2012.09/20 [Thu]
コンポステラと故・篠田正己さんのこと
- ジャンル:[音楽]
- テーマ:[ワールドミュージック]
先日、ロマの音楽について書いていたら、クレズマーから篠田正己(しのだまさみ)さん(1958~1992)の事を思い出しました。90年代ワールドミュージックムーヴメントの最中、私は東欧のロマ音楽からある日本のサックス奏者に辿り着いたのです。Compostela(コンポステラ)とはその篠田正己さんのファーストソロアルバムのタイトルであり、彼が率いるトリオのグループ名でもありました。ややこしいですが、相当この言葉が気に入っていたのでしょうか。
<篠田正己さんのソロ「Compostela」のジャケット>
<こちらはグループCompostelaのアルバム「1の知らせ」>
私がこの「星の原っぱ」を意味するスペイン語を初めて耳にしたのは、20代前半ルイス・ブニュエルの映画「銀河」でだったと思います。スペインにあるキリスト教の聖地、サンチャーゴ・デ・コンポステラ。特に宗教的な映画ではなく、と言いますかむしろ「弥次喜多道中」みたいなドタバタ劇と記憶していましたので、そのネーミングにユーモアとセンスを感じたのは言うまでもありません。多分、ミュージックマガジンの広告を見て興味を掻き立てられて聴いてみたのだと思いますが、それ以前に聴いていたバンド、じゃがたらで篠田さんがサックスを吹いていたのを後から知り、余計に因縁を感じたものでした。
それでは、先ずは篠田さんを思い出すキッカケとなった、クレズマーの曲から紹介しましょう。ソロアルバム「Compostela」より「イディッシュ・ブルース」です。
クレズマーはイディッシュ語(ドイツ語に近く、アジア語族のヘブライ語とは系統が違います)を話す、東欧のユダヤの音楽家達が、冠婚葬祭で奏でる音楽が伝承されたものです。人々の喜びや哀しみ、あらゆる感情を音楽で表現してきたのかもしれません。その点で私は、ロックとかけ離れた存在と思えず、親しみを感じているのです。
私は吉祥寺のMANDALA-2に何度か足を運び、Compostelaのライヴを見ました。篠田さんはバカボンのパパの様な愛嬌のあるルックスで、チューバの関島岳郎さん、クラリネットの中尾勘二さん共々、優しい空気を醸し出していましたが、その演奏は時には激しく躍動し、またあるときは穏やかに、心踊らせる音楽を奏でていたのでした。
定期的にライヴに通っていたからでしょうか、所属事務所らしき「火星旅行社」というところから、よくお知らせのハガキを頂きました。下の画像はその一部です。「1の知らせ」のジャケットと同じ衣装なので、オフショットなのでしょうね。
<左から中尾勘二さん、関島哲郎さん、篠田正己さん>
<篠田さんの笑顔は滅茶苦茶チャーミングでした>
さて、篠田さんはジャンルに囚われない、自由な楽士でしたので、レパートリーはクレズマーに限りません。次はCompostelaのアルバム「1の知らせ」から、私の大好きな「靴屋のマルチン」を。ミニマルミュージックを思わせるリフレインと、スッキリとした音の空間に、どこかほのぼのとした暖かさを感じる曲です。
そして、篠田さんの活動の中で、もう1つ注目されていたのが、チンドンです。今では余り見ることが無くなりましたが、パチンコ屋等の開店の宣伝する楽団、いわゆるチンドン屋が演奏していた楽器がチンドン。ジャケットにもしっかり演奏家が写っています。かつては日本の大衆音楽の原風景にあったであろう、チンドンのリズムに、篠田さんは日本人としての根っこを感じていたのでしょうか。そのアルバム「Compostela」に収められた曲、「プリパ」は韓国語で根っこを意味します。オリジナルはアメリカの南北戦争時に作られた「ジョニーが凱旋するときJohnny Comes Marching Home」とも、それ以前にあったアイルランド民謡が大元とも言われていますが、1980年代、韓国で独裁政権を打倒し民主化を求める運動(光州事件)で歌われ有名になった曲です。
アイルランドで歌われ、アメリカで、そして韓国で、どこで歌われようと人間の根っこに響いてくる音、そんなものを篠田さんは求めていたのでしょうか。私にとっても、音楽ほど根っこでのつながりを感じさせるものはありません。だからこそ、どんなジャンルだろうとどこの国であろうと、自分に響いてくるものを感じながら、音楽を楽しみたいなと思うのです。
