジャー・ウォーターズって見た目だけじゃなくて中身もブスっぽいな。

と思ってた私ですがが、さらに嫌いになりますたwww

イタリアで亡くなったのなら日本兵はありえませんねえ。多分恨む相手、ディスる相手として、

イタリア人<日本人

の方が都合が良いから、勝手に脳内変換したのでしょうか?

とか、どーでも良いことに突っ込んでごめんなさいね。

そう言えば、ジュリアンが日本贔屓の理由として、

「敗戦でボロボロになったのに、立ち直ったのが素晴らしい」と言ってましたが、彼がクラウト(ドイツ)・ロックのファンでもあったのは、そう言う意味もあるのでしょうか。ウォーターズとは世代が違うので、感覚も違うんでしょうねえ。昔見た『孤高の警部ジョージ・ジェントリー』というちょっと恥ずかしい邦題の刑事ドラマは、60年代のロンドンが舞台だったんですが、ドイツ人が嫌われ者として登場してたのを思い出します。

「戦争に負けた国の奴の方が金持ちなのが納得いかん」

とか恨まれていた。ちなみにジェントリーの亡妻はイタリア人だった、という設定でした。60年代はまだ戦争の影が色濃かったのでしょうか。ジョン・レノンとオノ・ヨーコにイギリス中がヒステリー反応を起こしたのも仕方ないのかなあ。

ちなみに、ジョンの最初の妻シンシアが

「ダンナを寝取ったのはヨーコではなく歌手のアルマ・コーガン」

にしたかったのも、ウォーターズと似たような心理を感じずにはいられませんぐ。日本人に負けたのではない!と言いたかったのか?まあ、ジョンにとってヨーコが特別な存在であることが面白くないので、ちょっとでも価値を下げたくて必死な感じ~~www

別にどっちが先でも構わんとです。肝腎なのは、ジョンが女性達にインスパイアされて書いた曲がどんなものなのか、です。そして、お生憎様、それを書き変えるに足るエピソードではなかった様です。

タグ: シド・バレット ジュリアン・コープ ケヴィン・エアーズ 60年代

テーマ:60年代から70年代のPOPs & ROCK - ジャンル:音楽

2016/07/04 09:26 yuccalina

『浦和ミュージックサタデー』の思い出に添えて~Teardrop Explodes, Colour Field, Care, Colin Newman & Tom Verlaine

私にとって、どんな音楽を聴いてきたかは、どんな人と出会ってきたかの歴史でもあります。小6でベイ・シティ・ローラーズ旋風が日本にやってきて、そこからロック&ポップスを中心に、様々な音楽を聴いてきました。少し前に『YOUは何しに日本へ』を見てたら、”タータンチェックを着たおばさん集団が来日したレスリー・マッコーエンに群がる図”が出てきて、シミジミ思った。ローラーズが出発点にしては、私の着地点はかなりズレたもんだなあ、と。

ポストパンク、ニュー・ウェイヴにNYパンク、を経てワールド・ミュージックだの黒人音楽だのと聴くようになるには、様々な”注目すべき人々との出会い”があった訳です。自分の音楽遍歴に深く関わってる人々のことを記録しておこうと思いました。

で、私にとって一番大きな出会いだったのが、NHK浦和放送局のラジオ番組『浦和ミュージックサタデー』(以下”浦サタ”と略)のアシスタントをされていた、大蔵麻美(おおくらまみ)さんという女性です。

何年か前、番組名で検索して、ブログに書かれてる方を発見していました。

今から30年以上前、NHK-FMでは、土曜日の午後は関東の放送局ごとに独自の番組を組んでいました。私の住んでいた埼玉は「浦和ミュージックサタデー」と言う番組を放送していました。

歌謡曲・ニューミュージックの週、ロック・ポップスなど洋楽の週と、

2つの異なるプログラムを組んだ番組構成で、私は洋楽の週ばかりを聴いていました。かなりマニアックな曲をかける点では、水戸放送局の「ロック・タイム」と双璧だったのではないでしょうか?今まで聴いたことのないハードロック、プログレッシヴロックの曲がかかり、随分と勉強になりました・・・・・

浦和ミュージックサタデーの思い出~『パンクフロイドのブログ』より



私は当時東京の東端の町に住んでいて、埼玉県浦和と全く縁はありませんでしたが、購読していたFM雑誌の番組欄には、NHKFMのローカル各局が毎回載っていました。たまたま面白そうな特集があった時、試しに聞いてみたのがキッカケです。元々NHK-FMにローカル局があることすら知らなかった私ですので、運命的な出会いだったと思います。とにかく番組を聞いてみてビックリしました。それまでラジオのチャート番組やメジャーな音楽雑誌からの情報しかなかった高校2年生のユッカリーナにとって、正に未知の領域だった。オンエアーされていた曲の大半は、日本では殆ど紹介されてない、輸入盤からだったと思います。そして、もう一つスタジオが見学自由であるらしい、のにも興味をそそられました。その後、

リクエストハガキを書く→
読まれる→
2回目のリクエストに「スタジオに遊びに行っても良いのですか?」と質問→
「是非遊びに来てください」と返事→
女子高生ユッカリーナが埼玉県浦和に初上陸

と、この間約2ヵ月。行ってみるとバリトンヴォイスが渋い藤野アナウンサーと、ボーイッシュで知的な女性大蔵麻美さんの二人が番組を進めていたのですが、その他にハードロック担当のYさん、プログレ担当Dさん、ユーロポップ担当Kさんという方達(皆20代の男性)が選曲のお手伝いをしていました。彼等はそれぞれ仕事をしてたり、大学生だったりと、素人ではありながら、時々マイクの前に座り、お薦め曲の紹介をしていたのです。番組終了後は、彼等と7インチシングルのサンプル盤(=レコード会社から局に配布されたもの)争奪のジャンケンをしました。それが終わると、大蔵さんはスタッフを引き連れて、近くの喫茶店へ行くので一緒にどうか、と私を誘ってくださいました。ちなみに藤野アナはNHKの社員でしたから、番組後も局でお仕事だったようです。

で、喫茶店では終始音楽談義が展開されました。全く知らないアーティストの名前ばかりがバンバン出てくる。でもそれで、まんまとハマってしまった訳ですね。その後も私は隔週の土曜日、浦和へせっせと通うようになり、それは短大卒業までの4年(1981~1985)ほど続きました。

ここで重要なのは、大蔵さんが担当していたのがジャンルで言えばニューウェイヴだったこと。

それまでチャート番組で紹介される曲や、時々図書館で借りてくる少し古めのロックのレコードくらいしか聴いていなかったワタクシの趣向に大きな影響を与えた訳です。大蔵さんはよく自分で買ってきた輸入盤レコードを貸してくれたりもしましたので。

こんな音楽もあったんか~~?

といつも唸ってました。丁度ラフトレードや4ADと言ったイギリスのインディーズが日本上陸した頃で、ピッグ・バッグやリップ・リグ&パニック、バウハウスのレコードも大蔵さんに貸してもらったけなあ。まだお小遣いが少ない筈の高校生が、色々と新しい音楽を聴けたのも、すべては浦サタと大蔵さんのお蔭でした。

そして何よりも大きかったのは、高校生活に飽き飽きしてた、っつーか勉強に着いていけずに腐っていた私にとって、浦サタでの時間が唯一の楽しみだったことです。2週間に1度の楽しみの為に、つまらない学校も我慢出来た。まあ、時々は本当に我慢ならなくて、授業をさぼったりしたけど。それまで、学校に行けばお喋りする友達はいましたが、浦和に通うようになってからは、同級生とは殆ど遊ばなくなりました。学校の外に知り合いがいることに、優越感みたいなものがあったかもしれませんぐ。

さて、大蔵さんの影響でニューウェイヴにハマりだしたワタクシは、サウンド・ストリート(火・坂本龍一、金・渋谷陽一)を聴き始めたり、ロッキング・オンやフールズ・メイトを読んだり、御茶ノ水のCISCO=輸入レコード店に通ったりしては、色々と情報を仕入れる様になりました。浦サタの番組が始まる前に、自分が探してきた”良い曲”を大蔵さんに聴いてもらって、キニイッテもらえれば番組内でかけてもらえる様になったからです。

そんな訳で、私が輸入レコードを持参して、採用してもらった曲の中から、思い出深いものをいくつか紹介しますね。

先ずはティアドロップ・エクスプローズの『You Disappear From View』。



私はエコー&ザ・バニーマンを先に好きになったのですが、彼らの兄弟バンドらしい、と雑誌『Zig Zag East』で知った私は、このラストシングルを買ったのですた。で、その後ジュリアン・コープにハマったのは、大蔵さんから”いいね!”と言ってもらえたのと無関係ではないと思います。

で、ジュリアンは勿論のこと、ティアドロップ絡みのバンドも探るようになった中で、一番好きだったんは、イアン・ブロウディとポール・シンプソンのデュオ、ケアーです。



この『Whatever Possessed You』は、後にネオアコ好きからも親しまれたのではないでしょうか?