お読み頂きありがとうございました。
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<篠田正己さんのソロ「Compostela」のジャケット>
<こちらはグループCompostelaのアルバム「1の知らせ」>
私がこの「星の原っぱ」を意味するスペイン語を初めて耳にしたのは、20代前半ルイス・ブニュエルの映画「銀河」でだったと思います。スペインにあるキリスト教の聖地、サンチャーゴ・デ・コンポステラ。特に宗教的な映画ではなく、と言いますかむしろ「弥次喜多道中」みたいなドタバタ劇と記憶していましたので、そのネーミングにユーモアとセンスを感じたのは言うまでもありません。多分、ミュージックマガジンの広告を見て興味を掻き立てられて聴いてみたのだと思いますが、それ以前に聴いていたバンド、じゃがたらで篠田さんがサックスを吹いていたのを後から知り、余計に因縁を感じたものでした。
それでは、先ずは篠田さんを思い出すキッカケとなった、クレズマーの曲から紹介しましょう。ソロアルバム「Compostela」より「イディッシュ・ブルース」です。
クレズマーはイディッシュ語(ドイツ語に近く、アジア語族のヘブライ語とは系統が違います)を話す、東欧のユダヤの音楽家達が、冠婚葬祭で奏でる音楽が伝承されたものです。人々の喜びや哀しみ、あらゆる感情を音楽で表現してきたのかもしれません。その点で私は、ロックとかけ離れた存在と思えず、親しみを感じているのです。
私は吉祥寺のMANDALA-2に何度か足を運び、Compostelaのライヴを見ました。篠田さんはバカボンのパパの様な愛嬌のあるルックスで、チューバの関島岳郎さん、クラリネットの中尾勘二さん共々、優しい空気を醸し出していましたが、その演奏は時には激しく躍動し、またあるときは穏やかに、心踊らせる音楽を奏でていたのでした。
定期的にライヴに通っていたからでしょうか、所属事務所らしき「火星旅行社」というところから、よくお知らせのハガキを頂きました。下の画像はその一部です。「1の知らせ」のジャケットと同じ衣装なので、オフショットなのでしょうね。
<左から中尾勘二さん、関島哲郎さん、篠田正己さん>
<篠田さんの笑顔は滅茶苦茶チャーミングでした>
さて、篠田さんはジャンルに囚われない、自由な楽士でしたので、レパートリーはクレズマーに限りません。次はCompostelaのアルバム「1の知らせ」から、私の大好きな「靴屋のマルチン」を。ミニマルミュージックを思わせるリフレインと、スッキリとした音の空間に、どこかほのぼのとした暖かさを感じる曲です。
そして、篠田さんの活動の中で、もう1つ注目されていたのが、チンドンです。今では余り見ることが無くなりましたが、パチンコ屋等の開店の宣伝する楽団、いわゆるチンドン屋が演奏していた楽器がチンドン。ジャケットにもしっかり演奏家が写っています。かつては日本の大衆音楽の原風景にあったであろう、チンドンのリズムに、篠田さんは日本人としての根っこを感じていたのでしょうか。そのアルバム「Compostela」に収められた曲、「プリパ」は韓国語で根っこを意味します。オリジナルはアメリカの南北戦争時に作られた「ジョニーが凱旋するときJohnny Comes Marching Home」とも、それ以前にあったアイルランド民謡が大元とも言われていますが、1980年代、韓国で独裁政権を打倒し民主化を求める運動(光州事件)で歌われ有名になった曲です。
アイルランドで歌われ、アメリカで、そして韓国で、どこで歌われようと人間の根っこに響いてくる音、そんなものを篠田さんは求めていたのでしょうか。私にとっても、音楽ほど根っこでのつながりを感じさせるものはありません。だからこそ、どんなジャンルだろうとどこの国であろうと、自分に響いてくるものを感じながら、音楽を楽しみたいなと思うのです。
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