お次はカラーフィールド。スペシャルズ~ファン・ボーイ・スリーを経たテリー・ホールのバンド。



PVがあったなんて、当時は知らんかったな~~。

一方、コリン・ニューマンは渋谷陽一のサウンド・ストリートで紹介されてて、興味を持ったアーティストです。



意外とポップでビックリしました。その後、社会人になってレコードを沢山買えるようになり、『A-Z』『Commercial Suicide』、ワイヤーのアルバム等も愛聴しておりますたわ。

さてさて、最初はレコード持ってくるだけだったワタクシも、いつしか番組でちょっと喋らせてもらったりしましたが、一度録音したのを聴いて、

なんじゃこりゃ~~?

と頭を抱えますた。スピードワゴンのセカオザよりも酷いボソボソで、「あ~」、だの、「え~と」、ばかりでそれはそれは酷かった。

それでも、大好きなトム・ヴァーレイン特集までさせてもらったっちゃったりして、、。丁度4枚目のアルバム『Cover』が出た少し後でした。特に好きだったのが『Swin』でね、、



冒頭の犬の声をバックに、ボソボソ語るトムに萌え~~だったんですわ。

ところで、先に紹介したパンクフロイドさんの記事にも載ってるのですが、浦サタでは『NOVA』と言うミニコミを作っておりました。リクエストハガキをくれたリスナーで住所氏名のある方々に、一方的に送ってただけなんですが、結構喜ばれていたと記憶しています。

こう言った活動から、私が将来音楽雑誌の仕事をしたい、と思う様になったのは自然の成り行きだったかもしれません。大蔵さんが音楽出版社大手のR社(ロッキング・オンではありませんぐ)で結構重要なポストだったらしい、のも関係しています。しかし、短大2年の時、大蔵さんに「就職どうするの?」と聞かれて、本当は「どこか音楽雑誌で働かせてもらえませんか?」と頼みたかったのに、出来ませんでした。多分、覚悟がなかったんだと思います。もし、頼みを聞いてもらえても、最初はアルバイトからになるでしょう。親を説得してでもやるんだ、という気持ちがなかったと。

以前、宝島でちょっとだけバイトした話(コチラ)を書きましたけど、あそこでの失敗で自信を失くしてたのも、無関係でない気がします。ちなみに宝島を紹介してくれた友人のS君は浦サタと別ルートで知り合いましたが、間接的に関係はありました。私は先述のミニコミ『NOVA』をS君に読んでもらい「文章がポップで面白い」からと、バイトに誘ってもらったからです。

で、話は戻りますが、私は大蔵さんに何も言えずに、何となく憧れてたいくつかのアパレル企業を受けて不採用。たまたま父が新聞で見つけた某コンビニ会社に、何とか合格してそこに入社しました。しかし、週休二日制でなかった為、就職と同時に浦サタともお別れの時が来たのです。

しかし、しばらくしてから、”浦サタのスタッフだったYさんとSさんの二人が、大蔵さんの口利きで某雑誌のアルバイトをしてる”話を耳にした私は、正直心穏やかではありませんでした。

やっぱり頼んでみれば良かったのかな、、、

と、当時はちょっぴり後悔したと。でも、その後の自分の歩みを思えば、全く悔いはないです。

自分にとって、「これだ!」という確信がなかったから、そうしなかった、そうならなかったのだと思うからです。

でも、大蔵さんからの影響は、今でも色んなところで感じています。音楽だけでなく、いつもIssey Miyakeの服を、カッコ良く着こなしていて、「私も大人になったらイッセイの服着たい~~」と思いながら見てました。で、その10数年後、イッセイ本体ではないですけど、その流れであるZuccaやI.S.(後のTsumori Chisato)の服を愛用するようになった訳ですから。、

ともあれ、10代の多感な時期に、「自分もああなりたい」と憧れる女性と出会えたのは、とてもラッキーだったんだな、と思うのです。大蔵さん、今どうしているのかなあ、浦サタと一緒に検索してみましたけど、残念ながらそれらしき情報は見つかりませんでした。結婚して名前が変わっちゃったのかもしれませんね。



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タグ: 80年代 NYパンク ジュリアン・コープ トム・ヴァ―レイン

テーマ:洋楽ロック - ジャンル:音楽

2016/05/12 09:20 yuccalina

『昭和歌謡大好きYOU』から筒美京平という序章

私の大好きな番組『YOUは何しに日本へ?』(テレビ東京・月曜夜6時57分~)の、5月2日の放送で「昭和歌謡大好きYOU」が紹介されてて、食いついてしまいました。

<後半35分くらいからです>

番組ディレクターがマユズミ・ジュンをカオル・ジュンと読んだり、青江美奈の『伊勢佐木町ブルース』を加トちゃんの曲とか言ったりする無知ぶりにイラッとしつつも、この日本人が知らないとこがYOUの自尊心を擽るのだろうなあ~とか楽しみつつ見ておりました。

しか~し!

GSのクーガーズ『テクテク天国』には、

こやつ出来るなっ!

でありますたわ。

今年最初の記事では、日本のインディーズロックに嵌まるYOUの話をした(コチラ)ワタクシですが、なるほど昭和歌謡ヲタYOUにも頷けるものがあります。これもきっとYouTubeのお陰なんでしょうね。

さて、『また逢う日まで』で踊る男女を見ながら、ふと思い出したのは映画『メゾン・ド・ヒミコ』の中で、ディスコミックス版で踊るオダギリジョー&柴咲コウ他の皆様。



そして、ボ・ガンボスの故どんとの弾き語り。



どちらも以前紹介したことある(コチラ)んですが再登板でございます。

どんとが初めて買ったレコード、と言われると、私的に曲の重みが違ってきますのよ。

で、この曲は言わずと知れた筒美京平作品(作詞は阿久悠)で、昭和歌謡の金字塔ですから、以前紹介した(コチラ)筒美京平アンソロジーにも当然収録されております。

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ここで面白いのが、先日ジョン・セバスチャンのお話で引き合いに出したピチカートVですら、筒美京平作品をやっているということ。



この『恋のルール、新しいルール』は私のカラオケレパートリーの一つでもあります。

そして、同じく渋谷系と呼ばれた小澤健二の『強い気持ち、強い愛』も作曲は筒美京平でしたし、その他藤井フミヤとの『タイムマシーン』や井上陽水『カナディアン・アコーディオン』等々、歌謡曲で一括りに出来ない人脈オンパレードな訳で、私は購入してからビックリしたものでした。ま、そもそもこれに手を出したキッカケが、山下達郎や細野晴臣のインタビュー見たさであり、期待もしていた訳ですが、後年ブックレットを読み返してみたら、筒美作品のバッグを務めたバンド(リズム・セクション)に、凄い人材がいたことに気が付いたのです。例えば『また逢う日まで』を始め、数多くの楽曲でギターを弾いていたのが水谷公生。

ややっ?この名前を私が初めて認識したのは、ジュリアン・コープの『ジャップ・ロック・サンプラー』を読んでからなんです。そこで大絶賛されていた布施明がヴォーカルのLOVE LIVE LIFE +1のメンバーですやん。



スライみたいなファンキーな曲と、キング・クリムゾンが同居してるようなアルバムは、ワタクシも所有しております。歌謡曲のバックを支えたのは皆実力派のジャズ&ロック・ミュージシャンだった訳で、

これはつまりモータウンにおけるファンクブラザーズ状態だったということでわ?

ちなみに『また逢う日まで』の他のメンバー、猪俣猛(ドラム)、寺川正興(ベース)、飯芳馨(ピアノ)は皆、腕利きのジャズミュージシャンだったのですね。時代が下ると、高橋幸宏(ドラム)、後藤次利(ベース)、高中正義(ギター)、なんてのがバックに名を連ねるようになるのです(桑名正博『哀愁トゥナイト』のメンバー)。

昭和歌謡と言うと、どうしても歌手にばかり目耳が向く訳すが、実は音作りそのものが凄いんでね?

とか、先の昭和歌謡好きYOUが気が付いてるのかどうかは分かりませんが、その中にジャズやラテン音楽、ソウル等の様々な音楽性を感じ取っているのは確かな様です。

と言ったところで、そろそろ話を終えたいところですがここでネタバラシ。

実を言えば今回は序章に過ぎないのであります。元々メインで書きたいと思ってたのはギタリスト水谷公生さんだったのですが、前置きが矢鱈と長~~くなってしもた。ジュリアンの本で水谷氏のことを知って以来、調べてみたら興味深い話がわんさか出てきて、どうしようかずっと迷ってたんですね。

ミュージカル『ヘアー』の日本版でギタリストを務めてたとか、グループサウンズのアウトキャスツ時代に『Kites』というカバー曲をやってて、そのオリジナルのサイモン・デュプリー&ザ・ビッグ・サウンドというバンドはジェントル・ジャイアントの前身であった、と言う話をビートクラブのブックレットで知ったり、奥様が『食堂かたつむり』の小川糸さんだったりとか、

私的に引っかかる要素が沢山ありましたが、どっから取っ掛かれば良いのか、ずっと迷ってた時に昭和歌謡好きYOUを見つけたので、今回は長~い前フリを書かせて頂きますたよ、と。

興味のある奇特な皆様は、しばしお待ちくださいまし。


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タグ: ジュリアン・コープ

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2016/01/31 13:12 yuccalina

最初で最後の私のアイドルJulian Copeのこと~その(6)特製マイクスタンドの変遷とライヴ動画

このブログで一番ニッチなトピックであるジュリアン・コープのネタですが、いつにも増して下らない内容になることを、先にお断りしておきます。

はい、前回予告した通り、ジュリアンが一時期(推定1985~1989)使用していた、ド助平なスタンドマイクの件でございます。

初来日ではごく普通のものを使用してたジュリアンが、足元にステップを付けて、またスタンドに絡み付いたりぶら下がったり出来るように上部を曲げてカスタマイズしたもの。

これを最初に目にしたのは、シングル『World Shut Your Mouth』のプロモーションビデオでした。



このPVをピーター・バラカンさんがポッパーズMTVで、嬉しそうに紹介していたのを、私はとてもよく覚えています。「あのスタンドマイクは僕も欲しいぐらい」とか言ってたんですもん。

このバラカンさんの言葉をなぜ覚えていたのか、理由があります。実はジュリアンが初来日した時、ライヴインでの追加公演があったのですが、私は行けませんでした。しかし、当時のジュリアン・ファン仲間だったO君(故人)は見に行って、

「ノリノリのピーター・バラカンを見た!」

と私に教えてくれたんですね。その時はにわかに信じがたかったのですが、その後ポッパーズでの発言を聞いて、私はなるほど!と思った訳ですな。

で、YouTubeにあるライヴ映像をチェックしてみました。さっきのPVでは緑でしたが、87年、リッツ(ニューヨーク)でのライヴでは赤いのを使ってます。曲は『Sunspots』です。



『Trampolene』のPVでも同じ赤を使用してましたが、他に青もあったみたいで、写真が残っておりました。

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クロスビート誌に載っていたグラビアです。

ところが、それが何気にバージョンアップしておったんだな、とは最近になって気が付いたんですわ。

ベスト盤DVDに収められていた『5 o'clock World』見てたら、あれっ?カーブの部分に繋ぎ目が無いじゃん、と。YouTubeに動画が無かったため、取りあえず画像で。

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初期のやつは肌に触れたら引っ掛かりそうで、危なそうでしたが、こちらはカーブが滑らかになっております。間近で見ないと断言は出来ませんがが、1本のスティールを曲げて作ってる感じがしますね。

このスタンドマイクを使ってる画像が無いか、さらにYouTubeを漁ってみたら、ありますたわ。



この動画は88年スペインのテレビで放送されたものみたいです。

87年のアルバム『St. Julian』で稼いだお金で作ったんかにゃ?ちなみに『5 o'clock Wolrd』と同じアルバムの収録曲、『Charlotte Ann』と『China Doll』のPVでは、このマイクは使われておりませんぐ。

そして、90年代に入るとジュリアンはロックスターっぽいプレゼンテーションは一切しなくなり、ロン毛にチューリップハット→皮ジャンにこまわり君みたいな帽子とかの、異様なスタイルになり、このスタンドマイクが再び使われることはありませんでした。そういう刹那的な部分にも、ワタクシはふと愛情を感じてしまう訳です。

とか、どーでも良いことを一人思っている怪しい主婦のヨタ話にお付き合い頂き、ありがとうございますた。

次回はもちっとマトモな話にしたいです。

その(7)に続く


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タグ: ジュリアン・コープ 80年代

テーマ:80年代の洋楽(new wave) - ジャンル:音楽

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